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日本の男性アイドルデュオの遍歴

前回、「韓国の男性アイドルデュオの遍歴」という記事を紹介しました。日本ではお隣の韓国よりも先にアイドル文化が発展していたため、男性デュオの数も他の国に比べて多い方だと言えます。今回は日本の2人組の男性アイドルデュオをご紹介します。

★結成またはデビューした時点で2人組だったグループの一覧
(メンバーの脱退・交代で後から2人組体制になったグループなどは除く)

●狩人

1977年にデビューした男性アイドルデュオ。メンバーは、加藤久仁彦と加藤高道の兄弟で構成される。結成のきっかけは、デビュー前に久仁彦と高道が2人ともソロ歌手を目指して同じ音楽学校に通っていたが、経済上の事情から継続することが出来なくなり「もう辞めたい」と講師に申し入れたところ、「兄弟デュオでやるのならば1人分の授業料で構わない」と慰留したことがきっかけだったという。兄弟仲が非常に悪かったことでも有名であり、「仕事の直前まで口論」・「本番前に取っ組み合って、顔に傷がついた」・「一緒に取材を受けていても机の下では蹴り合った」という逸話がある。彼らのデビュー曲である「あずさ2号」は狩人の代名詞のような存在となった。一般的には歌手のイメージが強いが、デビュー当初はアイドル的な人気を博した。

●リトルギャング

1975年にジャニーズ事務所からデビューした男性アイドルデュオ
ジャニーズ事務所において最初のデュオグループであり、メンバーは松原秀樹と曽我泰久の2人。メディアなどでは97年デビューのKinKi Kidsがジャニーズ初のデュオグループと報じられることが多々あるが、それは誤りである。リトル・ギャングは変声期前の高音ボーカルが売りだったが、松原が半年も経たずに変声期になってしまい、人気が低迷。シングル2枚とアルバム1枚を残しただけで結果的には「企画モノのアイドルユニット」的な存在になってしまった。以後、ジャニーズ事務所は同じ2人組のKinki Kidsを売り出すときに、単なる企画モノユニットで終わらせないようにと、リトルギャングの反省を活かし、送り出した。

●ザ・ぼんち

1980年代前半の「漫才ブーム」で人気を博したお笑いコンビ
本来はアイドルではなくお笑い芸人であるが、女子学生のファンを多く獲得し、デビューシングル「恋のぼんちシート」も約80万枚を売り上げ、大ヒットを記録。日本武道館でコンサートを行うなどアイドル的人気を得た。また武道館でコンサートを開催した漫才師は、ザ・ぼんちが初だった。

●とんねるず

1980年代初頭に起こった漫才ブーム衰退後の日本のお笑い界の新世代を代表するお笑いコンビで、80年代中盤から破竹の勢いで時代を席巻していった。本来はお笑い芸人であるが、楽曲を発表したり、バラエティやドラマ、そしてメンバーそれぞれがソロでも活躍するなどアイドルのような人気を博した。ウッチャンナンチャンやダウンタウンらと共に「お笑い第三世代」と称され、現代のお笑い界に大きな影響を与えている。

●ABブラザーズ

1985年に結成された男性お笑いコンビ
メンバーは、アイドルの様な笑顔と砕けたトークを武器にしていた中山秀征と急にアドリブを振っても切り返しが早く、機転の利く松野大介。女子中高生を中心に人気を博し、アイドル雑誌にも取り上げられたり、写真集発売記念の握手&サイン会には数百人が集まり、当初予定していた会場には収まりきらず急遽会場を変更するなどアイドル的人気を得た。

●L.L.Brothers

「天才たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」でアイドル的な人気を博し、1991年にCDデビュー。ミュージックステーションなどの音楽番組やドラマでも活躍した。その後、自身が追い求める音楽スタイルへの転身と共に、自らで芸能活動から徐々に退き、シンガーソングライターとしてゼロからの挑戦をスタート。この頃から主にアメリカ南部のR&Bやラップに傾倒し、本場を意識した音楽性を目指し音楽家に転身。日本人離れした体格とボーカルで魅せるライブパフォーマンスには定評があり、また提供曲から彼らを知るなど、現在もR&B、HIP HOPシーンでは人気を確立したアーティストである。

●猿岩石

1994年に結成されたお笑いコンビ
グループ名の由来は、中学校の同級生の女の子のあだ名、「猿女房」・「ほくろ岩石」の猿と岩石をくっつけて出来た。猿女房は「猿に似た男の子とつきあっていた」から、ほくろ岩石は「岩石みたいなほくろが顔にあった」からついたあだ名とされている。テレビ番組「進め!電波少年」の企画でだまされて香港(当時:イギリス領)に連れてこられ、香港で「イギリスまでヒッチハイクで行け」と告げられ、旅が始まる。過酷な旅の模様は徐々に人気を博していくこととなり、1996年10月に無事ロンドンにゴールした頃には2人は全国的な知名度を獲得していた。

