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【エッセイ】身体目的かそうでないか

マッチングアプリで知り合った男性とキスをして、告白されて、彼は車で家まで送ってくれたけど、私はそのまま家に帰り、その直後に彼からの音沙汰がなくなった。

これは先日の私におきた出来事だ。
告白された1時間後にフラれるという私の体験を聞いたある人は、相手の男性が身体目的だったのではないか、と言った。
身体目的だったけど、セックスができなかったから、音信不通になったのだ、と。

だけど、私たちの間に起きたことは決してそうではないと、断言できる。
そこには互いに惹かれあう確かな好意があったけど、その好意がまるまる潰えたために、この恋が終わった、というのが真実だ。

男性が純粋な性欲のみに突き動かされてあなたに近づいているのか、あなたの人柄に対して好意があるのか、はたまた彼氏彼女の肩書を得てその場限りの安定が欲しいのか、どれも絶対的に見分けることができる基準が1つだけあることを、私は知っている。

それは、デートの回数とか、奢ってくれたとか、連絡の頻度とか、身体的接触の有無とか、そんなマニュアルの話ではない。決定的な告白があったかとか、その前に性行為をしたとかしないとか、そんな分かりやすい基準ですらない。
女性にも男性にも、あらゆるセクシャリティの人にも当てはまり、既に恋人関係ないしは夫婦関係にある2人の愛情の尺度にもなりうるような、普遍的な基準がある。

それは「呼応性」である、と私は思う。

もう少し具体的にいうと、「好きな人に笑ってもらいたい、喜んでもらいたい、少しでも楽をしてほしい、そのために自分ができることをしたい、だから好きな人のことをもっと知りたい」、そういう恋愛のもっとも根源的な気持ちだ。そして、その気持ちを相手に向けたときに、喜んで受け取ってもらえることを確信できている、という状態のことだ。
あわゆくば、同じ気持ちを行動で返してくれたらめちゃくちゃうれしい。
それでも純粋な恋愛感情は、相手の見返りすら求めない。

相手があなたを楽しませようとしているか。あなたの好きなものを知りたがり、あなたの希望を叶えようとしてくれるか。あなたの反応を気にしているか。あなたの言葉、笑顔や困った顔に一喜一憂して、あなたが嫌がることを敏感に察知してくれるか。
これが、これだけが、人が人と恋愛をする意味である、と私は思っている。

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今ではすっかり私のブログのミューズと化している彼には素敵なところがたくさんあったけれど、私がこの彼に一瞬で魅力を感じた一番の理由は、この「呼応性」であったように思う。

まず彼は、私との数少ない会話の中で、私が緊張や抵抗を感じる会話のトピックをきわめて敏感な察知能力で回避していた。

私は男性に過去の恋愛について聞かれることが大嫌いだ。そんな野暮な質問をされた瞬間に、荷物をまとめて今すぐ帰りたくなる。
あらかじめ準備された記者会見みたいな答えを聞いて何になる。私のその場しのぎの上っ面な回答で、私のことを理解した気になっているのだとしたら、それは契約書の内容をロクに読まずにサインしている行為と同じだ。

私は相手の過去の恋愛だって知りたくない。
気になっている彼をあんなに完璧に磨き上げた過去の経験の話なら、なおさら知りたくない。

人の恋愛経験の寡多は、直接問いただしたりしなくても自然と伝わるものだ。わざわざ取り立てて質問するなんて、情緒がない。
明るくて素直で話好きな彼はいかにも恋愛の話が好きそうに見えたけど、比較的当たり障りのない中高時代の恋愛経験を聞いて私の反応を見たのか、それ以降の恋愛遍歴について聞いてくることはなかった。

マッチングアプリで知り合った私たちの経緯について、あらためて意識させるような会話もなかった。
当たり前だ。マッチングアプリで知り合っておきながら、今時マッチングアプリで知り合う人多いですよねー、ねーなどと、その場の一瞬の会話の沈黙に耐えられないからといって、わざわざ言う必要のないことを口に出してして慰め合わないといけないような二人の間には、ロマンチックな未来なんてない。

そして、彼は私のポジティブな反応を引き出そうと、あの短い期間でとてもたくさんの、小さな行動を重ねてくれた。私が彼に返すことができたわずかなシグナルも、喜んで受け取ってくれた。

彼の小さな小さな、たくさんの私に対する行動を、全て書き出してみようかと思ったけど、そんなことをして彼の私に対する好意をこの場で証明してみせたところで、今となってはもうなんの意味もない。
恋愛関係にある2人のあいだに起きる出来事は、すべてが唯一無二の個別事象だ。どんなに共感を生む大ヒット恋愛映画だって、あのときの私たちの間にあった一つ一つの出来事を再現することなど、決してできない。


