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文法に囚われない、「てにをは」の使い方

『「てにをは」は正しく使おう。』
文章を書く上で基本的なことだとは思う。

ただ、必ずしも正しいことがよいことだろうか。

小説家などは、思い切った「てにをは」を使うことで表現の幅を広げ、ときに詩的な印象を与える。

たとえば、文法的な正解は
「千住で詩会があって」だが、実際はこのような使い方をしている。

千住に詩会があって、会員の宅で順番に月次会を開く。

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』

本来とは違うものの、「間違いだ!」という雰囲気は醸し出していない。
いやむしろ、抒情的というか詩的な雰囲気すら漂っている。

そのはんかちは、苗子の涙にぬれていた。

川端康成『古都』新潮文庫

本来なら「涙でぬれていた」だろうが、「涙にぬれていた」とすることでしっとりとした落ち着きを感じる。

所在ないときは、時刻表のどこをあけても愉しくなった。私は勝手に山陰や四国や北陸に遊んだ。

松本清張『点と線』新潮文庫

「北陸に遊んだ」は正しくするなら「北陸で遊んだ」だろう。だが、「に」にすることで趣ある、詩的な印象を残す。


これらは一般的な校正だと直されてしまうかもしれない。
けれど、小説含め私的な文章ならより印象を強く残す「てにをは」だから、あえてそのままにするほうがよさそうだ。

使う場所によっては、誤りすれすれの「てにをは」も趣があってよい。

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紡/Tomomi Sugimoto
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