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First Hunt-「いただく」ということ

山奥の道を車で走っていた。人里離れたそこはとても静かで、小さな集落が1キロほど離れたところにあるくらいだ。この日は鴨撃ちの場所探しのため鳥が居そうな池を転々と回っていた。程なくして前を走っていた他県ナンバーの車が川沿いで停車した。ふと右の川を見ると、雪に深く覆われた丘の横で鹿がじっとこちらを見ていた。その姿は美しく雪山の間に凛々しく佇んでいた。僕も車を路肩に停め、車内からその光景をじっと眺めていた。前の車からは子供を抱き抱えた父親と母親が出てきた。暫くしてその家族は車へと戻りその場を去っていった。

「もし獲ったとしたら、食べたいですか。」
僕は同乗している友人に尋ねた。
「はい。」
友人はそう答えた。

ハンターマップで現在地が狩猟区であり近くに民家がないことを確認すると、後部座席から銃を取り出しオレンジ帽とベストを着用して車外へ出た。鹿はゆっくりと川を下り、丘の向こう側へと歩いて行った。友人にここで待つよう伝え、少し歩いた下流のガードレールを跨ぎ、道路から見えない丘の裏側まで進んだ。膝まで埋もれる雪の中を上流へと川沿いに進むと15mほど先にさっきの鹿が土手の影から上半身だけのぞかせて水を飲んでいた。2又の角を持つその若い雄鹿の大きさと美しさに僕の頭の中はすっと穏やかになった。その姿を見ながらゆっくりと煙草に火をつけた。

「農作物への害獣被害」「近年になっての鹿の異常な流入」「狩猟者としての心得」など、先輩ハンターや周囲の農家からの言葉を思い出しながらも「こっちに気付いてくれ。」とも同時に願った。大きく息を吸い込みゆっくりと煙を吐き出しながら弾を二発込めた。それでも尚こちらに気づかない鹿に、わざとらしく大きな音で先台をスライドさせた。「ジャキン」という金属音が水の流れる音の間に響き渡った。ようやく鹿はすっと頭を上げ、ただ静かにこっちを見つめる。半身が雪に埋もれて跪きながら目線は逸らさず煙草の吸い殻をポケットに入れ、そっと目を閉じて手を合わせた。「どうか今のうちに逃げてくれ。」そう心の中でもう一度願った。

目を開いたと同時に銃を構え、さっきまでと同じ姿で佇む姿に向けて引き金を引いた。すかさず鹿は土手の向こうへ逃げ出した。「半矢(負傷した状態)で逃すわけにはいかない。」そう思って必死で雪をかき分けながら追ってからは覚えていない。気付いたら道路からは見えない丘の裏側で息絶えていた。その胸には前と横から撃たれた二発の銃跡があり、どちらも心臓を撃ち抜いていた。

この命を無駄にしない。魚を捌く時も、スーパーで肉を買う時も同じ気持ちだと思っていた。ただ、正直その深さが全然違った。もう一度手を合わせてから血を抜いて内臓を取り出し、先輩猟師に連絡した。手足を縛って担ごうとしたが全く持ち上がらなかった。日頃から丸太やバイクを持ち上げているので決して非力ではないと思うが、それでも10センチ程浮かすのがやっとだった。先輩が到着するまでの間に川の流れを使って移動させ道路近くの土手まで引きずり上げた。程なくして到着した先輩の指示のもと車に乗せ、解体を手伝ってもらった。



その肉を今、自宅で捌いている。家族や友人が美味しく食べれるように。

あの時の目はもしかしたらこうなる事を悟っていたのかもしれない。僕に感動を伝えたかったのかもしれない。さっきの家族や他の観光客に無残な姿を見せないように、最後の力を振り絞って丘の影で息絶えようとしたのかもしれない。

それでも僕は、人に慣れてしまった、人を恐れなくなった鹿を里に向かわせるわけにはいかなかった。

正直、何が正しいのかはわからない。

ただその時は、「ハンター初年で一人で鹿を仕留めるなんてすごいね!」と褒めてくれた先輩の言葉だけが心の救いになった。


肉になってからの感謝の背景には、命を戴いた誰かがいることを忘れてはいけない。


「世の中やらなくてもいい事」なんてたくさんある。学校の勉強だって、大切な人へのプレゼントだって、感謝の言葉だって、今の時代は無くても生きてはいける。ただ、それらを実際にやった先で本当に理解する事で人は成長するんだと思う。そして何かをまた他の誰かに伝えることができるんだと思う。


僕は自分が長く生きることよりも、感動を多く伝える事に集中したい。


北陸・石川県に移住して8年が経った。東京で生まれ育ちながら感じた「違和感」が「もったいない」に変わり、今ここで「価値」に変化しつつある。それを然るべき人へ伝えられるよう日々を過ごしたい。

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