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【エッセイ】 穏やかで優しくて賢い人たち

職場の人たちのことだ。
彼らはみんな賢くて、穏やかで優しい。

私は製薬会社で働いている。
本社での仕事は、手を動かすタイプの仕事はほとんどなくて、沢山の資料を読んだり情報のヒアリングをして複雑な物事を整理して、皆でたくさん議論をする。

契約とか、各国の規制とか、特許とか、技術内容とか、あらゆる事象すべてが検討対象。分からないとかやったことがないとか、そんな言い訳が通じる分野はない。
おっとりした口調だけど、彼らは課題を的確に特定して、ふわっとした言葉で色んな部署の合意を取り付けてくる。

わざわざ誰が海外の大学を卒業しているとか、海外赴任経験があるとか、そんな噂にすらならない。みんな何かしらの海外経験があって、求められればなんの抵抗もなく英語が話せる。

私もそうだ。
たぶん。おおむね。あんまり仕事ができないけど。
私は弁理士。でもまだこの業界のことは詳しくない。
新卒で働いていた事務所ではフリーランスみたいな仕事スタイルしか学ばなかったから、人と一緒に仕事をするフィロソフィーがあまりわかっていない。
大学では英語のディベートをしていた。5分間くらいの英語スピーチならその場でできる。でも英語は結構カタコト。うーん、ちょっと弱いな。。。

私たちの会社では、雑談も仕事の一環だと教育される。
家族の話やコンビニの新作スイーツの話は、同僚との心理的安全性の構築につながる。心理的安全性があれば、仕事でも建設的な意見の対立が起こりやすい。この職場では反対意見を述べることが推奨されている。
人を不愉快にさせる会話は一切ない。当然だけどハラスメントとか悪意とか、最も遠いところにある。

ここは完全に安全で澄み渡った世界。

ギーみたいだな、と思う。
ギーというのは、バターを長時間加熱した後に残る、透明な黄金色の光り輝く油分のことだ。この世で最も純粋で健康的な油分。
途中で生じる濁ったたんぱく質成分は廃棄するらしい。
何のためにそんなもったいないことを?いや知らんけど。

あるいは、透明なコンソメスープ。
肉とか野菜とか、材料を沢山下処理して2-3日煮込んだ挙句、全部裏ごしする。
濁りがない透明な液体。不純物は一切ない。具もない。貴族の遊びみたい。
粉末をお湯で溶かせばでいいんじゃない?それは本当にそう。


Patient Advocacyという言葉がある。
患者さんの声を薬の開発に活かす活動だ。
製薬会社は、薬の開発が独りよがりにならないよう、患者さんがどんな気持ちで治療を受けているか、治療がどれほどつらいか、些細なことでも薬について不快なことがないか、治療経験者に話を伺う機会を意図的に設けている。

言い換えると、意図的にそんな機会をつくらないと、私たちに現場の実情はわからない。
私の仕事の中では、人のやりきれない気持ちとか事情とか、生々しい人の感情と向き合うことはほとんどない。

Patient Advocacyの一環で、ある小学生の話を聞いた。抗がん剤治療について、貴重なエピソードを語ってくれた。
あまりにもしんどい、吐き気が酷い、点滴の袋から見える薬の液体が蛍光ピンク色で、その色を見るだけで、点滴投与の前から吐き気がした、と。
それを聞いた社員が、じゃあピンク色を覆うようなキャラクターの点滴袋を作ったらいいのではと言い、みんな素晴らしいアイデアだと賛同した。

素晴らしいアイデアだ。だってそんなことをしたら、その子は点滴袋どころか、テレビでそのキャラクターを見ただけで吐き気をもよおすようになるのではないか。
嫌いになる対象は、せめて蛍光ピンクの色だけにしてあげたいな、と私は思った。


飲み屋のマスターに先日の失恋の話をし、マスターと居合わせたお客さんに、このブログを読んでもらった。
雑誌編集者だった彼はなんていう雑誌を作ってるの?彼の写真を見せてよ、と冗談半分で言われて、私はすぐに、彼の勤める出版社のHPには、先輩社員紹介として彼の顔写真と名前、雑誌名、仕事内容が掲載されたページがあることを思い出した。

きっと雑誌名を言えば、すぐに彼のページにたどり着くだろう。
この赤裸々なブログの内容とそのページが自分の知らないところで結びついたら、彼はきっといい気はしないだろうなと思って、意図的に彼の雑誌とは違う他社の雑誌名を2つ挙げた。こんな感じのライフスタイル雑誌、と答えた。

