2.1 まずは衣類から

  義父の残した身の回り品のうち、衣類だけはすべて処分していいとカナメに言われた。カナメにも子供たちにも、サイズが合う人がいなかったからだ。高級ブランドのものから、仕事の作業着まで色々とあったが、衣類は資源ごみとして廃棄できるということが分かっていたので、70Lの大型で厚手のゴミ袋に、気休めかもしれないが、なんとなく分類しながら詰めていった。

 前回の片付け時に痛感したので、私自身は使わないものをバンバンと捨てていて、かつ何度となく繰り返した国際引越の度に大掛かりな断捨離を繰り返していたので、自分自身がここ数年着ていない服をとっておくということがない。そのため、今回の引越し荷物の私の衣類は、手荷物でトランクで運んだもの、航空便で届いたもの以外は、冬物の服と靴でダンボール2箱分で収まるくらいであった。

しかし。義父の服は、生きている間に衣類を一度も捨てたことがないのでは?というほどに大量に残されていて、また一度も袖を通していない新品の服も多く残されていた。リサイクルショップに持ち込むことも考えたが、あまりにも大量で、トラックで運ぶくらいなら、近所のゴミステーションに出した方が楽だなと思うほどであった。

 その衣類だけでゴミ袋が何袋になったのが、数えておけばよかったのだが、とにかくまたたく間にゴミ袋の山ができてしまった。引き出しを開ける度、タンスの扉を開ける度に、衣類がバサッと落ちてきて、それを分別しながら袋に入れるだけでも数日かかり、ふと見上げた棚には、書類やら文房具やらが散乱しているのを見て、げんなりもした。それらについてすべてを一つずつ、「捨てる・捨てない」の判断をし、捨てるなら「燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ごみ」に振り分け、残すならどこに保管するかを考えるのだ、と想像するだけで熱が出そうだった。

 義母の衣類については、基本的にすべて残すが、汚れているものは今回廃棄することにした。

 私たちの世代にとっては信じがたいことなのだが、押入れの中に大量の寝具が残されていた。布団はもちろん、座布団も複数組あり、毛布やシーツも数十枚くらいずつあった。昔は法事などで親戚が集まることもあったので、大量の座布団や寝具が必要だったし、子供を連れて私たちが帰省したときには、その大量の寝具には随分お世話になった。しかし、段々と押入れの奥の方にしまい込んでしまったものを探し出すのが辛くなったのだろう。次から次へと必要なものを買い足していた形跡があり、罪悪感にもかられた。私たちが海外にいたことで、義父母は、色々なことを息子であるカナメに頼ることなく、自分たちですべてのことをやり切っていたのだなと思うと、親不孝したんじゃないかと自分を責めたくもなった。

そんな中で、当初は大量にモノを残した義父母を恨めしく思う気持ちもあったのだが、「これくらいの片付けは引き受けないと、ご先祖さまに叱られるだろうなぁ…」「これは、他の誰でもなく私たちがすべき仕事なのだ」と前向きに受け入れる気持ちが芽生えてきた。

カナメが思う、「実家の片付けを終えない限りは、自分の第二の人生をスタートさせられない」という気持ちが痛いほどよくわかった。

泣き言を言わずに、淡々と片付けよう。そこに感情は必要ないのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?