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AIな時代、子供に必要な知的スキルは?

  Google検索が出たときに、あの検索スピードに度肝を抜かれた。

その時にも、これからは記憶に頼った学習法は不要になるのではないかと感じた。なんでもサクッと調べて簡単に回答が得られるからだ。

その後、韓方(韓国式中医学)の勉強をしていて理解したことは、検索して得られるものは単発の知識でしかなく、何かを有機的に繋げてアウトプットを出すためには、一旦脳内に知識を詰め込んでおく必要があるということであった。

そういう意味では、医師や薬剤師、弁護士など、国家資格を持つ方の脳内に蓄積されたもの、そこから繋げられ強化された知恵というものは、それ相応に価値のあるものだということを、深く理解できた気がした。

 そしてChatGPTの様なAIツールが、ある日突然人類に与えられてしまった。

うまく使えば「それ」は非常に優秀な答えを返す。「不満も言わない優秀な部下を、(現時点では)無尽蔵に使い倒せる」環境を得た今、子供の教育も変わらざるを得ないだろうと、多くの人が漫然と思うようになったはずだ。

中には、「もうプログラミングなんかやらないで、プロンプト芸を学校で教えるべきだ!」と思った方もいらっしゃるかも(汗)。

何も見ないで答えを求められた学校のテストとは異なり、社会に出ると意外と「何を参照してもええから、アウトプット出せ」ということの方が圧倒的に多い。人に聞いてもいいし、Google検索してもいいし、ChatGPTを使ってもいい。社外秘データを漏洩させない限りは。

そういう時代にどういうスキルが求められるのか、多くの人が問題意識を持たれていることと思うが、個人的にはすでに答えは出ている。

まず、義務教育において獲得すべきスキルは、

1、本を読めるようになる
2、情報の分類・整理ができる

である。

そして、上記スキルを用いて自らが学習を深める際には、圧倒的なトライ&エラー経験と、(問題発見能力に通じる)知的好奇心を潰されない環境が必要になる。

これからの時代を生きた人が一人もいないのだから、大人の知恵が常に絶対的解である、ということもない。全員が等しく未知の世界を生き抜かればならないのだ。変化のスピードが遅くて、親の世代の知恵が子や孫に対しても有効だった時代もあったとは思うけれど。だから、親が勝手に子供の「脳」力に制限をかけるべきではなく、学習においても自由度が大きくなければならない。だから子供全員に適用されるべき教育の定義は、最小限に留めるのが良いかと。

ついでに言えば、高等教育以降は、以下の二つかな。
3、何らかの専門性
4、Critical Writing能力(思考よりもOUTPUT)

解説してみる。

1、本を読めるようになる

読める能力があれば、その時その時に必要な知識や情報をテキストから吸収することができる。数学ですら、本が読めるなら大人になってからでも学習できる。まずは大量のテキストを、好んで読める人になっておけばいい。

なぜならば現時点で知能とみなされるものの多くは、明文化(テキスト化)されたものだからだ。そしてまさにそれが知能だと見做されるから、ChatGPTが多くの人間を代替し得るわけで。

どんなにコミュニケーションが活発な家庭であっても、親が意識しない限り、その会話には分野と深度に制限がかかっている。何かのジャンルで深度ある知識を得るには、必ずやどこかの時点で、本を読み、ネット記事を読み、論文を読む……という手順を経る必要があり、その中でボキャブラリーも飛躍的に増えていくのだ。

もちろんノンバーバルな表現の世界(芸術)は、テキスト化された知性とは異なる感性が求められているだろう。が、芸術でお金を稼ぐには、これからは、更に難易度が上がる世の中になってくるような気がする。

AIさんに、こんな強烈なモノを見せられたらねぇ。

今までは、場の雰囲気を和ませ、面白い話ができる人が重宝される場面が多々あったかもしれない。が、今や知的ツールが自分の脳内ではなく、外部記憶装置にあり、それを全人類が等しくアクセスできる状態になっているのだ。そして何らかの知的産業に身を置くのであれば、圧倒的語彙力で明確にモノゴトを規定するようなことが求められてくるだろう。

誰もが知っている同じパターンの同じ言葉の組み合わせでは、アウトプットまでが似通ってくるわけで。

ChatGPTに適切なアウトプットを出してもらうための、指示文のことを「プロンプト」と呼び、それに通じたプロンプトエンジニアの需要が高まると予想する人が多くいる。それは当然そうなのだけれど、誰かが発掘したプロンプトの方法論を覚え込んで作業をさせるスキルというものが、どれほど重宝されるかというと疑問かなと。

