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恋と債務(後編)

後編になります。前編を読まれてない方はこちら

大学の卒業までもう少しという頃には僕の支払い能力は限界に差し掛かっていた。バイト代が振り込まれても右から左へ返済して終わり。手元には数千円ほどしか残らない。足りない分はもっともらしい理由をつけて親から融通してもらったり、深夜の倉庫で単発のアルバイトをして補った。自業自得だがものすごく忙しかった。卒論を書き終えていたのがせめてもの救いだった。

同じく卒業を控えていたリョーコには半年ほど会えていなかった。4年生になったあたりから何かと理由をつけて会ってくれなくなったのだ。彼女に会いたかったし距離を取られるようになった理由を聞きたかったが、僕は僕で取得単位がギリギリで卒業見込みが未だ取れていなかったのと月々の返済のことで頭がいっぱいでリョーコの優先順位は少しずつ下がってきていた。

足掛け3年、僕の人生はじめての熱烈な恋はまさかのフェードアウトで終わった。のちに聞いた話だがリョーコは卒業したら北陸の実家に帰ることを条件に東京の大学に行かせてもらっていたそうだ。その4年のうち3年を僕と過ごしてくれたことになる。最後の1年で意図的に距離を取るようになったのは傷つきやすく面倒くさかった僕への彼女なりの優しさだったのではないか。もう答えがわかることはないのでそう思うようにしている。

なんとか大学は卒業したものの、卒業したからといって借金がチャラになるわけはなく、引き続き大ピンチだった。借り入れ総額はミドルクラスの国産車が買えるくらいまで膨れ上がっていた。

もはや痛みを伴わずにこの苦境を切り抜けるのは不可能だった。親に全てを話して助けてもらうか、法的な救済措置をとるかだ。前者を選択した場合は大学生の分際で遊興費で借金をこさえたダメ息子の烙印を。後者を選択した場合は社会人になったばかりでブラックリスト入りを。いずれも決して少なくないダメージだ。

しかしここで僕に幸運が訪れる。春から就職した会社の給料がとても良かったのだ。大学生の時に半年ほどアルバイトをした会社に社長のコネクションで入ったので僕の扱いと待遇は社長の専権事項だった。秘書とは名ばかりの使いっ走りで、法的には問題がないが人の道としてはかなりグレーな仕事をすることになる。高給と引き替えに。

必要経費をまかなう金色のクレジットカードも与えられていた。カードの使用条件は仕事に関わるものであれば全て、というほとんど打手の小槌みたいなもので実際「残業で疲れて帰るの面倒くさいからホテルに泊まる」とか「実家に一旦帰ればスーツを持ってこれるけれど帰ってる時間がもったいないので新宿の伊勢丹でスーツを買う」みたいな使い方をしても一切文句を言われなかった。自分がカード破産しそうなのに会社名義のクレジットカードを何の遠慮もなく使っているのは不思議な感じだった。

衣食住にコストがかからない上に高給、しかも多忙でお金を使う暇もない。僕の口座にはものすごい勢いで金が貯まり始めた。

千載一遇のチャンスだった。これで借金を返す。僕は毎月の収入の8割を返済に充てることにした。嫌いな人間の機嫌をとって薄ら笑いをしたり、虎の威を借る狐のようだと卑下されながら稼いだ金のほとんどをカード会社のATMに突っ込むのは辛いものがあったが、みるみると減っていく借り入れ残高を見るのは自分のなかに溜まった鉛の塊が少しずつ消えて行くかのようだった。

借金は5ヶ月ほどで完済した。結局は親にもばれず法的な債務処理も必要なく僕は静かに社会復帰をしたのだった。

それから15年くらいの間、僕はクレジットカードを1枚も持たなかった。過ちをおかした自分への戒め、などと言う綺麗な理由ではない。クレジットカードという存在が忌避すべきものになってしまったのだ。僕にとっては毒物か劇薬といっても言い過ぎではなかった。まるで触れたら自分が溶けてしまうような。

昨今のネット決済の便利さもあり、さすがに今は銀行のキャッシュカードと抱き合わせのクレジットカードを1枚持ってはいるが、20年以上経った今でも未だに1,000円のものを買うだけで喉元にトゲが刺さるようなチリチリとした不安な感覚が起こる。一生無くなることはないだろう。

リョーコの名誉のために付け加えるが彼女が僕に金品を要求したことなど一度もなかった。彼女を大切にしているようで、本当は自分が愛されたいだけのひどく幼い青年が空回りをしていた。それだけの話だ。

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