「人になんて褒められるのがうれしい?」、と彼は聞いた。
私は「おもしろい」だと答えた。

それは、デートだからとりあえずカフェでコーヒーをなんてことはしない、私がコーヒーを飲まないことを確認して、昼からビールを飲むことを提案してくれた、彼らしさの溢れるこの世でもっとも尊い質問だと思った。

「意外、かわいいじゃないんだ。」
「そうだね。なんて言われたらうれしいの?」
「僕は働きものだね、かな。」

その答えまで完璧だった。

あの時の私たちには磁石であり、手を繋ぐまでの花火を見ている長い時間、そして指を絡ませてもいいか互いに探りあっていたあの瞬間は、磁石の同じ極同士が反発しあっているようだった。何かのきっかけで磁石がひっくり返って一瞬で近づけそうな、そんな期待感があった。

だけど、私はなぜか彼の引力に屈することに強く抵抗してしまった。

私が彼に与えることができなかったのも、同じくこの「呼応性」である。
私が恋愛の呼応性に関して認識するようになったのは、この恋が終わってしばらく時間が経った後だった。

彼のように呼応性の高く、簡単にトキメキを生み出すことができる人間に関して、知っておかなければならないことがある。
それは、彼らが相手の反応に大変敏感であるということだ。

彼は私と出かけている間、私にいろいろなものを喜んでご馳走し買ってくれた。私の最寄駅まで来て車を借り、私を迎えに来て、慣れない運転で私を遠くまで連れ出してくれたけど、ミュージアムショップでたった200円のささやなキーホルダーを欲しがっていた彼のシグナルに、私は全く気付けなった。

それどころか、私はそのとき、マッチングアプリで知り合いまだ数回しか会っていないような危うい状態でこんなふうに後に残るものを買ってしまったら、今日がうまくいかなかったとき後悔するのにな、と考えていた。
200円のキーホルダーは、思い出が付随しなければただのガラクタにしかなり得ない。まるで私たちの関係性そのもののようだ、とそのとき実際に思っていた。

彼は私が購入した博物館のチケットのシールを、ズボンからシャツにわざわざ張り替えて、そのあとも一日中ずっと持っていてくれたのに。

似たような理由で、私は彼と出かけた先で写真をあまり撮りたくないと思った。こんなに好きな人とうまくいかなかったら、後で見たときに苦しくなりそうで怖かったから。

帰りに車の中で彼に変わってレンタカー屋に電話をしたとき、私は彼の苗字をとっさに思い出せなかった。

実は、「働きものだね」という言葉が彼にとって特別な褒め言葉だと知る前に、彼が私に働きものだねという言葉をかけてくれたことがある。
だけど私は結局、彼にその行動をしてあげられることはなかった。

彼がわかりやすく私から離れていったことは、裏を返せば彼が私と厳密な恋愛を試みたことの紛れもない証拠であり、恋愛関係になれないと思った私とは関係を継続しないという明確な意思表示だ。今となっては彼の態度はむしろ好ましくすら思えてくる。

いやさすがにそれは言い過ぎか。
私は彼と何の関係にもなれず、彼のことを嫌いになるほど知れなかったことについて、こうしてブログを開設して累計1万5千文字の文章にしてしまう程度には、十分に引きずっている。
私がもし健全な精神を持っていたら私たちの間に起こり得たであろう出来事について、見届けることができなかったことを大変後悔している。
彼がどんなふうに私に触れるのか、どんなふうに私に拗ねたり不満を表したりするのか、本当に本当にもっと知りたかった。

私は気難しくて繊細だ。人には私のウルトラ繊細なマインドに配慮することを求めるのに、相手の繊細さに同じだけ配慮することができない。余裕がなくて臆病で、彼から向けられた好意にきちんと対峙する勇気がなかった。

私と呼応してくれる人はまた現れるのだろうか。
友人は、そういう人はいないと今は思えたとしても、”必ず”何度でも現れる、と強く励ましてくれた。毎回必ず前の人よりも良い人が現れる、だから毎回前の人と比べたりすることなんてない、と。
彼女は恋愛経験が多いけど私の未熟な悩みを馬鹿にせず、自身の経験に基づいてそう教えてくれた。

もし次に私と呼応してくれる人が現れたら、今は本当にいないとしか思えないけど、もしそんなことがあったら、次は絶対にちゃんと応えてみせる。
恋愛経験が少ないとか、そんなことは言い訳にはならない。

私は絶対に恋愛をあきらめない。
今後誰かと新しく出会ったり、またアプリをやることがあるかもしれないけど、経歴とか年収とか何年付き合ったとか、そんな分かりやすいパッケージに包まれただけの呼応性のない関係を、安直に愛と呼んだりなどしない。

こんなに真っ直ぐに人のことを良いと思える私が幸せになれないなんて、そんなことがあってたまるか。

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