もっと本質的な部分での知能、つまり自分の脳内で考えていることを、適切に構造化しつつ明文化できるスキルの方が、もっともっと大事だと思うのだ。

まず、自分の思考の中身を大枠から定義して、それを的確に文字列で絞り込める頭脳があり、それが見事に体系立って記述できるとしたら、目的のアウトプットを自分で自由自在に操れるような感覚に陥るだろう。自分の中に類稀な知能さえあれば。

 ところで、英語圏で子供のリーディング能力を上げるためにすることで、どの国でも、誰に聞いても同じことをアドバイスされたので紹介すると、それは、

「本人の興味の持てる分野の本を与えてあげて。コミックでもいいから。」

ということである。日本ではあまり聞いたことがないアドバイスだったので、すごく驚いたと同時に納得させられたのだ。

日本の場合、例えば推薦図書が読めないと、本を読めたことにならないと考えがちで、親はそういう本を子供に読ませようとする。でも、それでは本を読むことが嫌いになったりもする。

どんな分野のものであっても、興味を持ってどんどんと読み続けていけば、その分野を通して難しい言葉を学べる。本を読むことで、自分の知りたいことを知り、脳内で「そうなのか!」とホルモンがスパークする瞬間に、感嘆(感情)を伴った知識は知恵となり、字面だけを舐めて得た情報とは似て非なるものとなる。

2、情報の分類・整理ができる

個人的に学校教育で先生に教えてもらったことの中で、強烈に役に立ったことがいくつかある。

公立の小学校の頃に習ったKJ法と国語文法、豪州の語学学校で教わったCritical Writingの方法論である。

ブレインストーミングをして、それを紙に書き出して、それぞれをグルーピングしてまとめていくのがKJ法なのだが、その授業があまりにも面白すぎて、その後の人生では、常に脳内で色々と整理整頓することが楽しくなった。

2000年代、英語圏でのIT技術者は、ほぼ全員がマインドマップソフトを使っていたので、私もそれに習ってMindjet社の製品を使うようになった。

小学生の頃からマインドマップソフトが必要かどうかは分からないが、一つのトピックに対して色々な意見や情報をポストイットに書き込んで、情報をグループ化して整理するというクセは、早いうちに身につけておくとメリットが大きい。

なぜなら、整理されていない点々の情報は、あんまり役に立たないからだ(汗)。

その前段階として、子供の頃から家族の洗濯物を一緒に畳んで分類する、食事に使ったお皿を棚に戻す……ような、「同じものや似たようなものを揃える」ことを家庭内でやっておくのも良いアイデアだろう。男の子にありがちな、ミニカーを並べたり分類したりという遊びは、その後、圧倒的にポジティブに作用するので、間違っても「お友達と外で遊べ!」と怒ったりしたらダメだよw

ちなみに、そんな簡単な遊びが重要?

と思うだろうが、「似たようなものを分類する」「周囲の人がやっていることを、見よう見まねでやってみる」ということができない大人もいるのだ。

そして、ニッポン(というか教育熱心な東アジアの国)の教育が諸外国と比して間違いなく劣るのが、以下の部分である。

圧倒的なトライ&エラー経験と、(問題発見能力に通じる)知的好奇心を潰されない環境

日本における義務教育には、「しつけ」も含まれているため、失敗すると叱られるというプロセスを経ることが多い。失敗に「好ましい失敗」も「好ましくない失敗」もない。命に関わること、悪意を持って他人を傷つけることに対しては、強く言い聞かせないといけないが、それ以外について何かを身につけるためには、試行錯誤をするというプロセスが欠かせない

特に学業の場においては、子供の頃に十分に思考の幅を広げる必要があるため、制限などない方がいい。大人が用意した問題を、大人が考える意図通りの回答を出すまで、何回でも同じことを繰り返させるなんて、脳にとって悪影響しかない。

実は、帰国子女と国内で育った子との間の圧倒的な違いが「無意識下の制限(暗黙の了解の習得)」の有無である。国内で育つと、四方八方の大人から「それはダメ」「それは間違い」と言われ続ける。その過程で、子供の中で「考えに入れて良い思考の方向性と範囲」を獲得してしまう。そして大人になっても、そのフレーム内で全ての回答を出そうとしてしまうのだ。

