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テーマ:マルクスとは何者なのか?

 みなさん、こんにちは。クジラ8です。

 今回は、名前は聞いたことあるけど……。何した人なのか分からない……。

 で、お馴染みの「マルクス」について、まとめていこうかなと思います。何を隠そう、このマルクスこそが、現代思想を根本で支える偉大な哲学者なのです。

 とある事情で敬遠されがちなマルクスですが、今回は、こと哲学者マルクスに限って説明していこうかと思います。

目次
1.哲学者マルクスの経歴
2.唯物論について
3.おわりに

1.哲学者マルクスの経歴

 カール・マルクスは1818年、現ドイツのトリーアという街のユダヤ人家庭の子として生まれました。
 マルクスは、ユダヤ人であった。というのが、まずポイントです。しかも、ラビの家系(ユダヤ教の宗教的指導者)という、ユダヤ人の中でも、かなり由緒ある家に生を受けました。

 そんな彼が哲学者を志すのは、ベルリン大学の法学部という、ドイツの中でも屈指の名門校に入ってからです。(彼は、はじめボン大学という大学でも学びましたが、こちらは遊び過ぎでお父さんに叱られ退学しました)

 マルクスは、ベルリン大学で法律を学びました。どうやら、真面目に弁護士を目指していたようです。しかし、彼はやがて弁護士になることをやめてしまいます。単に勉強がうまくいかなかったという理由と、もっと面白い学問を見つけたという、二つの理由があります。

 その面白い学問とは、哲学でした。

 彼は、当時、かなり力を持っていた「ヘーゲル哲学」に興味を持ち始めます。ヘーゲルというのは、「ドイツ観念論」を完成させた哲学者でもあり、後世に名を轟かす大哲学者です。

 しかし、マルクスは、純粋なヘーゲル哲学には情熱を注ぎませんでした。
 彼が情熱を注いだのは、「青年ヘーゲル派」という、ヘーゲル哲学の中でも、かなり奇抜な流派に力を入れたのです。

2.唯物論について

 ヘーゲル哲学は、ヘーゲルがドイツ観念論の完成者でもあるように、多分に「観念論」的立場をとる哲学でした。
 以前、プラトンをテーマに記事を書きましたが、プラトンこそが「観念論」の源流にいる人です。観念論とはつまり、私たちの「精神」を、世界の構成要素の元にする考え方です。

 例えば、観念論者は、世界の成り立ちを「私」が生まれたことからスタートさせます。
 「私」が見て、聞いて、感じるものこそが、「実在」するものだ。と、考えるのです。私が前を向いて、何かを見ているとき、背後には何も「存在しない」
 そのように考えるのが、観念論者の典型的なパターンです。

 ヘーゲル哲学も、この観念論の流派です。しかし、ヘーゲルは少し面白い考え方をします。
 ヘーゲルは、観念論の開始を「私」ではなく、「絶対者」に置きます。絶対者とは、神のような存在だと捉えてください。
 この世界は、「神」が作った。ヘーゲルは、そういうのです。これは、ある意味で「無敵の論理」です。神が世界を作ったかどうかなんて、ふつう証明することができません。だからこそ、ヘーゲル哲学は長い間、哲学の頂点として君臨することができたのです。しかも、ヘーゲル哲学の厄介なところは、「歴史」を、観念論的に考えることです。

 歴史を観念論的に捉えるというのは、すなわちキリスト教による「創世の歴史」を、正しい歴史とする考え方と同義です。これは、はじめに言葉ありき神は七日間で世界を作った。とする考え方です。キリスト教徒の世界観が、歴史の正しい認識である。とする考え方こそが、ヘーゲル哲学の根本にある歴史観でした。(ヘーゲルの哲学は、一般に歴史哲学だと分類されます)

 この歴史観を、崩したのが、マルクスです。マルクスは、観念論ではなく、唯物論という考え方に位置します。今では、マルクス=唯物論の先駆けと、考えられますが、この考え方自体は、古代ギリシャの哲学者デモクリトスにまで遡ることができる由緒ある考え方です。

 マルクスは、唯物論=物質を世界の構成要素におきます。物質とは、要は海や山などの「自然」のことです。しかも、自然は神が作ったのではなく、「自然発生的」にできたと考える方法を指しています。(物理学でいうビッグバンによって、地球が作られたというコトこそが、唯物論的な考え方です。地球は神が作ったものではない。これこそが、マルクスの主張です)
 いわゆる史的唯物論という歴史観です。

 これは、キリスト教が歴史を作った(あるいは、宗教が歴史を作る)というのは、誤った考え方で、「生産様式」の変化こそが、歴史を作ったのだ。とする考え方のことです。

 簡潔にまとめれば、歴史とは「人間による歴史」なのだ。と、考える哲学です。
 これは、案外難しく感じるかもしれませんが、至ってシンプルです。私たちが学校で学んできた歴史は、史的唯物論に基づいています。有り体に言えば、「歴史学者=科学」が明らかにした人間の歴史です。

 ヘーゲル以前の歴史には、どうしても「神」という絶対者が必要でした。いわゆる神学論争、異端審問というのは、神を信じない=歴史を否定するという行為によって、問題化されていたのです。

 マルクスによる一番の功績は、「神がいなくとも、歴史を説明することができる」という歴史観の発見だったのです。

3.おわりに

 唯物論者であるマルクスは、後に経済学へと邁進していきます。共産主義=マルクスと考えられていますが、ここではあくまでも、哲学者マルクスを紹介するに留めます。

 共産主義の考え方は、実は観念論者ヘーゲルが作った考え方だともいえます。ヘーゲルの「弁証法」というのを、聞いたことがある人もいることでしょう。

 弁証法の説明は、また後日あらためてしたいと思いますが、少しだけ先取りして概要を紹介しておきます。

 弁証法とは、「絶対的なものを目指す方法」のことです。ヘーゲルによれば、それは「神」のことです。
 しかし、マルクスによれば、それは「社会」を指しています。

 弁証法とは、失敗と成功の繰り返しです。ポイントは、「成功と失敗」ではなく、「失敗」が先に来ることです。

 失敗から、成功を学ぶ。これが、弁証法の根本にある概念であり、科学の根本でもあります。

 弁証法の説明は、丁寧に行いたいので、後日あらためて、記事にしたいと思います。

 ではでは、今日はここまで。また、お会いしましょう。

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