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サロン:現代とは何か?

 こんにちは、クジラ8です。今日は、「現代」とは何かについてのいくつかの論考になります。サロンとしたのは、今後続けていきたいなという思いがあったためです。

 まず、みなさんがふだん、漠然と感じていることの一つとして、「仕事、あるいは学校や家庭などが辛い」というものが、ありませんか?

 なければ、それはそれは幸せなことでしょう。ですが、ふだん人は、どこかしらで「辛い体験」というものにぶち当たる生き物です。

 しかし、よくよく考えて見て下さい。なぜ、私たちはふだん、辛いことを積み重ねながら生きているのでしょうか。

 明日、楽しいことがあるから? 

 家庭を守るため?

 何か目標がある?

 私が学んできた「哲学」とくに、権力にまつわる哲学、思想というのは、こういった「楽しい」ものを、偽りのものであると論じるところからスタートします。

 それは何故か。一つの答えとして、「私が生まれる前に、既に社会があったから」

 というものがあります。つまり、私たちが生まれたときには、私たちが「了承」してもいないルールが、既にそこにはあるのです。

 これは、宗教ではなく、極めて哲学的な問題です。私が研究していたフーコーという哲学者は、このことを「権力」の作用だという風に考えます。

 また、特に問題なのは、その権力を行使しているのが、「王様」などといった「封建的な権力」などではなく、私たち民衆による「相互間の権力」だとしているところにあります。

 つまり、現代に生きる私たちは、つきつめれば、ごくごく平凡な「私」によって、辛さを与えられているのです。

 例えば、選挙というのは、そのもっともな例です。私たちは、「私」の思想を代表するような人を、選挙で一人選びます。選ばれた人は、議員になります。

 議員は、ふだん何も仕事していないように見えたり、あるいは有事のときに、頼りなかったりします。しかし、議員も人間です。

 彼らは、単に「私」の集合体によって選ばれたに過ぎない存在です。なので、実は議員が何か良からぬことをしたときに、悪いのは「議員」であるとともに、選んだ「私」にも責任があるのです。

 なぜ? 私は悪くない。

 確かに、あなたは悪事を働いていません。ただ、あなたは「投票権」という権利を用いて、議員を選出しているからです。

 もちろん、当選した議員とはまた別の議員をあなたが選んだかもしれません。しかし、それすらもあなたの責任になるのです。

 これが、「民主主義」の厄介なところです。ここで、民主主義が一番最悪なケースとして現れた例を出しましょう。

 みなさんご存知のヒトラーです。ヒトラーは、選挙で選ばれた大統領です。ヒトラーが悪者であったことは、周知の事実です。

 ただし、ヒトラーのような人間を、単なる悪者ではなく、悪魔的な存在に高めてしまった人たちこそが、当時のドイツ人なのです。

 彼らは、私たちと何ら変わりありません。もちろん。人種は異なるし、時代背景も違います。ただし、選挙権はもっていました。

 民主主義の厄介なところは、もしかしたら、またヒトラーのような人を生み出してしまうかもしれない。というところにあります。

 哲学は、こういった「辛さ」を生みださないための学問でもあります。何故なら、哲学とは「方法論」だからです。方法論とはつまり、何らかの問題を解決するための「方法」のことです。


 このサロンでは、様々な「方法」について論議していきます。冒頭にあった「辛さ」の根本原因は、「人々がきちんと議論する“暇”がない」ところにあると、僕は考えています。

 大元のところは、残念ながら変えることはできません。私は、あなたを雇う経営者ではないし、学校の先生や、政府の役員ではありませんから。

 ただ、あなたの「暇」なときに、私たちがふだん生きていく上で、「どうすれば楽になるのか」についての方法を、ともに考えることはできます。

 また、僕がこれまで学んできたことを、多少なりとも、何らかの形で伝えることはできるはずです。

 僕は宗教家ではないので、あなたの心の隙間を埋めることはできません。ただ、お互いに自律したまま、方法を模索することはできます。

 パンデミック下で、私たちが選んできた「民主主義の代表」が、頼りないことが少しずつ明らかになってきました。このあたりで、もう一度、真剣に議論できる場を作れたらな、と考えています。


 ではでは、また。お目にかかりましょう。



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