見出し画像

EXテレビ - 伝説の回

24年半放送された¨11PM¨に代わり放送開始した番組「EXテレビ

木曜日初回の放送で上岡龍太郎が1時間丸々一人喋りをした放送回

1990年に放送開始したが、当時は1980年代半ばの中曽根政権によって深夜番組のお色気表現が厳しくなっていた時期で、民放各局はお色気番組を封印し、「脱・お色気」の風潮が高まっていた頃でした。ちなみにこの「脱・お色気」とは、お色気要素を含む内容または番組から脱して、真面目な番組を放送していたという意味。実際に当時の状況としては、

テレビ東京 - 1985年に「夜はエキサイティング」終了後、1991年まで6年間、深夜のお色気番組の放送を休止。

日本テレビ - 1986年に「TV海賊チャンネル」終了後、8年間、深夜のお色気番組を休止。

フジテレビ - 1991年に「オールナイトフジ」終了後、1年間お色気番組を休止。
※実際は1985年以降から性風俗の話題を入れない純粋なバラエティ路線に変更していたため、事実上は8年間の休止

EXテレビの構成を担当していた倉本美津留によると番組が始まる前にプロデューサーから、「お色気色の強かった11PMとは違う番組にしたい。その中で上岡龍太郎を有名にしたい!」と言われていたという。

●"テレビのお色気"は今よりも昭和の方が厳しかった

BPOの存在が知られていなかった時代は、各テレビ局に放送電波を与えている総務省から番組内容がチェックされていたり、国会で問題になっていました。またPTAは、1960年代~1980年代の方が今の時代よりも影響力が大きかったのです。逆に1980年代後半以降になるとPTAの影響力はどんどん低下していきます。

2003年に設立された放送倫理・番組向上機構

そして、BPOの存在である。
現在のBPO = 放送倫理・番組向上機構は、2003年に設立されたが、実は1960年代から存在していました。1965年に「第1次 - 放送番組向上委員会」という名前で設立され、その後、1969年に「第2次 - 放送番組向上委員会」という団体となり、これが今のBPOの前身(第2次)となります。それから1996年までの27年間は「放送番組向上委員会」という名前で問題・批判のある番組の審議を行っていました。そして、1997年にBRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)、2000年に「放送と青少年に関する委員会」という団体が新たに設置され、2003年に現在の放送倫理・番組向上機構(BPO)になります。つまりBPOは、1960年代から2000年代まで名前を変えながら継続していたのです。当時はインターネットなどがなかったため、このような事情を知っている人は少なかったかもしれませんね。BPOは番組を終了させたり、批判したりすることが目的ではなく、あくまで視聴者から寄せられた苦情や意見を審議・会議する団体である。実際にBPOの委員たちもフジテレビで放送されている「週刊フジテレビ批評」に出演した際に、「バラエティはニュースや報道などに比べて基本的に自由なジャンルだから、これをやってはいけないという基準は無いんですよ」と語ったことがある。

・低俗の限界
木曜日初回の放送で上岡龍太郎が1時間丸々一人喋りをした放送回を見た視聴者や前番組「11PM」のようなお色気的な内容を期待していた男性視聴者から「男が一人で何をごちゃごちゃ喋っとんねん、早くハダカを見せろ、ハダカを」という苦情電話が多く寄せられ、この苦情電話を知った上岡と紳助が「女性の裸は視聴者からのニーズがある」と捉え、一度思い切りやってみようという話になり、実現したものである。地上波で女性の裸を放送することは禁止されていないためこのような企画は現在でも放送は可能である。

ここから先は

386字 / 2画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?