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原点回帰

先日、カウントダウンTVライブ!ライブ!に宇多田ヒカルさんが出ていました。テレビで24年ぶりに「First Love」を歌うということで、テレビの前にスタンバイ(死語?)しました。First Love を初めて聞いたのはたしか就職した頃だったか。夜、枕元でCDから聞こえて来る彼女のa波と言われる声は、親元離れて故郷を離れて1人社会人としての辛酸を味わう日々の中、私の「癒し」でした。人の声で癒される、というのを初めて経験したかもしれません。
それから24年、テレビで歌う宇多田ヒカルさんの声は、初々しさみたいな当時の声からすると深みがあって、やっぱり「すごい」なぁ、と感動しました。
彼女の原点がFirst Loveなのかわかりませんが、この曲で世に認知され、爆発的に人気が出たのは事実ですね。

さて、私と絵の原点ですが、放牧された羊みたいな世界で生きた5年間は大きかったな、と思います。残念ながらその後の人生において、絵が評価されることも注目されることもなく、走馬灯のように思い出される人生は、馬のように必死で勉強の道を走らされ、競走させれられ、度々親の都合の転勤で環境変化に適応をさせられるので精一杯でした。それこそあの牧歌的な日々はなんだったんだ、という人生を四半世紀以上生きてきました。羊から馬へ。

今、第二の人生を考えた時、本当は(どうなるかわからないけれど)やっていきたいと思っていた絵画や創作活動が浮かんだのは、原点回帰じゃないかな、と思うのです。

そうです。させられる人生からの卒業。馬から羊へ。原点回帰です。

時代は、ますます混沌とゴールがわからない世界へ突入しています。私が馬だった時代に、大人から評価されていたゴールや求められていた「らしさ」の価値観なんて必死で生きもがいているうちに崩壊してしまったのです。「あたりまえ」や「常識」なんて、時代が変われば、所変わればそれは覆されるほどの脆いものだったりします。

今こそ、放牧された羊のように、今日自分の庭(自由)の中で、目の前にある草(幸せ)を喰み、家族や仲間を大切に、そんな基本に立ち返る人生を生きる時なのかもしれません。
気がついたら、人物画より美しい自然の風景ばかり描いている理由がそこにある気がします。

今日も草を喰み喰み日々是感謝

うめぇ


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