機能vs装飾の最前線はファッションである。東京都庭園美術館『交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー』

20世紀当初のモダン・デザインの動向は、作り手の内的な志向よりも、大量生産、大量消費に向かう経済システムのありように大きく左右された。そこでは、機能(=使い勝手優先)と装飾(=使い勝手なんて知ったことか)、どちらかに振り切ることなく、揺り戻しがあったり、あるいはそれらが相互に作用し合ったりした。そこにモダンのリアルな息吹がある。タイトルの「ポリフォニー」が差し示すのは、そういうことだろう。

とはいえ、個人的には、「ポリフォニー=多声」であって「ハーモニー=調和」ではないところがポイントだと思う。モダンの醍醐味は、機能と装飾の火花散るせめぎ合いにあり、その最前線が服飾=ファッションの世界(業界?)なのは間違いない。「服飾」の「服」は機能、「飾」は装飾である。今回の展示でも、衣装やテキスタイルの出品が一定数を占めていた。

「モードの始祖」ポール・ポワレのドレスは、現在の感性のフィルターを通して見ると、けっこう野暮ったい。貴婦人というよりも召使いみたいでは? 彼が見出したハイウエストのデザインは、ちょうど昨今は街着のパンツで流行っているけれど、単純比較はできないとはいえ、やはり決定的にポワレのそれには今っぽさはない。

ポワレはアール・デコの先駆けとされるが、それは、ウィーン工房と交流し、家具や香水にも手を広げて、「生活の場のトータル・プロデュース」を推進したところにあり、服やテキスタイルの純粋な形状の面では、むしろ過去のアール・ヌーヴォーを引きずっている気がする。華美ではないが、曲線美、有機性が優勢で、残念ながら古びてしまっている。

当時の彼を追いやったのがココ・シャネルだった。今回の展示では、キャリアのスタートを代表する帽子の写真もあり、そのシャープネスにほれぼれした。狭い一室にひっそり単体で展示されていたコートの凛とした強さ。それは、後年のストイックなスーツにも通じる。ドレスにしてもしかりだが、媚びや挑発とは距離を置き、トータリティや実用が優先。見られる視線よりも、着る主体の自立やアイデンティティを重んじている。だから古びないのだろう。シャネルとセットで展示されていたマドレーヌ・ヴィオネにも同様の美意識を感じた。

ガブリエル・シャネル《イブニング・ドレス》-1927年頃 島根県立石見美術館

そういえば、同じ庭園美術館で昨年開催された『奇想のモード』展では、シャネルのライバル、エルザ・スキャパレッリがフィーチャーされていた。モノトーンのシャネルとショッキング・ピンクのスキャパレッリ、というのが分かりやすい。スキャパレッリはポール・ポワレに見出されてデザイナーのキャリアをスタートさせている。以後、シュルレアリスムの影響を受け、奇抜な意匠を積極的に取り入れて一世を風靡したが、ポワレと同様、時代に取り残された。一方で、機能美を重んじたシャネルが今もなお頂点に君臨している事実はけっこう意味深だ。服飾において、デコラティヴであることは諸刃の剣なのかもしれない。

この展覧会は、『奇想のモード』展とは異なり、モダンとシュルレアリスムとの関係性には踏み込んでいない。そんな中、ロベール・マレ=ステヴァンスがセレクトされているのは注目に値する。建築家としての成果のひとつはノアイユ邸で、シュルレアリストのマン・レイの短編映画『サイコロ城の秘密』の舞台となっている建物だ。

※会場で上演されているのはマルセル・レルビエの『人でなしの女』なので注意。

この26分ほどの実験映画では、布をかぶってマネキンのように見える登場人物たちがノアイユ邸で無為に戯れる。逆回転やポジ・ネガの反転などのエフェクトが施され、いかにもシュールだ。ところが、建物自体は直方体を積み重ねた直線的なシンプルさが際立つ、きわめて「モダン」なもの。画面上で不思議な異化作用がある。実際はそれを狙ったわけではなく、マン・レイを支援したノアイユ子爵の好意で撮影に使わせてもらっただけのようだが、機能美とシュルレアリスムとの出会いが明確に描出された稀有な例ではないだろうか。

ステヴァンスもポール・ポワレと接点があり、彼の邸宅を設計したことでも知られる。やはり箱型を基調とした「モダン」な外観が特徴だったようだ(後年に別の建築家によって改築されているので、現在、当時の姿をどれほど留めているのかはよく分からないが)。それは、かつて栄華を誇りながら没落しつつある偉大な先輩ポワレへの敬意の表れであるとともに、モダニストとしての厳かで自信に満ちた世代交代宣言のようでもある。そのようなステヴァンスの機能美や普遍性は、会場ではミニマムに研ぎ澄まされたチェアでも確認できる。

アール・ヌーヴォーはシュルレアリスムに影響を与えているのか? アール・デコとシュルレアリスムの関係性は? でもアール・デコはそもそも機能性重視のはずだが……といった疑問が次々と湧き出てくるのは、この展覧会のパースペクティヴが広大であることの証左だろう。

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