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ヨルシカ『盗作』の小説を読んで。

さて、今は8/31、月末の22時を2分過ぎたところ。

残りのリミットは2時間もないことがわかっておきながら、
ちょっとした使命感に駆られ、まぁいけるだろと思って、文章を描き始めます。

実は、これを書いている頭の後ろ髪をひくかのように、
チャットで仕事の連絡が届いたり、友人からメッセージをもらったり。

今、僕は、雑誌『ダ・ヴィンチ』に投稿する記事を書いています。
これを読んでくれる先に、n-bunaさんがいると思って。
目に留まるのは、容易いハードルじゃないと思いつつ、書いて見ようと思います。

そんなこと言った矢先、いきなりパソコンのメモ帳アプリがフリーズ。
他のソフトをすべて強制的に閉じて、再起動にまた5分。

開いてみると、OSのアップデートをするように促されつつ、
眼前には、スクリーンショットの山。

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僕は、お仕事で目の前の画像を記録したり、加工するので、
スクショという盗作の山に、普段から囲まれているわけです。


発売日にタワレコとヴィレヴァンで買ったCD+オルゴールCDを聴きまくってはいましたが、小説は、あえて手を出していませんでした。

よく、DVDが初回特典でつくケースが多くなっていて嬉しいのですが、僕は初回を大事に温めたい派で、買ったままなかなか自分の心が整うまで、そのままに積んでしまいます。

今日は、強制的に「締め切り」が訪れてくれたので、先程サイト制作案件を納品したばかりですが、いつものようにPCに向かって、いつものように想いを巡らせて、投稿しています。

CDをアルバムの順番で聴いてみると、違和感のあるアーティストもいれば、ヨルシカのように「すっ」と物語になるアーティストもいます。

当然、アルバムをコンピレーションとみるか、ストーリーと捉えるか、なのですが、好きな音源を集めて、ずっとカセット時代からオリジナルコンピを作ってきた自分としては、世の中がコンピレーションの風潮に寄っていますし、ストーリー性が感じられないプレイリストもネットで多いなぁ...と残念に思うこともあります。

自分のなかに、落ち着いたメロディ、好きになるメロディがある。
音楽に限らず、どんなものにもある好き嫌いなんですけど、
ふとした瞬間に、それが才能だと思えるときがあるんです。

それは、誰かにその創作物を聴いてもらったり、見てもらったりしたときに、共感を得られることで感じます。

同情とも違います。尊敬の部分を少なからず持った「共感」という表現で正しいと思います。

そういう瞬間を、プライベートの好きなことで味わうと、仕事でもそうあってほしい、と思うようになり、いつしかそういう仕事をしてきた自分がいました。

この小説のなかでは、心の琴線に触れるものと出会い、近づくことを「泥棒」と呼んでいます。


そんな前提を踏まえて、ついこの前作った「盗作のオマージュ」というか、「泥棒作品」がこちらです。

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何の変哲もない、今住んでいる地元の路上風景を、夏の日差しとともに写真に収めたものが、この作品になりました。

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僕は最近、日常の何でもない風景が大好きになりました。
今までは、何も感じなかった風景です。

スマートフォンを見て足早に歩いたり、音楽を聴いて頭のなかの景色に集中して目の前の風景を見ずにいたり。

つい2年前まで社長業をしていたのですが、会社を続けることが精神的に厳しくなってきた頃に、景色が美しいなんて思う瞬間はほとんどなかったし、たまにそう感じるときは「嬉しい」ではなく「悲しい」という感情が伴っていたものでした。「景色にさえ、癒やされるのか、俺は」という負の感覚でした。

そこまで追い詰めて生み出していた仕事が、「自分のやりたかった夢」という理想の生き方の片鱗を追い求めながら、さも自分自身が何もない空っぽな人間だとさえ思えてしまうくらい、世の中はルールや支配に溢れているものでした。

そのときは、置かれた環境を否定するものではなく、僕には不自由に見えただけでした。
ただ、その瞬間から、僕は逃亡を罪とは思わなくなり、自分を壊したあとに訪れる「破滅」から逃れるための大事なレールでした。

レール?? そうです。だって、みんなそこから降りていい、逃げていいって、歌っているじゃないですか。いろいろな歌で軽く口ずさまれるし、自己啓発本や漫画では逃亡郷のような場所が作れるくらい、「逃げろ」のフレーズがパレードのようにそこらじゅうで踊ります。

それも、すでにある人生の模写であり、盗作なんです。


模写って言葉、Wikipediaで調べてみると、面白くて。仕事で調べることになったんですけど、印象に残ってて。

模写とは、美術において、他者の作品を忠実に再現し、あるいはその作風を写し取ることでその作者の意図を体感・理解するための手段、方法。またその行為によって生み出されたもの。したがって模写には再現のための知識・技量が必要となる
(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A1%E5%86%99

とあります。

他者の想いを再現することで、汲み取り、体感する手段のようです。
世の中、模写ばかりで良いんだなって思います。
エンブレムだって、書籍だって、模写で良いんじゃないかと。
もちろん、音楽だって・・・って、音楽は模写が多すぎる感はありますが。


なんか、こんな世の中に、模写を楽しむ・他人を理解する学びがあったら、それだけで変わっていくと思うのです。愛する気持ちを知らなければ、何かを盗むことは決してやりたくても出来ません。

それこそ、この「盗作」という小説とアルバム一連の流れは、小学校の教養に良いと本気で考えます。

汚い景色は、おとなになってからいやというほどたくさん見ます。
「大人になる」と「嫌になる」ことを、もっと若いうちから学ぶべきだと思う。

義務教育が過ぎたら、本当に学ばない人は一生学ばないで済む社会が、日本にはあります。
僕は、一生学びたいけど、夢中にならないものを学ぶつもりはありません。
「努力は夢中に勝てない」から。糸井重里さんがどこかで言っていた言葉が、僕の座右の銘です。

夢中になるものを探すことが人生だと思うし、それは泥棒であることで掴める、人によっては有り続けなければ辿りつけない贅沢なものなのかもしれない、と思ったりします。


ネタバレになることは書きたく有りませんが、
この小説に、最後に描かれている少年の贈り物については、「盗んだものを得て、心を盗まれるものになった」、大切な循環を伝えるメッセージカードのようなものに感じました。

「盗作」という曲の主人公が、道半ばで歌っている泥棒の今、
それを、全て無くしてきれいな星空を眺めるエンディングに導いてくれるものが、この小説であって良かった。


終わりです。ありがとうございました。8月のマイベストソングは、「盗作」でした。盗んだものを、貼っておきます(著作権つきで)。

ヨルシカ『盗作』

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22:50 無事、執筆完了。ありがとうございました。


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