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幻獣戦争 1章 1-1再起する夕暮れまとめ版

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1章 1-1再起する夕暮れまとめ版

 ……どうしたものか。
 フルベントシェイプに詰めた煙草に火をつけながら私は思案する。この地位になってからというもの、すっかり愛煙家になってしまった。それもこれも妻が昇進祝いにこのフルベントシェイプを贈ってくれたせいで、妻曰く貴方の地位くらいになるとパイプタバコが似合うわ。

 だとか……職業柄煙草はあまり好ましくはないのだが。シェイプに詰まった煙草に火が灯り、軽く何度か吸い火が安定している事を確認して、私は空いた手でシェイプを口から一旦手放し大きく煙を吐く。
「しかしどうしたものか……」
 そう呟き、私はシェイプを咥えなおして椅子に体を預ける。重量が加わった椅子はぎぃっと音を慣らし背もたれが沈みこむ。

 執務用デスクを覆うように備え付けられている部屋外周部の強化ガラスは、要塞外の景色を映し、眼下に広がる街並みはいつもと変わらない平凡そのもの。幻獣の襲撃を受けたとは思えない光景だ。いつもなら昼間は日差しが強いためブラインドを降ろしているのだが、今日は少しばかり景色を楽しみたい気分だ。

 私はここから眺める景色が好きで、この光景が瓦礫の山に変わるのはあってはならないと思っている。しかし、現実はいつそうなるか分からない。私は煙草を一度吸い、パイプ越しに煙を吐き出すと、椅子を反転させデスクに置かれた報告書と対峙する。先日合志近辺で発生した幻獣襲撃の作戦報告書だ。午前中知事に呼び出されたのもこの件の事で、被害地域の復旧を優先して欲しいと嘆願された。復旧前にやるべき事があるのだが、嘆願された以上復旧を優先せざるを得ない。彼が居なくなってから、私も随分と丸くなったものだ。

 改めてシェイプを咥えなおしデスクの報告書を手に取り確認する。幻獣と戦闘しているにも拘らず、人的被害が殆どない。これには流石と言うか彼の愛弟子だっただけの事はある。こちらの被害はほぼ物的損害と弾薬の消費のみで本当に優秀のように見える。そう、上辺だけなら。実際は目を覆いたくなるほど酷い。私は煙草の煙を吐き出しながら報告書をめくり、頭を抱える。今日何度目だろうか? この報告書に目を通すのは……この損害をみるだけで私はいつも夢ではないかと自問する。街は荒地を通り越して更地へと変わり果て、要塞の弾薬庫はすっからかん。彼も弾薬の消費は多かったが、彼女はそれ以上でこのままではいつか供給が追い付かなくなる日が来る。消費量からしてまた生産工場に増産を連絡せねばなるまい。

「やはり、後任を探すべきか……」
 人的被害と物的損害を天秤にかけるが、いつも同じ答えにしかならない。命は兵站より重い、重いが……私は読み終えた報告書をデスクに放り投げ、空いた片手でシェイプを口から離し大きくため息を吐いた。実はもう一つ気になっている情報が報告書には記載されている。
「まさかこんな日が来るとは……分からないものだ」
 そうボヤくとタイミングよく執務室正面右側にある入口ドアが開く。

「失礼します」
 声と共に見知った壮年の男性が入室して来た。壮年の男性は、執務用デスク正面に備えてある応接用ソファとテーブルの脇を通り私の前に立つ。
「若本君、彼の容体はどうかね?」
「はっ。外傷はなく、医官の話では極度の疲労状態でじきに目を覚ますだろうとの事です」
 吸い終えたシェイプを片付けている私の問いに、若本と呼ばれた男性はそう報告する。私が夢じゃないかと思っているのは、彼が戦略機に乗って幻獣を撃破したという事実。そんなことあるわけが無い。彼はそんなこと出来る状態でなかった――少なくとも4年前までは。

