時代はようやく大阪人へと近づく
東京に住んでいた時に、仲の良かった友人が、アパートとその横にある戸建てをまとめてごっそり一括購入したことがあった。彼女はその戸建て物件の内装を新築同様にリノベした。アパートは、もちろん投資物件として収益を生み出していたが、それでも同世代の友人が、それを購入したということに衝撃を受けた。
仲の良かった友人同士で、リノベが仕上がった新居にお邪魔したことがあった。彼女は快くあちこちを案内してくれた。友人たちは「ステキね」などと一言二言感想を述べていた様に記憶しているが、とにかく私には衝撃が大きすぎて、食い入るようにあちこちを目に焼きつけた。今でも間取りが思い浮かぶほどに。当時30代前半の同世代の人が、アパートも含む投資物件を手に入れたことに、心の底から興味を覚えたのだ。
私「え、アパートも入ってるの?」
彼女「そうなの。買ったらね、アパートがついてた(笑)。」
私「えええ、大家さんにならはったんや。これってローン?それとも一括キャッシュで買わはったとか?」
彼女「そうそう。ローンなし。キャッシュで一括だよ。」
私「ひぇえええええ。まだまだ若いのに、キャッシュ一括!えらいもんやなぁ。感心するわ。いや尊敬するわ。」
彼女「ふーん。大阪の人っておもしろーい。そういうこと聞くんだ。」
とクスクスと笑われたっけ。
でもね、その状況なら、大阪人なら根掘り葉掘り色々と聞くところであーる。その不動産情報はどこで得たのか、どういう指標でこの物件を選んだのか、資産はいくらで、そのうちのどの程度突っ込んだのか、最終的に不動産業者さんとの交渉で、いくら値切った等々............。
さすがにその場の空気(全員が関東出身で一人大阪人のアウェー状態)は読めるので、それ以上お金の話を持ち出すことはなかったし、かつその場の友人たちの雰囲気から、「お金の話などストレートに聞かないのが常識人」という雰囲気を感じ取ったので、その話はそこで終わってしまった。
さて。
私は、新卒でしばらく東京で仕事をしていたのだが、その時にかなり衝撃を受けたのを覚えている。友人達の話にオチがないことが最も衝撃的なことだったが、次に感じ取ったことは、
ということだった。
だから東京の人は、ブランド品が大好きで、それを購入して身につけることで自分のポジションを誇示するのだが、大阪人は、見栄っ張りで高いお金をつかまされるのはアホだと思っているので「珍しい人だな」とは思うが、別に人様のお金を何にどう使おうと勝手だとも思うので、特に反応はしない。が、自分が欲しいものを、情報収集して安く購入し、それをゲットした成果については言いたい。
これ、なんぼやったと思う?
って周囲に聞くのが大阪しぐさだ(汗)。
うちの母は、在宅ワーカーだったのだが、朝の早くから仕事をしつつも、ある時間になるといきなりテレビをつけて掃除機をかけはじめる。私が風邪で学校を休んでいようとお構いなしで、家中の窓を全開して掃除機をブゥウウウーっとかけるのだ。それが必ず毎日同じ時間、そう「株式市況」のテレビ放送の時間帯に、だ。彼女は忙しい仕事の合間にも株式市況は絶対に見たかったらしく、それを見るなら、その時間を掃除機をかける時間として有効活用しようと思ったのだろう。今で言うマルチタスクしていたのだ。
私が知っている周囲の大人はみんな「株」というものを持っていて、それを毎日「上がった」「下がった」などと言って話のネタにしていた。母は時々「○○株がうまいこと売れたわ」と言ってはゴキゲンだったこともあった。そして「銀行に預けておいても、そんなに増えへんからな」とも言っていた。大人になると全員「株」というものを持ち、それはどうやら上がったり下がったりするもので、うまいこと売ったり、うまいこと買ったり、という行動が伴うものだと理解しながら私は育った。全ての大阪人がそうだとは言わないが、少なくとも私の周囲はそうだった訳だ。
母は突然、今まで聞いたこともない某所にマンションを購入した。私が高校生の時に引っ越しをしたのだが、その後その周辺は発展して一等地化し、築40年のそのマンションは、今でもその購入当時の売り出し価格を上回る金額がついている。学区が良く、空き室が出ると即日に売れるような状況らしく、今頃になって母の選球眼の凄さを思い知らされたりもしている。
最近になって、その物件を選んだ理由について聞いたことがあった。母曰く、当時は、そのエリアはまだ発展途上だったけれど、駅に近く環境が良くて近い将来の発展は予測できたことと、物件そのものの作りがしっかりしていて、価格がなんとか手の届くもの(無理せず返済可能)だったとのことだった。
