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人は一日の間に眠りと目覚めを交互に行き来しているんじゃないかと考える

朝目が覚める、夜眠りにつくように
魂。いわゆる人間の核の部分というのもまた眠りと目覚めを行ったり来たりしているのではないか?と僕は思う。

俗に言う目覚めというのは
覚醒し、古いしきたりから離れている。達観している様な状態。何事にも客観的に物事を捉えて、ふわふわと漂っている様なものと捉えてもらうとわかりやすいかも。

じゃあ眠りの状態というのは
不安や恐れ、怒りや欲を感じるなど。どちらかといえば人間的な感情が湧き出て来てコントロールできない様を想像して欲しい。

ただどんなものにもバランスというものがあって
どちらかが突き抜けていても、劣っていてもいいとは思えない。何というか結局はどんなに達観した成熟した魂であってもネガティブな負の感情というものは感じるものだと思う。

僕が昔大きな事故にあって病院に入院していた際に
一人の患者さんと仲良くなった。
彼は僕よりも10ほど年上の男性で、不意の事故によって両足を切断してしまった。彼は物凄く素晴らしい人格者で、もらい事故にあって相手の責任で自分が障害者になったとしても、決して相手を責めず相手を許し、もう自分の事で悩み悔やむ事はしないで欲しいと本人と家族に言ったそうだ。自分自身の状態を受け入れて、新たな人生を歩むと心に決めたそうだ。
僕ももらい事故で顔面がぐしゃぐしゃになった身で、顔中マミーの様に包帯グルグル巻き状態だった。
僕自身も相手を攻めようと考えなかった。何故ならばそんな事をしても意味がないからだ。相手を責めても自分の顔が元通りになるわけじゃない。これはある意味修行であり、自分の人生の内のイベントでしかないと考え、受け入れ前向きに生きることが自分のできることだと思っていた為、彼とは直ぐに打ち解ける事ができた。

ただ僕は病院から一歩も外に出る事を許されなかった
何故ならば汗をかいてしまうと顔が化膿する可能性があるらしく、好奇心旺盛な僕が外に出ないか常に監視されていたほどだw仲の良い彼は自由に車椅子で外に出ることが出来るためによく外の空気を吸いに出かけていた。

彼は病院の待合室に座っている僕を見つけると
外の状態を教えてくれた。
今日は天気がいいとか、大きなセミを見つけたとか、近くで祭りの準備をしていたとか。
彼の話が聞きたくてわざわざ待合室に降りていくほどだった。

そんな達観した彼も時にものすごくネガティブな感情が湧くことがあるらしく、日によっては病室に閉じ籠もってしまう日もあるという。全てを受け入れて、何事にも前向きに生きていたとしても人は不安に駆られて落ち込むものだと僕は思った。当たり前の事を言っている様だけど、どんなに達観した修行僧であっても本質的には人間であり、365日常に達観しているとは限らないものだと思う。

目覚めの状態が全てを受け入れて、許せる状態であるならば、眠りは不安や恐れに飲み込まれていく状態。
確かに5次元へとをステップアップするには、出来るだけ受け入れていける状態へ持っていくのが正しい。
だけどそんな状態を常にキープ出来るというのは非常に難しいと思う。例えば、今日は5次元的な状態へ持っていけても、明日は4次元的、3次元的な思考になっている等普通の事であって。それはある意味仕方がないと僕は思う。


この世の中の仕組みとして
目覚めさせない様にするといった構造となっており
眠り状態の部屋はとてつもなくただっ広いのに対し、目覚めの道は非常に狭くなっている。
僕たちがこの世の中で生活を強いられている以上。どうしても眠り状態でいなければいけない状況になる。

生きていくのは綺麗事では済まされないからだ。

どんなに目覚めというワードを使い、目覚めへと移行せよという言葉を聞いたとしても、じゃあわかりました!と直ぐには行動に移せないだろう。
ある部分では目覚めという場所に入っても、身体の一部分は眠りに入ってないといけない。これは非常にもどっかしいけれど仕方がない事なんだと僕は思う。

じゃあどうすればいいのかと言うと
眠っている自分も、目覚めている自分もどちらも自分だと把握していく。言ってしまえばどんな状況であっても正しい状態なのだと一度受け入れることが実は正しい。

目覚めよう目覚めようと
目覚めの方向へ進むあまり、眠りの自分を放棄する。受け入れない。こんな状況では駄目だと自分にムチを打つではなくて。今日は随分とネガティブだな、衝動的だな、随分と欲が前に出てきているな、将来が不安だなと思ったら
いっそのこと眠り状態に入ってみる。人間誰でもそうだけど、眠い時は眠いのであって、眠いのを我慢してまで活動をする必要はないはずだし、そんな無茶をすれば身体を壊しかねない。

確かに人間のゴールは目覚め光になるという事が正しいのだが、だからと言って眠りが完全なる悪ではない。
目覚めと眠りを理解して、人間というのは全てそのバランスによって成り立っているという理解が出来ることこそが本当の目覚めであり達観であると思う。

多くの話ではそこのところが非常に難しく書いてあったり
偏って書かれているので、目覚め=正しい。眠り=悪い判断せざるを得なくなる。沢山のスピリチュアルのワードを並べて複雑に書かれていようが。


要はポジティブもネガティブも
目覚めも眠りもあるものなのだよ。
腹が立てば起こってもいいし、沢山食べたければ沢山食べればいい。異性と刹那的な関係を持ちたきゃ持てばいい。
成功をしたければすればいいし、お金が欲しければとことん努力すればいい。

結局はスピリチュアルの世界なんて最終的には気づきが出来れば何でもいいと僕は思う。
転んで怪我をして痛いと感じれるように、ただ自分の感情に身を任せて、良いも悪いも経験したうえで、それらを奥歯でしっかりと噛みしめる。

そして湧いてきた感情をしっかりと咀嚼して
これが感情なんだ?痛みなんだ?悲しみなんだ?喜びなんだ?と自分のありとあらゆる身体を使って体験する。
それがスピリチュアル世界で言う気づきであり。目覚めの正体であると僕は思う。

だから眠りの世界に入らぬように、目覚めに必要なことばかりしていては、いつまでも本当の目覚めには移行しないと僕は思う。


先程の病院での彼も
昨日の落ち込みが嘘のように満面の笑みで汗だくになりながら車椅子を押して帰って来る彼を見ると、彼もまたネガティブを経験し今笑っているのだなと感じた。
ネガティブの裏にはポジティブがあり、ポジティブの裏にはネガティブがある。

どんな感情があるにせよ

結局は僕たちは人間である。それは生まれながらにして人間が贈られた極上のプレゼントである。
そんな最高の贈り物に蓋をして閉じ込めてはいけないと僕は思った。


目覚めと眠りを交互に行き来し
ポジティブとネガティブを経験できる。
素晴らしいじゃないですか!?
その振れ幅が少しづつ小さくなって、少しづつだけでもコントロールできる様になって受け入れて、ああ良かったな、これが気づきなのだと感じられる様に


日々起きる出来事を噛み締めていけると良いですね。
大丈夫、人は一度上がれば急激にストンと落っこちる事はないといいます。ちょっと落ちた位気にしない。

そんなものだと受け入れる
それが一番大事!!

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