「そうかね。彼は今どうしている?」
 片づけ終えたシェイプをデスクに仕舞い私は若本君に目を向ける。脇に資料のようなものを抱えているようだが……
「今は情報部取調室に身柄を移しています……本部長。天宮陸将補の件は如何致しますか?」
 若本君は私を見据え答え、続けて訊いてきた。そうだ。例え彼だとしても、彼女は民間人に軍事兵器に乗るよう扇動している。
「……やはり、処分が必要か」
「心苦しくはありますが、処罰せねば他に示しがつきません」
 唸る私に若本君は続ける。若本君も内心では処分を下して欲しくないと思っていそうなものだが、表情から見るにそうでもないようだ……何か腹案でもあるのか?

「ところで、その脇に抱えている物は何かね?」
「本部長、これは私からの提案ですが……」
 興味本位で問う私に若本君は脇の書類を差し出して、さらにこう続ける。
「天宮を降格、謹慎処分とし部隊を一旦解散させ、新たな戦闘師団を編制しては如何でしょうか?」
「新生第一戦闘師団……」
「はい。その新たな師団長に……」
「――いかん! ダメだ! それだけはやってはいかん!」
 若本君の言葉を聞きながら私は書類をめくり――驚きのあまり思わず若本君の言葉を遮ってしまった。師団長の欄に彼の名前が書かれてある。これは了承するわけにはいかない。

「本部長。お気持ちはわかります。ですが――」
「彼はもう十分に戦っている。それで良いではないか」
 説得を試みようとする若本君の言葉を遮り私は怒鳴り気味に告げる。
「ですが本部長。我々には彼が必要です」
「そうかもしれん。だが、それでも同意するわけにはいかん。彼が望んで戻ってきたならわかりもするがそうではない」
 しかし、若本君はあくまで食い下がり言葉を続ける。そう、自発的ではなく偶発的な事故によりたまたま戻ってきているのだ。

「……本部長、我が軍には、いえ世界を見渡しても彼以上の先導者は居ない。私はそう思っております」
 若本君は努めて冷静に述べる。
「確かにそうかもしれない。しかしだな――」
「本部長。私は息子や孫にこの戦争を引き継がせたくありません。それは本部長も同じではありませんか?」
 渋る私の言葉を遮り若本君は語気を少し強め言ってきた。

「……そうか。君もそうなのだな」
 その言葉に私は白旗をあげる。その通りだ。私は私が生きているうちにこの戦争を終わらせたい。息子は間に合わなかったが、せめて孫には戦争のない世の中を生きて欲しいと思っている。これを言われてしまったら私は二の句を紡げない。

「しかし、傷ついた彼をもう一度担ぎ上げてしまったら、今度こそ本当に倒れてしまうかもしれん。そうなったらどうする気かね?」
「彼が倒れても我々が全力で支えれば良いだけです。既に準備は水面下で行われております。詳細は別の資料を後程持参致します」
 私の苦し紛れの問いに若本君は冷静に回答する。

「……まだある。最大の問題だ。彼をどうやって説得する?」
「それは私がこれから説得します」
 私の最大の問いに若本君はあっさりと答えた。
「そうかね、なら頑張りたまえ。首尾よく事が運んだら私のところに彼を連れてきてくれ。久しぶりに彼の顔が見たい」
「はっ! それでは失礼致します」
 私がそう言うと若本君は僅かに顔をほころばせるが、直ぐに引き締め敬礼すると執務室から退室していった。
「さて、彼に連絡しておいた方が良いな」
 私は持っていた資料をデスクに置き、備え付けの電話に手を掛ける。彼は何と言うだろうか?