ところが、民族も宗教も国籍も違う人の集う場で育つと、「日本人なら当然知っているはずの前提条件(思考の壁)」というものを知らずに育つ。逆に言うと、そういった暗黙の前提条件が脳内にないと「話はまず前提を定義してから→そもそもその前提から疑う」という発想を得る。それはすなわち批判的思考のベースでもあり、発想の豊かさにもつながる。日本人なら考えもしなかった別の視点を得られたりして、それが時にはクリエイティビティと呼ばれるものに昇華したりもする。

国内にいても、同じように思考の幅を広げておくには、大人の考える制限範囲内で物事を考えさせるのではなく、自由になんでも表現していいし、考えていいし、それを絶対に否定されない環境が必要である。そのためには「圧倒的な自由時間」があること。大人から見たらどんなにバカバカしいことでも、それを深掘りすることの快感の積み重ねが、「知性」として表出されるのかもよ?

4、何らかの専門性

さてさて、難しい本も読めるようになり、知的好奇心を潰されずに育つと、その子の中に色々な疑問がフツフツとわきあがり、その中から自分なりの指向性(将来の職業や大学での研究テーマ、または専攻)を見出すことになる。

あとはそれを深めれば良い。

ちなみに、大学は、教育の場であると同時に研究の場である。研究したい何かがあって、それが大学のリソースを使わねばできないことだから大学に進学する…….というのが本来の存在意義である。就職するための予備校ではないので、「自分の興味のあることに対して、狂ったように研究を深める4年間」であればいいのだ。実はどんな対象のものであっても、「情報収集して整理分析してアウトプットを出すことで得られるスキル」は獲得できるし、それは仕事をする際に必要とされるスキルでもある。それが大卒人材に求められることでもあるのだ。

高等教育以降では、それぞれの専門性(職業的スキル)を高めることが重要なのだが、その理由は「何らかのトピックについて、ある程度の深掘りをすることで、(そのテーマを通じて)高等な語彙力を獲得できる」からだ。

前述の通り、知性の表出とは、明文化(テキストの形式になっていること)でしか成し得ないのだ。

5、Critical Writing(思考よりもOUTPUT)

Critical Thinking(批判的思考)が大事だとよく言われるが、それをどうやって磨くのかというと、結局はアウトプットで測るしかないのである。

Critical Writingとは、何らかのトピックに対して、Pros(メリット・賛成)とCons(デメリット・反対)の情報素材を洗い出して吟味して、自分なりのポジションを明確化させる文章のことである。英語のライティングでは、これが書けないと始まらないのだが、驚くべきことに、私はこれを国内で習った記憶がない(汗)。

自分が書けるならば、人の文章も読める……ということになるので、まずは自分で徹底的に書けるように訓練するのが良い。その準備段階で、情報を集める、情報を精査し取捨選択する、自分の立場を表明する、というプロセスを踏む。これを繰り返すうちに、その時々の世間の話題について「なんとなく嫌い」「みんながそう言っているからダメだと思う」という理由で立場を表明することの愚かさに気づくのである。

つまりアウトプットする訓練から、逆に批判的思考というものを後天的に獲得し得るということである。

ちなみに実際にこの「クリティカルライティング」を会得するにはどうしたら良いかというのは、まずパターンを理解して(動画や本、大学の英語ライティング講座など)、色々なトピックに対して情報収集して自分なりのポジションを確定させた上でライティングを完成させ、それを先輩や先生に添削してもらうだけでスキルアップできる。

以上、私が考える「獲得すべき知的スキル4選(初等教育2、高等教育2)」とそれを支える環境(1)について書いてみたけれど、これを簡単に実現できることがある。それは、

1、お金で解決。

英語圏に留学。できればボーディングスクールに打ち込むのが最速。親の影響を受けずに済むよん。

2、お金をかけずに知恵で解決。

デジタル(オンラインとは限らない)通信制の学校に入れて、親ができるだけ口出ししない。自由があれば、子供は勝手に何かやるから。

デジタル通信制の学校に通うだけで、時間管理を含めた学習についての自律性を獲得できるようになる。これだけで「リモートワーク対応人材」になれるよ。

ちなみに私は韓国のデジタル大学を卒業しているけれど、ストレートでの卒業率は当時で1割程度だったはず。意外と簡単じゃないのよん。

どなたかのお役に立てば。

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