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2024年のはじまりに。

遅ればせながら、
あけましておめでとうございます。

元旦、ゆるりとした穏やかな日々に、大きな震災が起こり。
遠くの地から思いをはせながら過ごした数日。

当たり前が当たり前ではない。
日々を有難く、いとおしく過ごした。

盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ

有難い(ありがたい)とは、
有ることが難しいということ。

語源は、お釈迦様が弟子に説いた「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という話からきている。

お釈迦様があるとき、阿難(あなん)というお弟子に「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」とたずねた。

阿難「はい。大変喜んでおります。」
お釈迦様「では、どれくらいよろこんでいるか?」
阿難「‥‥‥」

そこでお釈迦さまはこう例えた。
「例えば、広い海に、目の見えない亀がいる。その亀は100年に1度、海面に顔を出す。広い海には1本の丸太棒が浮き、真ん中に穴が開いている。風や波に揺られる丸太棒の穴に、浮かび上がってきた亀が頭を入れることがあると思うか?」

阿難「そんなことは、到底ありえません。」
お釈迦様「絶対にないと言い切れるか?」
阿難「絶対にないかと言われれば、何億年、何兆年、幾億兆年の間には、あるかもしれませんが、ないといってもいいくらい難しいことです」

お釈迦様「よいか、阿難よ。私たちが人間に生まれることは、この盲目の亀が、丸太棒の穴に頭を入れることがあるよりも、難しいことなのだ、有り難いことなのだよ」

いま、有ることに感謝する

お釈迦様のたとえ話は、人間に生まれることのがどれだけ稀なことなのかを問うているのだけれど。

人としてこの世に生まれ、さらに、日々をつつがなく生きていられることの稀有なこと。

皆皆さまの健康とご無事を祈りつつ、今年もnoteを綴っていけたら…。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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