受け入れられる人の強さ


 「なんで人のせいにしちゃうんだろ」ってフレーズを見ただけでも、最初に思ったのは、私はよく「人のせいにしちゃいなさい」と良く言われるので、反対のことを思う人はどんな感じなのだろうかということだった。この漫画の中の人は喫茶店のマスターに、本当は自分のせいなのに誰かに話す時には他人のせいにすり替えて話してしまい、「責めずに愚痴を聞いて欲しいからって、人のせいにするのはやめよう」といいそれが良くないってわかっていているけど辞められないという感じで話をしていた。

 私は今まで、自分がどんなに悪くなくてもいつでも「あなたが悪くて」、私が悪くなくても「そういう風になってしまった原因を作ったあなたが悪い」と責められていた。それは、多分女の人が痴漢にあったりした時に、スカートの丈が短いからとか、薄着だったからとかそんな感じで、何に対しても私が悪いという風に育ってきた。だから漫画の中の人がそんな風に責めずに愚痴を聞いて欲しいから事実とは違った話をするという発想が全くなかった。「いつもいつも慰められた後に気づく、あー私また人のせいにした」っていうセリフに驚いた。

 それに対して、マスターが「そういう人のせいにして愚痴をいう時は、なんか心が子供返りしている時ですね」と返答する。続けて「本当の、本当は、理由なんていいから優しくしてよ」とマスターは言う。そこで私は、理由なんていいから優しくされた経験みたいなのが皆無だと言うことに気がついた。漫画の中の人は「子供がえり」ってフレーズを思いついて、「おかあさーん」ってお母さんの腕の中で泣いている自分を思い出している。そして、「心の中に、幼い頃の自分を見つける」と言うフレーズで終わる。

 それを見た時に、小さい頃から自分のことを無条件に受け入れてくれたり、慰めてくれたりするお母さんでも誰でもいい大人がいるのは羨ましいなと心底思った。赤ん坊の頃に生母をなくして、それから争いごとがずっと絶えない家族で、そんな風に自分のことを丸っと受け入れてくれる人っていうのは、こういうところで強くて、羨ましいなと思った。一回ぐらいなんでも話を聞いてくれる、受け止めてくれる人に会ってみたいと思うけど、そんな人いるはずないと思っているし、自分にその価値はないと思う負のスパイラルなんだろうなとぼんやりと思った。

 

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