ミュージックステーションに初登場した際の猿岩石

ヒッチハイクの内実を記した書籍「猿岩石日記」もシリーズ累計で250万部のベストセラーを記録、デビューシングル「白い雲のように」もヒッチハイクを連想させる様な曲でミリオンセラーになり、1997年の「第39回日本レコード大賞」の新人賞を受賞。お笑い芸人であるが、一時はアイドル的な人気を博した。

●グレートチキンパワーズ

1994年に結成されたお笑いコンビ
高校生のときにK-KiD'sという名前で結成され、ストリートパフォーマンスを経て、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のお笑い甲子園全国大会に出演し優秀賞を受賞する。1993年に結成されたKinKi Kidsとコンビ名が似ていて紛らわしいとジャニーズ事務所から申し立てがあったため、「グレートチキンパワーズ」に改名。お笑い以外にも、それぞれが俳優として多くのテレビドラマや舞台などにも出演。1995年には、シングル「MIX JUICE」でCDデビュー。ミュージックステーションなどの音楽番組にも出演し、芸人というよりもアイドルのようなポジションで活躍した。

●LAZY KNACK

1995年にスターダストプロモーションからデビューした2人組の音楽ユニット。1995年、浅倉大介プロデュースによるシングル「CRYSTAL GAME」でデビューして以降、8枚のシングルと3枚のアルバムをリリースした。しかし、大きな人気は得られず、1997年に解散。アーティスト的な印象が強いが、メンバーたちのルックスからアイドル的な人気を得ていた。

●Kinki Kids

1997年にジャニーズ事務所からデビューしたアイドルデュオ
ジャニーズ事務所としてはリトルギャング以来、2組目のデュオグループである。デビュー前は、関西出身という事から笠置シヅ子の楽曲や関西弁の歌をカバーしたり、シブガキ隊や忍者のようなイロモノからユーロビートなど試行錯誤していたが、デビューするときに山下達郎プロデュースで正統派の歌謡曲路線に変更し、大ブレイクする。ソロとしての活動も幅広く、ドラマ・バラエティー・司会等で、1990年代後半~2000年代前半まで人気を博した。

●pool bit boys

1997年にデビューした男性2人組の音楽ユニット
テレビ東京のバラエティ番組「ASAYAN」の企画「男性ヴォーカリストオーディション」から誕生、プロデュースは浅倉大介。グループ名は、コンピューターにおける情報の基本単位「bit」=かけら、「pool」=ためるなどから「少年のキラキラ感をためる」という意味と、ポケベル世代の2人ということで「p.b(ポケベル)少年」などの意味を込めて、音楽プロデューサーの浅倉大介が命名した。2001年の解散までにシングル7枚、オリジナル・アルバム2枚、ベスト・アルバム1枚を発表した。

●ロンドンブーツ1号2号

1993年に結成されたお笑いコンビ
ブレイク前にテレビ番組「タモリのSuperボキャブラ天国」に出演。芸人がネタの評価を競うスタイルが後に人気となるが、その初期の出演者の1組だった。ネタには(オチのフレーズが)長文のものが多く、高評価を得ることもあった。1990年代後半、淳の赤髪と亮の金髪がトレードマークであり、パンクロック風のファッションも相まってブレイクする。ブレイク時は主に深夜番組で人気を博していた。2000年にはエイベックスから「岬」で歌手デビューもしており、若者からアイドル的人気を得た。

●CHEMISTRY

2001年にデビューした男性ボーカルデュオ
テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」が行った男性ボーカリストオーディションで選ばれた2人により結成される。2人の声が「音楽的化学反応」を起こすことを期待して「CHEMISTRY」(化学の意味)と名づけた。デビューシングル「PIECES OF A DREAM」は、発売6週目でオリコン1位を獲得。これはジャニーズ事務所所属のアイドルを除けば男性ボーカルグループとしては21年ぶりという快挙であった。その後ロングヒットとなり、発売15週目にミリオンセラーを達成。また、同年11月に初のオリジナル・アルバム「The Way We Are」を発売、トリプルミリオンを記録。このアルバムのセールスで、オリコンに於ける男性アーティストのデビューアルバムとしての歴代1位記録を樹立。「第52回NHK紅白歌合戦」にも初出場するなど、この年は「CHEMISTRYの年」と呼ばれた。アーティストのような印象が強いが、メンバーのルックスも良く、若い女性たちにも人気があったことからアイドルのような側面もある。

