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ねんどのかいじゅう

僕は要するに間抜けな子だったんだ。

話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからない。
何を言っても、されても、ノーリアクション。
お遊戯も人並みに覚えられず、極めてぎこちない。
もちろん、ピアニカは弾けない。

弾けないから悔しがるならまだ見所があろうと言うものだ。
発表会ではお友達がピアニカと格闘している中、僕は弾いているフリすらせず、ただニコニコと直立不動でお友達の間にただ立っていて、親を赤面させた。

そんな僕の幼少時の記憶は極めて胡乱だ。
しかし、はっきりと覚えているエピソードがある。
正確には二つあるが、そのうち一つ披露しよう。

お友達と水道のところで粘土遊びをしてたんだ。
粘土で「僕の考えた怪獣」を作っていた。
僕の隣にはいじめっ子がいた。
僕の怪獣の出来が良い(そういう記憶だから許して欲しい。)のが気に入らなかったのか、怪獣を掴むとそれを水道の流しに叩きつけ、ぐるぐると丸めてしまった。
哀れ、怪獣は「球」となり、さらに続いて思いっきり平べったくされてしまった。

そこで怒り出すなら見所がまだあろうと言うものだ。
僕はどうやらニコニコと、「あれ、そうすると粘土が増えるね!」と喜んだ。
(増えるわけないのだが、幼稚園児の言う事だから、許して欲しい。)

それがいじめっ子にはとても気に入らなかったらしい。
怒らせようと思ったのにニコニコしていたからだろうか。

僕のお尻に噛みついた。

そこで泣き出すならまだ見所があろうと言うものだ。
僕は涙の一滴も出さず、ただただニコニコとしていた。
お尻が痛いな、と内心思いながら。

夜になって、お父さんと一緒にお風呂に入った。
お父さんが僕のお尻を見て、「あ、こんなところに歯形がある!」と言った。
その瞬間、初めて僕は泣き出した。
お尻も急に痛くなったように感じられた。
実に、噛まれてから6時間後の事であった。

あまりにも反応が鈍かったもんだから、親は僕の将来を本当に心配したらしい。
ついに幼稚園の先生に相談するに至った。

イタガキという先生だ。

「先生、うちの子はどこか悪いのでしょうか?」

イタガキ先生はゆっくりとかぶりを振った。

「いいえ。」

そして言ったんだ。

「タダノブくんは、自分からは何も話さないけれど、私の事をよく観察しています。私の言った事もよく理解しています。とても賢い子です。大丈夫です。」

本当にイタガキ先生が「賢い」と思ってくれていたかはわからない。
鈍い子だ、と言えなかっただけかも。
両親を慰め、安心させたかっただけかもしれない。
それでも両親はその一言に救われた。
僕を見る目も心配の対象から、期待の対象に変わった。
「大器晩成」を信じる心が両親を支えたわけだ。
それが結果的に僕を救ったと思う。

僕は今ではただニコニコしているだけの人間ではない。
人並みにイライラしたり、嫉妬したり、落ち込んだりする。
もちろん、お尻を噛まれたらすぐに泣き出すだろう。
これが良い事か悪い事かはわからない。

だが、僕は今日も元気である。
それはイタガキ先生の一言があったから、と信じている。

(了)

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