  目を覚ますと俺は椅子に座らされていた。
 辺りを見渡しここが何処かを確認する……窓のない白一色壁に、学校でよく見かけるわかりやすいデスクと後ろに入口らしきドアがあるだけ。ここが取調室なのは間違いないようだ。ついでに腕に手錠もかけられていない……この間取り、自衛軍の施設だな。戦略機に乗っていたから当たり前の話ではある。問題はここがどの基地かという点……いや待て、自衛軍でこんな取調室の類があるのは情報部が設置されている所だけだ。九州で情報部が置かれている施設は一つしかない――

「九州要塞か……」
 思わずそう呟く。俺は意識を失っているうちに古巣に連れ戻されたらしい。となると、知っている人間がやってくる可能性がある。どうしたもんかな。
「目は醒めたかね、比良坂さん」
 対策を考える間もなく入口のドアが開き俺は目を向ける。現れた男は40代くらいで片手にノートを携えている。
「あんたは?」
 軽い調子で声をかけてきた男に問う。男は答えず整然とデスク向かい側の席に座り、ノートをデスクの手元に投げ、間を置かずしてわざとらしくわかるように大きくため息を吐く。

「私の名前は、若本(わかもと)勇司(ゆうじ)。君の取り調べを頼まれた者だ」
 男はデスクに片手を置き疲れた口ぶりで名乗る。
「俺は取り調べを受けるような事はしていないはずだがな」
 俺はデスクに手を置き軽い調子で言う。そう、実際していない。ただ、残念な事に処罰を受けることはしてしまっている。
「名前、比良坂(ひらさか)舞人(まいと)。15歳で自衛軍士官学校へ入隊。学科はそこそこ、実技はずば抜けて優秀。18歳で佐官教育課程士官大学へ編入、極めて優秀な成績で卒業。任官後は北海道、東北、関西、九州の数々の戦区において奇跡的な戦果を挙げる。隊員達の間では英雄と呼ばれ、神格視する者も少なくない。が、3年前突如退官。現在28歳、熊本県にある弾薬製造工場で従業員として働いている。この経歴に間違いはあるかね?」
 勇司は俺の言葉を無視して淡々と述べ訊き返してきた。

「一つ間違いがある。俺が辞めたの3年前ではなく、4年前だ」
「そうかね。だが、そんな事は正直どうでも良い」
 おどけてみせる俺に勇司はニヤリと笑みを浮かべ突き放す。
「だろうな」
「民間人の君が軍の兵器を勝手に使った。これは重罪だ」
 俺が頷くと勇司はわかっているだろうが、と告げてきた。
「5年以上10年未満の禁固刑だな。喜んで牢に入るよ」
「だろうな。私が君の立場でもそう答える。塀の中の方が安全だからなぁ。しかし、軍に大人しく堀の中に入れるほど余裕があると思うかね?」
 あっさりと返答する俺に、勇司は何処か芝居じみたように肩をすくめ訊き返してきた。

「重犯罪者と同様に幻獣の餌にでもするのか? どちらでもいいぞ」
 俺の質問に勇司はさらに大きくため息をつく。そこで気づいた。こいつも英雄をやっているんだなと。
「……だろうな。私も君と同じ心境なら同じ事を言うだろう」
 わかっている。そう勇司は疲れた素振りを見せ言葉を紡ぐ。
「あんたも疲れているんだな」
「君ほどではないがね」
 俺の同情を勇司は軽く返し肩をすくめてみせた。

「それで結局俺はどうなるんだ?」
「まあ、待ちたまえ。現在の幻獣戦争において君は文字通り表舞台の英雄だ。この事実は生きている限りずっと多くの人間の胸に残り続ける」
 改めて答えを促す俺を制止して、勇司は何処か褒めたたえる弁舌を披露し見つめる。

「嫌な事実だな」
「対して私は裏舞台の英雄なわけだ。世界の裏側で数々の事件を歴史の闇に葬ってきた……ああ、間違えないでほしい。別にダークヒーローを気取るほどねじ曲がってはいない。君の心境がわかる程度の同じ裏側にいるだけの英雄さ」
 俺の嫌みに頷き私は味方だと勇司はおどけてみせた。何が言いたいんだ?
「なんだ、恨み言でも言いたいんじゃないのか?」
「いいや、むしろ同情している。私はまだ君ほど疲れていないが、仲間からの信頼は重荷だろう?」
 俺は探りをいれるように問うが、勇司は被りを振って応じる。この男も理解しているのだ。英雄の苦悩を。

