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フィルターを通さず、ものさしは長く。
ものごとを判断するとき、ついつい固定概念でさばいてしまうことがある。けれど、それはすべてが正解ではなく、決して確実なものではないと心しておきたいと思う。
フィルターを通してみると、ものごとがぼんやりと見えてしまって本質がつかめない。
ものさしがみじかすぎると、NGばかりの人生になってしまう。
「○○だから○○…」というのはある種のフィルターを通して判断している
私は文学部国文学科を卒業しているが、だからといって人と比べてものすごくたくさんの文学作品を読んできたわけでもなく、誰か特別好きな著者がいるわけでもない。
というのも、「○○さんだから、素晴らしい文書なのだ!」という安直な判断をしたくないからだと思う。
たとえば近代文学でいえば、村上春樹氏や三島由紀夫氏。たしかに日本・世界でも素晴らしい作家さんだけれど、「村上春樹」というフィルターを通して文章を見ているから、ことさらよく見えてくる…ということもあろう。
もちろん素晴らしい作品なのだろうけれど、「芸能人格付けチェック」みたいな感じで著者名を伏せた状態で読んでみたら、また違った感情が芽生える…、もしくは村上春樹の作品だと気づかない…ということもあり得るんじゃないか。
これは、別にその人を「薄っぺらいファンだ」と批評しているわけではなくて、本質的な部分で、肩書ではなく文章そのものを見てみると、また違う答えが見つかるかもしれない、ということ。
有象無象のなかにキラリと光る作品だってあるし、それが人生のバイブルになることだってあると思う。noteだって「フォロワーさんが多い=素晴らしい作品ばかり!」というわけではなく、フォロワー数に関係なく「いいものはいい」ということ。
そこは本質を見極めて、いいものを大切にしたいなと思う。
芸能人とか、文章以外でも同じことがいえる
たとえばジャニーズ事務所を例に挙げると、所属するタレントは一般的に「かっこいい」というイメージが定着している。さわやか系だったり、可愛い系だったり。中世的なタイプの男性が多い印象だ。
けれど、それは所属アイドルすべてにいえることではない。
なかには「おやっ??」と思う人が紛れていることもある。(田舎のおばちゃんが失礼な発言をしてすみません)
これは「ジャニーズ」というフィルターを通しているから「みんなかっこいい」と思ってしまっているだけで、100%とは言い切れない。
文章以外でも、「○○だから○○」というフィルターを通してしまうと、本来の「スキ・嫌い」や「善・悪」がよくわからなくなってしまう。
ものさしが長いと「○○だっていいよね」と考えられる
ものごとを判断するとき、自分のなかにある「ものさし」もフィルターと同じような存在だろう。
ものさしがみじかいと、いつも
「あれはダメ」
「これもダメ」ってなってしまう。
ものさしを長く、もしくは伸縮式にしておくと、
「あれもいいかも」
「今日はこれでもいいよね」
なんて、柔軟に考えられる。選択肢の幅や奥行きが広がる。
そうすると、自分のなかで受け入れられるキャパシティが広くなり、人生もより豊かになる。そんな人生を送りたいものだ。
子どもにもそんな風に育ってほしい
うちには男の子が2人いるけれど、わが子にもそんな風にフラットなものの見方を学び、育ってほしいなと思う。
だけど、しつけというのは非常に難しい。
どちらかというと、親のほうが学ばされることも多くて。
すくすく、自分らしく成長してくれるように、陰ながらサポートしたいものである。
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