●タッキー&翼

2002年にジャニーズ事務所からデビューしたアイドルデュオ
ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川は当初、滝沢と今井のソロデビューを計画していた。しかし滝沢がソロデビューの発表を聞いた後、今井に「俺たちグループにして貰おう」と誘い、話し合いの末に2人での活動希望をジャニー喜多川に直談判し、デュオで活動することになった。リトルギャング、Kinki Kidsに続いて3組目のデュオグループであるが、10代でデビューした以前の2組とは異なり、滝沢と今井はデビュー時点で20代前半であった。音楽面でもあまり良い成果が残せず、一般的にはB級アイドルのような立ち位置で活躍した。

●WaT

2005年にデビューした男性アイドルデュオ
2002年、ウエンツ瑛士と小池徹平がストリートミュージシャンとして結成、グループ名は、「Wentz and Teppei」に由来する。デビュー前から路上ライブや学園祭に出演するなどの活動をしていた。インディーズデビューイベントでは平日にもかかわらず、5,000人を超すファンが集まり、人気を集める。デビュー以後、メンバーそれぞれがバラエティ、司会、ドラマ等でも活躍、NHK紅白歌合戦にも4年連続で出場した。しかし、大衆的な人気は得られなかったため、B級アイドルのイメージが強い。

●修二と彰

2005年にジャニーズ事務所から結成された男性アイドルデュオ
テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」での共演をきっかけに、亀梨和也と山下智久によって結成。ユニット名は劇中で、亀梨が演じた「桐谷修二」と、山下が演じた「草野彰」から取り、ジャニー喜多川が名づけた。ドラマの主題歌だった「青春アミーゴ」は、ミリオンセラーの大ヒットを記録した。

●テゴマス

2006年にジャニーズ事務所からデビューした男性アイドルデュオ
NEWSのメンバーである手越祐也と増田貴久で結成、ユニット名は2人の名字「手越(テゴシ)」「増田(マスダ)」から2文字ずつ取り、「テゴマス (Tegomass)」と名付けられた。また結成の際に歌唱力も考慮されたという。デビュー曲の「ミソスープ」はオリコンシングルチャートで1位を獲得し、彼らの代表曲となった。

●さくらしめじ

2014年にスターダストプロモーションからデビューした男性フォークデュオ。スターダストプロモーションの若手男性タレント集団「EBiDAN39&KiDS」から選抜された、初のフォークデュオである。さくらしめじの他に、「ガク&ヒョウガ」や、「ヒョーガク」、「しめじ」と呼ばれることもある。2014年6月、「ガク&ヒョウガ」として結成。ストリートライブなどを行いながら人気を集め、デビュー。ももいろクローバーZ、超特急、DISH//、チームしゃちほこなどを送り出したスターダストプロモーション所属のグループの中で「フォークデュオ」という珍しいポジションで活動している。

●北の打ち師達

2010年から活動している男性Youtuberデュオ
人気楽曲などでパフォーマンスしたヲタ芸動画や24時間生活・1週間生活企画などで主に女子中高生から人気を得た。メンバーの1人である"はるくん"は、KAT-TUNの赤西 仁に似ているという意見もある。独自性の高いユーモアなネタと高い編集技術に定評があり、2021年3月時点でメインチャンネルとサブチャンネルのチャンネル登録者数の合計は約128万人、動画再生回数の合計は5億5000万回を超えている。

●スカイピース

2016年に結成された男性アイドルYoutuberデュオ
メンバーはテオと☆イニ☆の2人組で、コンビ名は、「空にピースをしている画像」を見るのが好きだったテオくんが名付けたもので、ピースをしている画像は空が背景になっているものが多いことから、「みんな繋がっている」という意味を込めている。また、「笑顔になってもらえる存在になりたい」とも語っている。ファン層は主に10代の女子小中高生が中心であり、2017年にはソニー・ミュージックエンタテインメントよりアーティストとしてメジャー・デビュー。2022年4月にはコンビYouTuberとしては史上初の日本武道館公演を開催した。

●カル×ピン

2018年にYoutuberのヒカルと怪盗ピンキーの2人によって結成された音楽ユニット。同じくYoutuberであるラファエルのプロデュースのもと、ヒカルとピンキーによる音楽活動として結成され、avexからメジャーデビュー。主に10代~20代の女性ファンを中心に人気を得た。「俺たち金持ちYouTuber」という曲が人気を集め、代表曲とされている。ワンマンライブなども行っていたが、メンバーたちが個人の活動が忙しく、そっちに専念したいとの理由で2020年に解散した。

●MELOGAPPA

2019年に結成された男性Youtuberデュオ
2019年3月にコンビ結成、4月にYouTubeチャンネルを開設し活動を開始した。コンビ名は「メロディ」と妖怪の「河童」からで、その狙いを「悪口に聞こえるものがいい」・「音楽を神聖なものにしたくなかった」としている。初めての投稿動画は米津玄師「Lemon」のカバー。程なくして、単にカバーするだけでなく、「合体シリーズ」等、現在の路線につながる動画も投稿を始め、人気を集めた。

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