「ああ。なぜ皆俺達を残して逝くんだろうな」
 俺は昔を思い返し呟く。在りし日の光景、仲間と共に戦った時間。俺は戦場で泣き、苦しみ、喜びを分かあい、色あせない大切な思い出の殆どは戦場と共にあった。
 が、それもすべて戦場で失った……残された俺にこびりついているのは、仲間との約束と願いだ。俺は何をしているんだろうな。
「そうだな、それについて気づいたことがある」
 勇司はそんな心情をおもんぱかっているのか、沈痛な面持ちで言う。
「何にだ?」
「皆私達と同じように鬱病なのだろう。鬱状態ではなく躁状態のな。だから、自分の行動に酔って死んでいったんじゃないか。とな」
 俺が訊き返すと勇司はふっと笑い答えた。こいつは何を言っているんだ?
「ふふふ……はっはっはっは。なるほどな!」
「そう、まだ君は生きているのだ。もっと笑うべきじゃないかね?」
 突拍子もない勇司の回答に笑ってしまった俺に、勇司は少しまじめな顔をして問う。

「かもしれないが、戦友の死が俺から笑みを奪っていったんだろうな」
「そうだな、私もそうだった……どうしようもなくなったら女を抱くと良い。気持ちが幾分晴れるぞ」
 ひとしきり笑い寂しく答える俺を勇司は静かに言い微笑む。こいつ相当な色男だな……
「女ねぇ。実はあんた裏で随分と良い思いしてきたんじゃないか?」
「よく言われるがそうでもない。しょっちゅう死にかけて、同僚に『あいつは大丈夫だ。脱出するぞ!』といった感じで見捨てられ帰還すると、知らないところで一緒に組んでいた同僚が死んでいてな。本当に始末に負えんよ」
 俺が茶化すように言うと何処か拗ねたように勇司は答えた。その様に俺は納得する……やっぱり同類なのか。

「すまない。それを聞くと笑えてきてしまうのだが」
「ふふ、そうだな。お互いに愚痴で盛り上がりたいところだが本題に戻ろう」
 その姿が浮かび笑えて仕方がなく、精一杯堪えながら答える俺を勇司はふっと笑みを浮かべ改めて提案する。
「ああ。それで俺の処分は?」
「上層部は君に対しての処分は下さない事を決定した。しかし、74式に乗って戦うように扇動した天宮麗奈陸将補は、民間人を扇動したとして降格処分を下される」
 俺は簡潔に結論を促すように質問するが、勇司はあっさりと答える。
「そうか……まあ仕方ないな」
「肝心の君の処遇だが、上層部は現隊復帰を希望している」
 俺が頷くと勇司は続けて選択権があるように述べてきた。

「やっぱそうなるのか……」
「そうだ。君が退官してから戦況が著しく悪化している。特に東北、関西は自衛軍の損耗が激しく、学徒動員を真剣に検討している動きがある」
 困惑する俺の反応は折り込み済みのようで、勇司は淡々と言葉を続ける。退官してもう4年になるのに今更復帰を求められてもなぁ。
「冗談だろ! 国連軍を頼れよ!」
「正確に言うと頼っている。それでも足りない。というよりかは、どうも自前で何とかしたいという腹積もりがあるようだ。こちらの件は私が責任をもって潰すので心配はしなくて良い」

 馬鹿じゃねえか! と、声を荒らげる俺に、勇司はわかっていると同意交じりに答える。自衛軍の唯一良い点は志願制という点だ。それ潰して徴兵ではなく学徒動員をするなど許されて良いわけがない。
「……あいつなら英雄になれたはずだったんだがなぁ」
「麗奈君はよくやっている。君と同じように各地を転戦していくつもの戦果を上げている。だが、彼女には欠けているものがある」
 俺は天宮のことを思いながら呟く。それを察してか勇司は頷きながら指摘する。