どうせ不特定多数に公開されているページだ。あの時みんなに見せて、「この程度の人ならいくらでも次に見つかるよ」とか誰かに言ってもらえていたら、私は気持ちをすぐに切り替えられた? いやそんなこと。

私のこんなコンソメスープみたいなやさしさが、彼に伝わることはない。


誰にも伝わらないやさしさはどこに行くのだろう。

進まなかった関係。またねと言ったまま二度と実現しなかった昔の友だちとの約束。誰にも気付かれない気遣い。

そんな誰にも拾われなかった人間の思いだけが集まる場所があったらいいのに、と考えたけど、そんなのはあまりにも多過ぎて、実際には巨大なゴミ捨て場のイメージしか浮かばなかった。ガーナのスラム街のことを思い出す。

ガーナのアグボグブロシーという街は、世界中から来た電化製品のゴミが不法投棄され続けている。ゴミ焼却のため、あたり一辺には有毒な発ガン性物質が充満し、住民の寿命はわずか45歳。電子廃棄物から作った自身のアートを2000万円で売るアーティスト。大きな絵は5000万円。オブジェなら8000万円。

梅田の阪急百貨店に展示されたその有名なアーティストの作品は、だいたい全部がご成約済みだった。合計5億円。
私は誰にも見出されないスラム街のことを思った。

あるいは、もっと雲の上の天国みたいな場所にいけるのだろうか。きらきらした宝石とか星のかけらみたいなものばかり集まる場所があるだろうか。
いやいやいや、人間の自分勝手で一方的な思いばかり集まる場所が、そんな綺麗な所であるはずがない。


「この馬は馬が嫌いなので、他の馬のそばを通る時には気をつけてください。」
乗馬でその日割り当てられた馬について、スタッフの人がそう説明してくれた。
馬を嫌う馬。気難しくて、クラブで随一の問題馬。めっちゃ乗りにくい。
私も人間が嫌いだよ。似たもの同士だね。

「人間嫌いっていうの、キュンとしました」
彼からきたメッセージを思い出す。
「家に帰って考えてたんですけど、人間嫌いっていうの、キュンとしました」

家に帰ってから考えてたんだ。
人間嫌いっていうのキュンとしました????
人間嫌いっていうの、キュンとしました。
キュンとしました。キュンとしました。キュンとしました。

「僕も結構嫌いなほうだなと思ったので」
絶対に私とは程度が違うだろうなと思った。私の人間嫌いは相当にひどい。

キュンとしたってどういう意味?
あなたの人間嫌いって何を指すの?人間が好きなタイプにしか見えないよ。
私の髪型は「かわいかった」、服は「おしゃれでした」、人間嫌いは「キュンとしました」
ちゃんと言葉を使い分けていたのだとしたら、もっと前提条件と定義の擦り合わせが必要だ。

あなたも人間が嫌いなの?
もしかしてあなたも、私と同じコンソメスープの国の住人だった?


「明日予定通りで大丈夫ですか?」
アプリのアポ相手から、わたしが翌日ドタキャンしないか念押しの確認が来た。失恋した後、もう無理だやめようと思いながら、私はまだマッチングアプリをだらだらと続けている。

うんざりだ。こんな念押しをしないといけないような相手と関係が続くはずがない。
だけど相手方の心配は全くもって正当で、私は一週間前、この人との約束を仮病でドタキャンした前科がある。

ああ行きたくない。なんでバレバレのドタキャンをしたのに、また誘ってきたんだろう。なんで私はまた行くと言ってしまったんだろう。
私の家の極めて近くにある、1人では入れなかったタコス屋さんを指定した。相手からは1時間半の距離。お店巡り好きなので全然楽しいです!逆に重いな。少なくともGoogle Calenderには反映させない。でも気になってたお店なんだから、今度はせめてドタキャンせずに行きなさい私。

こんな私は本当にコンソメスープの国の住人?


大学の友人と久しぶりに会って、新橋で二人で飲んだ。
もうすぐ結婚式を挙げるというその友人の、昔のワンナイト経験の話になった。

「相手の女性の方から電車の中でキスをしてきた。君も知ってると思うけど、井の頭線の車内ってめっちゃ明るいの。びっくりするよ。あまりにも明るい。」
私は色恋の生々しい話がかなり嫌いだけど、ワンナイトのエピソードを話そうとして、電車の蛍光灯の明るさを強く主張する彼の話には、全く嫌悪感は感じなかった。そのあとの話もかなり笑えた。

この友人は昔から私のことを「君」とよぶ。
彼の配偶者について、呼び方を色々と考えて、奥さんや妻というのには違和感があるから、「同居人」で通すことにしたらしい。

彼はきっとコンソメスープの国の住人だ。

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