061外部記憶✳あの方中心法則化✳コミュニティハウス
「ふーーっ。お白湯はやっぱり美味しいわ」
ごくごくと私はお白湯を飲みながら考えごとをしていた。
「物質次元じゃない記憶にアクセスできないかしら」
そしてひとりごちている。
「私たちが産まれてからの記憶以外の記憶。外部記憶みたいなものかしら?」
今日はソファ/O《オー》が一緒にいる。何やら用事が済んだらしい。つい今しがた『あの方』も『中心法則化』されたのだ。
あの方も中心法則化されたとあれば『めぐり逢い』ないし『邂逅』?もすぐなのでは???と感じる。うるる。
《中心法則化は他の『ポテンシャル』な方々も適用されています》
久々のガイダンスがそう告げた。
絶対的な正解のないこの現実世界で、自分(たち)なりの答えを実現することが『創造性』である――とすれば、この宇宙、世界の中心に私(たち)が為って、ポテンシャルな新しい世界が創造されるのは、答えのひとつに成るのではないか。
(抽象度を下げると最適化された都市構築/まちづくり/コミュニティ/プラットフォームとも言えるし、最適化ネットワークスとも言えるのかしら)
続いてシェリー/ニックが言う。
「産まれてからの記憶以外と言っても興味あるのは、この世界の創造されていない始まりも終わりもない状態の記憶。それはもう記憶と呼べないのかもしれない」
「それと存在永遠豊の記憶――と言ってもいいのかしら。帰還……座標?とも言えるわよね」
ソファは応えた。
(何か最近やけに眠いわ)
私はあくびをした。
そういえば記憶の改ざんはクリエイティビティに通ずるらしい。そう想えば、記憶というものは絵画と似ているかもしれない。
リアルに描くか。筆者が観えるように脚色されて、より素敵に描かれたり、さらにはポテンシャルが現される。
虚構も現実もそれほど差異はないのかもしれない。
意識――は空間を超えられると共に時間も超えられるようだ。メタ物理世界になるのかもしれない。
もし仮に地球外生命体がいるとして(エネルギー体)とアクセスしたいのなら、空間を超えて遥か遠くの銀河、または別次元、あるとして別世界。そして時間も超えられると可能かもしれない。
「始まりも終わりもない状態の記憶、帰還、存在永遠豊の記憶――座標のアクセスも可能になるわね」
「そのまま『Sync/同期』されて世界は『同時創造』されるわね」
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さて、存在永遠豊の手がかりとなるであろう都心エリアのコミュニティハウスに到着。
入り口前で身と心を整えてから入場。
奥のフリースペースでは、立体ホログラムにより神聖幾何学が瞬いていた。
安直なステレオタイプでみれば神聖幾何学は西洋的でシンメトリカル。東洋でいえば多少左右対称を外したり、中心/中央を空っぽ(円空/球空)にする。
前者は完成、完璧を現し、後者は未完成の完成美とでも言えそうだ。円空/球空は余裕/余白、何もしない、無、空の思想となって、ブラックホールにつながる可能性もあるんじゃないのかと。
話が膨らむと無数の銀河の中心にブラックホールがそれぞれにあるとして、目にみえないメタ物理次元においては、そのブラックホールの中心は(ほぼ)すべて同座標に存在するのではないか、そう感じる。
さらっとすごいこと言ってるんじゃないか?そう無粋に想いつつ、実は当たり前なんじゃないかと想えてくるのでした。
さて、話は戻りステレオタイプな前者西洋と後者東洋の完成、未完成の完成思想はどちらも似たようなものと言ってしまってもよさそう。好みでよさそうな気がするのでした。
神聖幾何立体ホログラムは宇宙システムそのものと言えるかもしれないし、コミュニティモデル/Netsとも言えそうで曼荼羅のようなものかもしれない。そしてアルゴリズムである。
神聖幾何立体ホログラムは動的で、伸縮し、色彩も瞬く。
目を閉じれば、その中心から音が聴こえる気がして、耳も閉じれば、香りが……鼻……舌……心と続くのでした。
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その頃、仮想空間にいる私たちは、仮想空間内でさらに仮想空間ゲームをして遊んだり、モビルスーツ的な起源アニメを一気観したり、石博士みたいなアニメをみて、きゃっきゃしながら、のんびりしているのでした。
鹿獅子さんがいる――。
角がガトリングガンのようにくるくる……いやいちなうな(ちがう)美味しいホールケーキがまわるように――神聖幾何/曼荼羅/球体魔法陣の内部も含めて、連動しながら最適な動きをするように――
運命の歯車は廻り創めていた。
Quotia 配分 割当 遵守