「精霊か」
「そうだ。君を失ったことにより彼女は悪しき夢に引っ張られている」
 俺が指摘返すと勇司は頷く。俺のせい……いや責任問題か?
「そいつは最悪だな」
「そうだ。これは私に協力してくれている精霊からもたらされた情報だ。間違いではない」
 俺は気づいていない素振りを見せ答える。しかし、勇司は気にせず淡々と続けた。
「だからあんたも俺を復帰させたいと?」
「違う。正確には私と一緒に復帰してもらう」
 俺は意を決して問う。すると勇司は軽く否定し宣告した。

「おい、まさか――」
「既に上層部には君を司令とした部隊再編を具申した。その部隊には私も含まれている」
 俺の言葉を遮り勇司はさらに続ける。
「……あんた何をする気だ?」
「英雄がすることは一つしかない」
 俺は呆気にとられ訊き返すのが精一杯で、訳が分からなかった。民間人を将官に復帰させるとはどういうつもりだ? そんな俺に勇司は至って真面目に断言する。

「冗談だろ。あんた本気で世界を救えるとでも思っているのか?」
「無論だ。君もそうだったのだろう? 比良坂陸将」
 そんな俺に構わず勇司は真顔で答える。こいつ本気だ。
「道理で軍籍が残っているわけだ」
「今回の件で君はまた昇進する。そこに元部下、元幕僚が君の下に再び集う。今回は私も参加する。政治、事務方は任せてくれたまえ」
 俺は諦め交じりに呟く。74式に乗った時から嫌な予感はしていた……が、これは最悪だ。勇司はうなだれている俺を尻目に胸を張る。頼もしい限りだ。大体こういう場面では大概のやつは胸を張るんだよ――で、その後で化けの皮が剥がれて結局全部やる羽目になるんだよなぁ……本当に大丈夫なのか?

「昔のような不都合は起こさせないと?」
「勿論だ。それに、表と裏が手を結べば最強とは思わないかね?」
「最強どころか反則だろうよ」
 確認するように問いかける俺を勇司はわかっていると言いたげに答える。俺はあまりの劇的な修正具合に茶化すことが精一杯で、もしかすればこれは精霊の仕業かもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった。
「それにだ。4年も休暇を貰えば十分ではないかね?」
「あんたにそれを言われると何も言えねえよ」
 勇司のトドメとも言える問いに、俺は軽く拗ねる事しかできなかった。

 勇司と一緒に取調室を出た後、そのまま九州要塞司令部作戦本部長室へと連れていかれ、本部長室前で勇司は仕事があるんでな。そう言葉を残し去って行った。俺はドアの前で軽く息を吸い本部長室へ入室する。本部長室は入口ドアの正面に作戦本部長が座る大型のデスクと、その手前に応接用のテーブルとソファが置かれ、部屋の奥壁は一面強化ガラスで作られた壁で覆われ、日差しがデスクを射すように設置してある。

 入室してすぐ懐かしい背中が俺を迎えてくれた。田代(たしろ)誉司(たかし)作戦本部長。九州地区における軍の最高責任者だ。4年前に比べ白髪が増えているようだが、一目見ればわかる昔のままの姿。本部長はデスクから席を外して窓際に立ち沈む夕日を眺めているようだ。
「……君が幻獣を倒したという報告を受けたとき、何かの間違いかと思ったよ」
 本部長は背を向けたまま、入室してきた者が俺だと気づいてるのか言葉を紡ぐ。
「さあそんな所に突っ立ってないで、こっちに来て座りたまえ」
 本部長はこちらに振り向き薄く微笑み言葉を続け、応接用のソファへ座り直す。俺は黙って対面のソファに着座。罵声のひとつでも受けると思っていたが、むしろここからか?