若い頃から株をモニターし続けて、会社の成長を見続けていたから、エリアの成長予測などにも生かされたのかもしれない。知らんけどw
大阪人は、街を歩いていて行列ができているのを見ると、
「あのお店、儲かってるやろなー。原価はいくらで、あのエリアやったら賃料いくらで........」
などとそろばんを勝手に弾いて利益をざっくりと予測する。「粉もんが一番儲かるらしいで」ということは皆が知ってる常識だ。
母に至っては、何か良い商品を見つけると裏の製造会社をチェックして、新聞で株価を見たりする。「会社四季報」も家にあったな。
大阪人は、こうやって朝から晩までお金の事を考えているのである。誰かに何かをしてもらったら、その人の時間と作業をお金にざっくりと換算して、それに見合ったものを返さないといけないと普通に思う。人の行為をお金に換算するなんてと非難する人もいるかもしれないが、大人一人に動いてもらうことを、タダで済ます方がおかしいと考えるのだ。
さて。他エリアの人がこう言う大阪人の感覚を理解できずに批判することがある。お金よりも大事なことがあるとか、お金の話ばっかりして卑しいとか云々。
「お金よりも愛が大事だ」とか言う。アホちゃうん。
「お金よりも酸素が大事」なんて普通言わないよね?
そんなの分かりきっているし、誰にとっても疑いようのない事実だ。人間にとっての「愛」なんて、酸素と同じレベルで必須のもの。そんなの当然やん。当たり前やん。あって当然のものやん。「隣人愛」なくして、社会なんて維持できないよ。
あえて言う必要ある?っていうレベルの話である。
親子や夫婦という特定の関係ではなくとも、外に出て人に会って笑顔で挨拶するのも愛だし、お先にどうぞと譲るのも愛だし。誰かのために食事を作るのも疑いようのない愛だし。病気で休んだ同僚のために頑張るのも愛だし。駅で困っている人に声をかけるのも愛。大阪人が笑いを取ろうとするのも、目の前の人を笑わせたいという愛であり、サービス精神である。
だから、そんな暗黙の了解をあえて声に出して言う必要はないけれど、「お金が大事」という言葉は、そうではない。お金がなくても自給自足で生きていくことはできるかもしれないし、多くのお金は必要ないと考える人もいる。だから小さい頃からコンコンと「お金は大事やで。稼がなあかんで。貯まったら増やさなあかんで。生き銭を使え、死に銭を使うな。」と親は子供に伝えるのである。
でさ。最近、金融リテラシーが大事だ、お金の教育が大事だというムードが高まってきているのを見て、ようやく世の中が大阪人に近づいてきたと感じるのであーる。まぁこの場合の「金融リテラシー」と言うものは、「金融」に対する正確な知識と判断力を問うものだが、大阪人のそれは、その根本になるお金に対する感覚を養うものであって、具体的なノウハウまでは含まない。
でも、だからこそあえて言いたい。子供に株取引をさせてみたり、金融の難しい知識をつけさせることを目的に「お金の教育」をしようとしても、それはあかんで、と。なぜかというと親の方が本質を理解していないからだ。だから勝手に「金融リテラシーとはこういうものだ」という間違った固定観念で、子供を教育しようとする。自分が理解していないものは教えられないのだから、まず自分で実践してみて、そのエッセンスをポロッと時々口に出す程度でいい。
ちなみにこの辺りは、ユダヤ人や中国人なら当然の家庭内教育の範疇に入るものだろう。そういう意味で、関西人の方が他のアジア人との親和性が高いと感じることが多々ある。グローバルスタンダードに近いのは、関西人の方であーる。
ちなみに、うちの父は、収入も多かったが支出がそれを上回り、めちゃくちゃやらかした。馬券と飲み代だけで家2軒分ほどドブに捨てたらしいので、これも世の中の一側面。家庭内に金融リテラシーバリバリの母と、ドブに景気よく捨てまくった死に銭遣いの父のもとで育った私と兄は、まぁ少なくともドブに捨てる方だけは絶対にマネしないようになった。反面教師も大事だよねw
20年近く海外にいた私たちから見ると、この本の内容がシミジミ分かる。
読む時間のない方は、こちらをぜひ。会社員だった時代は外資系勤務だったので、後半の話は更によく分かる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?