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人の顔は先祖たちからの履歴書。

僕の顔は母親似だ。顔だけじゃない、行動も性格も好きなものもぜーんぶ母親似。そんな僕も母もB型なのも少し関係している?

そして僕の母型の祖父と僕はよく似ているそうだ。亡くなった祖母は祖父の若い頃にそっくりだと生前話していたそう。性格がひょうきんなのもよく似ているw志村けんさんのバカ殿ドリフが始まれば、お互い笑い転げていた。

最近は僕の叔父の声まで似ていると言われる事もあるwどれだけ母型の血が濃いんだよって思う…。

家の親父と妹はまさにやること成すこと瓜二つで。どちらかと言えば、静かな方だ。うるさい僕らと大人しい二人。そして親父も妹もA型なのがまた共通している。


友人の顔を見れば大体親の顔って想像できませんか?
授業参観日になると「お前んちの母ちゃん、父ちゃん何処?」って話題になると、大体子供の感性では良く当たる。「あれお前んちの母ちゃんだな」って良く言い合っている場面を見ると、やっぱり親と子って似るもんだなって思います。

今の僕たちの顔は長い間、受け継がれて来ました。
僕の両親、僕の祖父母、そしてその前の世代まで。
まるで僕たちの顔は履歴書の様に感じる事があります。
目の形であったり、顎の形。顔以外では細かな癖だったり、話し方だったり。改めてこうやって特徴を知ると、如何に僕たちは一つの遺伝子を受け継いで生きているのだと感じます。

ただ何気なく生きていると、親の顔も兄弟の顔も見慣れて来るのです。ですが他人から見れば、やはり親子なんだなって思うところが多い。ほら、恋人が出来たりするとその両親に会う前に、大体の予想をするじゃないですか?

きっとお母さんかお父さんはこの子に似ている子なのだろう。きっと同じように明るい親なのかもしれない、頭のいい親なのかもしれない、落ち着いた親なのかもしれないと。会う前から少しワクワクしたりしませんか?なんか更に相手が愛おしく思えてきたりとか…。初めて会う時は緊張しますが、逆にちょっと楽しみでもあるんです。


でも人から良いと思われても、自分自身って結構自分の顔にコンプレックスを抱いたりしますよね。他人から見れば魅力的だけど、本人からすれば嫌になるほどに悩んでいたりとか…。

実は僕は昔、自分に対して恐ろしい程にコンプレックスを抱いた時期があります。それは多分極度のストレスを感じたせいで、対人恐怖症に陥ったからだと思います。人に会うどころか、誰にも顔すら合わせたくなくなった時期があって、それはもう毎日が苦しかったんですよ。

そして僕は自分自身が壊れてしまえば良いと何度も思いましたし、このまま事故にでもあって死んでしまえば楽なのにとも思いました。挙句の果てに極度の醜形恐怖症に陥ってしまったのです。

この病気は自分の顔が恐ろしい程に醜く映ってしまう病気で、自分の顔が一切見れなくなる病気です。写真は疎か、鏡ですら覗けない程に酷いものだったんですよ。
そして僕は両親に対して、自分の顔があるのは紛れもなく両親のせいだと怒鳴ってしまった事があるんです。

そんな事を言われた両親は目を丸くして驚いていました。母親は怒ってはいましたが、酷く傷ついた表情をしていたんです。

今では落ち着いてそんな自分を愛していますが、当時を思い出すととんでも無い事を言ってしまったんだなと深く反省しています。せっかく両親が与えてくれたこの身体。そして僕が産まれる為に、どれだけの人が関わって来たのだろうか?僕が産まれる為にどれだけの人が僕と繋がって来たのだろうか?そう考えると、僕の身体や顔は大切な宝物なのだと気がついたんです。

自分にとってコンプレックスである顔のパーツも、誰かにとってチャーミングに見える。誰かにとってそれが可愛らしく見える。そうやって人と人は繋がっていくものだと僕はあの時の経験から学びました。

人と人が出会い。人と人が惹かれ合うという奇跡も、きっと僕たちが知らない遠い親戚同士での何かしらの繋がり、もしくは魂の繋がりの様なものがあるのだと僕は思うんです。

その人同士でしかわからないその人の魅力だったり、好きな部分というのはお互いの、遠い先祖たちの残した遺伝子同士が惹かれ合う。そしてそれがまた交わって、新たな遺伝子を作り上げる。そしてその子供が履歴書に刻んでいくという事です。

自分の目の形も、鼻の形も、口の大きさも、顎の形も。全てが先祖たちから受け継いだ証。そしてその証はこれから僕たちが生きていく上で、誰かに気がついて貰うためのきっかけとなる。僕はこういう道筋を歩んで来ました。自分は沢山の物を受け継いで来ました。そしてその証を僕たちは持って歩いて、誰かの目に留まって貰うための証だと言うことです。

若ければ若いほど、それが理解できないと思います。それが時に大きな枷となって自分を苦しめると思います。
ですが時が経つにつれて僕たちが生きている事の奇跡を知ることが出来ます。そしてそれを感謝する事が出来る日が来るでしょう。

だから僕が言いたいのは、貴方が苦しみ悩んでいる時を忘れないで欲しいと言うことです。無理にポジティブに捉えなさいとは言いません。無理ならば今はどうやっていても無理なんです。でもそれと同時に、頭の片隅にだけ置いておいて欲しい。今自分がここにいる事の奇跡を。そしてこれか歩むべき道を、しっかりと見据えて欲しいと僕は願います。

人間の顔というのは入口と良く言われます。だからこそ一番センシティブになる部分です。どんな美貌を持ったとしても必ず自分自身にコンプレックスを抱くものです。あの有名なブラッド・ピットさんでさえ、自分の顔が嫌だった時期があるらしいです。(僕がもしブラッド・ピットさんの顔を持ったら毎日スキップして街を歩きますがねw)

だからこそ、直接的な顔の造形は変わらなかったとしても、自分の表情は作れるものです。何も常に素敵な笑顔を振る舞う事が出来なかったとしても、出来るだけ口角をあげてみたりとか、微笑む程度なら簡単にできる筈なんです。


僕たちの顔は先祖が残してくれた、大切な贈り物。
そして僕たちがこれから残していく証。

難しいけど。とっても難しいけど。
そう思って生きていければ気持ちが楽になれるのかな?


最近家の家から亡くなった祖父の若い頃の写真が見つかりました。少し緊張気味で微笑を浮かべる祖父の顔。
きっと僕も同じくらいの歳になったら大分似てくるのだろうか?

そんな事を考えると、歳を重ねるのも悪くないかも?って思い始めて来ました!

写真っていいですよね。ずーっと後に残るから…。

今度もうちょっと祖父の若い頃の写真。探してみようと思います!きっと面白い発見があるのかも?

それではまた😉😉😉😉

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