「もう夕暮れでしたか……通りで腹が減るわけだ」
 俺は何気なく言った。他に尽くせる言葉がでなかった……謝るとこでもないが沈黙が辛い。
「ん? ああ、じきに出前が届くよ。無論君の分もな」
「ありがとうございます」
「さて……今回の件だが君が戦ってくれたおかげで大分助かった。ありがとう」
 本題に入りたかったのか、礼を軽く受け流し本部長は口火を切り、笑みを向けてくれた。

「いいえ。元自衛軍軍人として当然のことをしたまでです」
「がっはっはっは。本音は?」
 被りを振る俺を見て本部長は嘘を吐くなと噴出する。冗談だとわかっているからだ。
「ついてなかったな、ってとこですかね」
「それを聞いて安心したよ。いよいよ本当に壊れてしまったかと勘違いするところだったぞ」
 苦笑いで答える俺に本部長は軽口を叩き、本題に入りたいのか笑みを消す。

「酷いですね」
「誰かさんが退官したほどではないと思うがね」
 俺の呟きに本部長は伏し目がちに言う。出来れば笑い話で終わってほしかった……
「やっぱり怒っていますか……」
「いや違う。すまなかった。やはりまだ本調子ではないようだな」
 俺の反応に慌てて本部長は取り繕う。きっと軽く返して欲しかったのだろう。この4年間ずっと負い目を感じていた。卑怯者と罵られればその通りで、どんな理由があろうと逃げた事実は変わらない。

「俺には答えようがありません。昔の俺はもっと明るかったですかね?」
「どうだろうな。少なくとも今の君のように目が泳いではいなかったよ」
 困り気味に言う俺の目を見て本部長はそう答える。今の俺はどういう顔をしているのだろうか? わからない。
「そうですか……」
「話を戻そう。実は助かったという言葉にはもう一つ意味がある」
 俺の相槌に軽く咳払いすると、改めて本部長は言葉を続けた。
「それは一体?」
「麗奈君の事だ。正直扱いに困っていたところでね。君の下に戻るおかげで我が軍は元気になる」
 俺の問いに本部長は困った顔をして言う。

「何故ですか? あいつは頑張っていたはずでは?」
「勿論そうだ。君とほとんど変わらない戦果を挙げてくれている。ただ、問題があってだな……」
「問題とは?」
 本部長の言葉が気になり俺はさらに質問を続ける。あいつは何をやったんだ? どうしようもない疑問が俺の中に沸いてくる。
「……君の勤めていた工場は弾薬を生産していたな?」
 本部長は少し考え遠回しに質問する。その通りだが、何の関係があるんだ?
「はい」
「最近、仕事が忙しくなかったかね?」
 即答するが同時に気づいてしまった。本部長は、もうわかるだろう? と質問を続ける。

「まさかとは思いますが、もしかして……」
「彼女は君以上に大食感でな。君が大食らいならさしずめ彼女はブラックホールといったところだな」
 俺の言葉に本部長は困り気味に苦笑いする。
「なるほど。ですが、隊員が減るよりマシでは?」
「それはそうだ。現に彼女は最小限の損害で最大限の戦果を挙げてくれている。それは間違いない。しかしなあ、私はいつも彼女の報告書を何度も見返してしまうのだよ……これが現実なのかとな」
 俺の尤もな投げかけに本部長はそう答え消沈する。あいつはどれだけ弾薬を消費しているんだ?

「なるほど。別の言い方をすれば、最大限の消費で最大限の戦果を挙げ続けているわけですか」
「相変わらず飲み込みが早くて助かる。私も真剣に悩んでいたのだよ」
 俺の言い換えに本部長は真顔で答えた。彼女を後方に回すか本気で検討していたのだろう。弾薬の消費が激しいという事は後々部隊に供給できる弾薬が減るということ。それは最終的に人員の損害を呼び敗北を意味する。
「そんな時に私がやらかしたと」
「そうだ。無理強いしているのは理解している――しかし、人類には君が必要だ」
 寂しく笑う俺に本部長は何処か躊躇いがちに言う。この人も英雄なのだな。昔の俺と同じで諦めが悪く今も戦っている。

