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#006-人類史としての農業、そして農耕民

暑くなってきました。連休中も基本的には毎日仕事に来ています。農業という仕事は決まった休みが無く、繁忙期は3〜4ヶ月無休のこともありますが、その分1日の労働時間は短めです。

個人差が大きいと思いますが、私の場合はビニールハウス内での作業時間は長くても1日5時間程度で、それ以上は体力が保ちません。

人類史としての農業

いきなり大袈裟な話になります。
人類が農耕を開始したのは約1万年前だそうです。
その後、狩猟採集生活を送る集団は減り続け、歴史を通じてほとんどの人類が農耕に従事してきました。

かつては、狩猟採集社会より進化し良くなった社会として農耕社会は捉えられてきました。欧米的な「進歩主義」の価値観なのかも知れません。

そんなに幸せでない農耕社会

しかしここ20年くらいの研究では、先史時代の農耕民は狩猟採集民より不健康で、飢餓・病気・暴力沙汰が多かったという説が主流のようです。

ジャレド・ダイアモンド著「第三のチンパンジー」や、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」などで、その辺りの事が語られています。
農耕の開始によってヒトという種全体は大いに繁栄したものの、そこに属する個人の幸福度は下がったという皮肉です。

格差(そして豊かさ)の誕生

幸福度が下がった要因の一つに農耕生活に伴う身体への負担があります。
ヒトは類人猿から分化して約700万年間、狩猟採集民として環境に適応してきました。身体の構造がそもそも農耕を想定していないので、肩や腰に過度の負担が掛かってしまうそうです。

また農耕により余剰作物ができたことで、貧富の差が生まれ階級が出現します。職業軍人も養えるようになり、争いも狩猟採集社会より増加しました。
一方、余暇を活用できる人間が出現したからこそ、芸術や発明、学問が発展しました。

現代の農耕民

現代の農業者は、過去の夥しい先輩たちの苦労から生み出された知見と、余暇を活用して生み出された科学技術の両方を利用できます。かつてほとんどの人類にとって農業は生活であり人生そのものでしたが、今は選択できる職業の一つになりつつあります。

しかし私としては、職業の一つとして農業を選んだという訳ではありません。以前の記事(#002)でも「農業を選んだのはそれが自然に感じたから」と書きました。
過去の農耕民に比べれば格段に様々な要因に恵まれており恐縮ですが、どちらかと言えば、自分自身をことは現代の農耕民であるように感じています。


[本日の参考文献]

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