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LJK、"ぼっちイルミ"が好きなワケ

 去年の冬、学校帰りに突然大粒の雪が降り出したことがありました。傘も持っていなかった私は寒くて寒くていられなくて、最寄り駅から1番近いカフェに寄りました。ホットコーヒーをテイクアウトして、手を温めながら帰宅しようと思ったのです。赤くかじかんだ指先でホットコーヒーを指さして、ひとつくださいと言いました。店員の方は外国の方でした。

 しばらくして、コーヒーを受け取る時、その店員の方が「大丈夫ですか?」と声をかけてくださいました。雪まみれになった私の肩を心配してくださったのだと思います。日本語にあまり慣れていないように見えましたが、その言葉とともに、お店に置いてある大量の紙ナプキンを渡してくださいました。私は、そのやさしさと受け取ったコーヒーのあたたかさに包まれてお店を出ました。ナプキンで体の雪をはらいながら、制服に染み込んでいく雪の冷たさが不思議と和らいでいくのを感じていました。もうそのカフェにその店員さんはいらっしゃらないけれど、最寄り駅を使うとき、その日ことをいつも思い出しています。

 六本木のイルミネーションには去年も行きましたが、その時は、生憎点灯期間が終了してしまっていたので、見ることができませんでした。埼玉に住んでいる友達とワクワクしながら向かった先でのことだったので、2人で落胆しながらそのぶんスタバにこもって喋り倒したのももう一年前。その日のことはいい思い出になったけれど、同時に、あの日ももう思い出になってしまったのだなあと、少し寂しい気持ちで地下鉄に揺られていました。

 「誰かに席を譲るときは、電車を降りるふりをする」と言っていた人がいました。なるほどなと思いました。どうぞ、と声をかけると「私はあなたに席を譲りました!」感が出てしまうし、譲らず座り続けるのもいかがなものかと思ってしまいます。電車を降りるふりをしてさりげなく席を譲るというのは、高等な気遣いテクニックだ、と感動したのを思い出します。私はさっと席を立ち、一旦六本木の手前の駅で電車を降りて、車両を変えました。そのあとでこっそり隣の車両を覗くと、小さなおにいちゃんが、弟の手を引いて私が座っていた席に座っていました。私はうれしくなって、マスクの下でにっこり笑顔を作ってしまいました。この地下鉄に乗るのも今日で4回目。六本木に、ひとりでイルミネーションを見にいくのです。


 私はひとりでおでかけをするのが好きです。イルミネーションに限らず、ひとりでどこかにいくのがとても好きです。その道中では、いままでのいろんな人とのことを思い出します。そのたびに、ひとりだけど、たくさんの人と一緒にお出かけをしている気分になります。あの時あんなことがあったよね、と語りかけるのは、記憶の中の「あのひと」だけど、それぐらいが丁度よい気がしています。みんな、元気にしていますか。あの日のことを覚えてくれていますか?



 去年のリベンジの六本木けやき坂はとても綺麗でした。照れながらツーショットを撮っているカップルや、お揃いのマフラーを巻いて前髪を直す女性たち、おばあちゃんと手を繋いで歩く小さな子どもなど、たくさんの人で溢れかえっていました。そんな景色を眺めていると、いつかの私を見ているような気にもなって、なんだか恥ずかしいような、なんとも言えないような気持ちになっていくのを感じました。
 イルミネーションは本当に綺麗で、人々の表情もとてもキラキラしていました。私は次第に、イルミネーションと、それを見る人々の、どちらを見に来たのか分からなくなって、やがてどちらでもよくなりました。そんなふうにして素敵なひとり時間は過ぎていきました。


 けやき坂から六本木駅まで戻る途中、テレビ朝日の建物の前を通りました。そこでは思いがけず、素敵な場面を目にしました。 

 そこには、ふたりの方が、仕事の合間にイルミネーションを眺めている姿がありました。すごく素敵だと思いました。ふたりはなにか言葉を交わして、向こう側の景色を眺めておられました。私は、ふたりはどんなことを話していたんだろうなどと想像しながら、とっても素敵なものを見てしまった!と思って、うれしくなりました。


 帰りの電車の中では、友だちにおすすめしてもらった曲を聴きました。

毎晩 空には満月
齧って 頬張る 貴方の大好物
今宵の空には食べ残しが少し
トキメキ_yonawo

 私は、一度誰かと行ったことがある場所に、もう一度ひとりで行くのが好きです。この歌詞はきっと「三日月」を「貴方が満月を齧ったもの」として表現しているのだと思いますが、とてもかわいらしい歌詞だなと聴くたびに思っています。ちょうど両耳から聴こえてきたこの素敵な表現を、少し借りてみることにします。
 私にとってのぼっちイルミ、ぼっち旅とは、いつか誰かとの思い出の場所に(意図的に)置いてきた食べ残しを齧りに行く旅なのだと思います。誰かと出かける日は敢えて腹八分目で終えておいて、満腹になるまで食べるのはそれが思い出になってしまったあとでよいのです。食べかけの思い出の、食べ残しの部分を頬張りきるまで、そのための道中で、胃袋の中にあるたっぷりの思い出を思い出している時間が、私は大好きなのです。


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