「そうですか……」
 しかも、この人は今この時点でも迷っているのだ。俺を呼び戻すべきか……断りたい。逃げたい。が、逃げるわけにはいかない。だって――
「不甲斐なくてすまない。だが私は……孫の世代にまでこの戦争を受け継がせたくはない」
 本部長は申し訳なく吐露する。この人は、俺があけた穴をどうにかしようとしていたのだ。ずっと。それだけで涙がでてきてしまいそうになる。不甲斐なくて申し訳ありません本部長。

「人類は、勝利できると思いますか?」
「君達が手を組めば必ずできる」
 俺の問いを本部長は断言する。その瞳に真剣さが混じっているのがわかる。顔を上げなければいけない――心情的な意味で。無理やりにでも俯くのを止めなければいけない。
「私が逃げた事……怒らないのですね」
「誰だって逃げたい時はある。へこたれる時もある。死にたくなる時もある。それでも、人類は、人間は、漢は立ち上がる。私はそう信じている」
 冗談交じりに呟く俺を本部長は微笑み鼓舞する。出来れば怒ってほしかった。そうすれば幾分かまだ気持ちが楽だっただろう。

「……」
「さて、比良坂陸将。君の部隊についてだが」
 沈黙する俺に軽く咳払いして本部長は話題を戻す。
「……はい」
「ああ、安心してくれ。まだ君の幕僚達は誰も死んではいない。現在九州の各駐屯地でそれぞれ部隊長、あるいは指揮官勤務についている。これを全て君の揮下に戻す。若本君がその再編を急いでくれている」
 緊張気味に返事をする俺に本部長は察してか先にそう言ってくれた。

「はい」
「君に預ける将兵は直轄の陸上部隊1個師団、加えて航空から10個編隊、海上からは7艦隊の支援を取り付けている」
「待ってください。航空、海上の部隊は要塞規模の戦力です。どこから引っ張ってくるつもりですか?」
 本部長の言葉に驚き俺は思わず訊き返す。陸上部隊は九州要塞の陸上総兵力の3割。ここはまあわかる。しかし、航空部隊と海上艦隊は要塞戦力の半分を超える。

「はっはっは。君はたまに鈍感な時があるな。わからないかね?」
「まさか――」
 何を今更、と本部長は笑う。俺は気づいた。この人は……
「私は、君達に賭ける事にした」
 本部長はそう言葉を紡ぐと、俺の肩を軽く叩く。
「……」
「微力を尽くします。そう言えない君だからこそ、私は信頼することが出来る。責任は私が持つ――頼む」
 返答できない俺にまるで全てを託すと言っているかのように、本部長は笑顔で告げる。博打すぎる。もし俺達が敗北すれば九州地方における殆どの戦力を失うことになる。

「……わかりました」
 俺は頷くことしか出来なかった。勇司もそうだがこの人も本気のようだ。本当に俺で良いのだろうか?
「では陸将。これからの予定だが、君には4年分の座学を受けなおしてもらう」
「――はぁ」
「不服そうだが、4年も離れればやり直しをしておいたほうが良いと思うが?」
 拍子抜けする俺に、嫌かね? と聞きたげに本部長は問う。

「感謝します!」 
「よろしい。今丁度初等教育を受けている隊員達がいる。明日彼らと一緒に学ぶと良い」
 説教されそうな気がした俺はしゃっきりと返答する。それを満足げに頷き、本部長は面白そうに笑みを浮かべる。
「いや、それは……」
「はっはっは。そう渋い顔をするな。良い刺激になるぞ。さて、そろそろ飯が来るな」
 嫌そうな俺に本部長が語り掛けると丁度ドアが開き、鮨桶をもった隊員が入室してきた。えらくタイミングが良いな。と、思わず目を向けてしまう。

「今日は私のおごりだ。鮨を頼んである。たらふく食べたまえ」
 本部長はお茶を淹れようとそう言って席を立つ。
 俺は素直にご相伴に預かることにした……明日から面倒になりそうだ。 

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