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1年が経ち

子どもたちが別居になってはや1年以上が経過しました。自分と向き合う1年を過ごしてきて今感じていることがあります。

一番大きいのは、
自分への気づき。

私は孤独の塊みたいな人間でした。なるべく孤独と向き合わないように生きてきました。周りの世話を焼き、心配し、お節介をし、人のこと(家族に対しても)に
一生懸命になり、いつも誰かといる、人依存みたいな人間でした。

ふと、他人依存から抜けて、自分自身ってなんだっけ、
と我に返る時間が人生の中で巡ってきてこの1年は必死に自分探しをしていた時間でした。(今も)
そういう自分自身と向き合う時間って苦痛です。人のことにベクトルが向いていて、構っていた方が楽だったりします。
だからある意味今まで避けていた試練が来たと思っています。
この一年したこと、

1 職探し
2 自分探し
3 自分のケア

職探しは、今でもサイトで検索したりしますが、なかなか条件に合うものは少なく、半ば諦めています。そこに対する情熱よりももっと優位意義なことがあるのかもしれない、と。

自分探しの中でnoteや油絵や自分の好きや向いていそうなことにチャレンジしてきました。まだまだ模索中です。楽しいです。

そして自分のケア。気がつけば老眼。これから益々書いたり読んだり描いたりしたいから最近人生初のメガネを買いました。それから食事療法と早朝ウォーク。ジムの節約のため、1日のスタートに運動を取り入れることが習慣になりました。

最近去年行った温泉地へ今度は一人で行きました。(去年は犬と行って車中泊)
気候の良い5月。平日に行ける贅沢な時間。去年よりも多幸感がありました。
なんというか、感謝の気持ちでいっぱいになり、生きている喜びを感じました。家族がそれぞれ好きなことをしていること、ちゃんと生活していること、夫が健康で家族を守ってくれていること、そして何より自分自身が生きている喜び。
(何か宗教に入ったという事実はございません。あしからず。)

この感覚は去年はありませんでした。
今でも得体の知れない「不安」はありますし、生活はカツカツです。
でもこの「不安」ってきっと死ぬ直前まであるのではないかと思います。
祖父がせっかく長生きしたのに、その歳になっても不安と孤独と向き合い、鬱になったので。

自分の「不安」と「孤独」と向き合いつつ、それらを飼い慣らし、機嫌よく感謝を持って日々を淡々と生きる。

簡単なようで難しい。簡単でないから今日も学びの一日です。


日々是感謝 羊


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