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差があってもジェンダー平等はできる

性差別撤廃・ジェンダー平等について話していると必ず目にするワード
「でも男女の差は存在するよ」
生物学的に違うんだし、同じにはできなくない?」
これらについて色々言いたいことがある。

平均と個体差は違う

一つ目が平均と個体差である。
例えば25歳男女の平均身長体重を見てみる(カッコ内は標準偏差)

男性:身長170.9cm (6.5) 体重67.6kg (13.0)
女性:身長157.9cm (4.2) 体重50.3kg (5.9)
https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003224177 (e-Stat 国民の健康・栄養調査より)

確かに男女では身長体重の平均が違うことがわかる。

ちなみに標準偏差は多くの人が入っている範囲を示すもので、男性で言えば±6.5cmの所に多くの人が入る。 具体的には、身長164.4~177.4cm 体重54.6~80.6kg に多くの人があてはまるということである。

一方で考えてほしいが、この数値は平均であり、個人差というものが存在する。標準偏差も多くの人が当てはまる範囲であって、全員そこに入るわけではない。外れ値が存在する。男性でも150cm以下の人や、女性でも180cm超える人がいるということである。

昔、とあるアメリカの軍人養成学校では女子の入学が禁止されていた。しかし裁判で、その資質を満たすものは女子もいれるべきと判決が出た。

軍人とは、それこそ体力・体格がものを言う職業である。先ほどの数値同様、握力やその他体力測定の数値が平均では女子は男子よりも劣るかもしれない。しかしそれは、軍事学校を受験する女子が、その試験に受かる力がないこととは一致しない。(それこそレスリングの吉田沙保里選手であれば、そんな試験楽々クリアしそうである。)

このように、平均のみを持ち出し、それを理由にそのカテゴリーに入るからという理由で権利を奪うことは合理的ではないのである。大切なのは本人の能力そのものである。

一方で、その能力そのものを発揮させないものがある。

制度や習慣によって作られた区別

これは生物そのものではなく、社会によって作られた不平等である。具体的には、制度の壁押し付けのジェンダー観を説明する。

制度の壁

例えば議員の数。日本は女性議員が少ないことでお馴染みである。その他、会社役員や経営者の数も少ない。

この現状だけみて、女性はそういう仕事は向いていないと思うかもしれない。しかし、そこには様々に“男性向けに作られたシステム"が存在し、それに当てはまらない女性やその他の人たちが排除されてきた経緯がある。

例えば、新オリンピック委員会会長でお馴染みの橋本聖子氏は自身のブログで以下の様に書いている。

それまで参議院に産休はなかったのですが、私のことがきっかけで、議会を欠席する理由として、「出産」が公的に認められることになったのです。 ( https://www.seiko-hashimoto.net/h005 橋本聖子オフィシャルサイトより)

出産というのは、人間の人生の中であって当然の出来事である。しかし、男性が出産をしないというだけで、その制度は作られてこなかった。そのため、仮に女性が議員になりたいと考えても、女性がいることが前提とされていなかったため、容易に入り込むことができなかったのである。

作られたジェンダー観

また、作られたジェンダー観も本人の能力の発揮を阻害する。その一つ例が男女脳といわれるものである。男性は理性的であり女性は感情的であるという男女で脳が違う説である。(ニューロセクシズムという。) ちなみに今では男女で脳の形質に差はないと研究で明らかになった。なのにも関わらずこの考え方は信じられ、女性を進出させない理由にもなってきた。

この考え方がてきた背景には、男女が社会で求められていることの違いがあると考えられる。具体的には男性は仕事に向いていること、女性は家事育児など感情労働に向いていることを示そうとしたということである。

このほかにも、社会で言われている男らしさ・女らしさはそのトップだろう。そうやって無意識に刷り込まれた勘違い・偏見が差別を助長するのである。

これら制度の壁と作られたジェンダー観は、制度の上や感情の面で、特に女性の選択肢を奪う差別を行ってきたのである。

性別役割分業は工業社会の産物

この制度の壁と作られたジェンダー観の背景には、近代資本主義に裏打ちされた性別役割分業がある。

簡単に言うと、男は外で工場労働、女は家で家事・育児労働という仕組みが、産業革命以降出来上がった。この中で、誰でもできる家事労働をする女性は男性よりも劣っているという考え方も現れる。さらに、その家族は異性愛前提の核家族が規範となっていく。

結果、社会構造の中からこの規範に合わない者は排除されることになる。

例えばシングル父or母などケア労働を行う男性や働く女性である。シングル父は他の男性のような長時間労働はできない。何故なら家には子供もいるし家事もあるからである。また、シングル母は女に開かれた限られた職種でしか働けない。

このような例外とされた人達は、社会の子育て支援がなければ生きていけない。それにも関わらず、家事は家にいる女性がすべてしてくれるという大多数によって不可視化され、活躍ができないのである。

また、これは聞いた話だが、男性は結婚しないと出世できないということもあったらしい。驚きである。この中では結婚できないゲイ・バイセクシャル男性も当然排除されるだろう。

こうやって、これまでの社会はたくさんの人を排除して成り立ってきている。そして、それを何とかしたいというのが今の様々動きである。

変わる社会

ジェンダー差別解消が目指すものは、女性が男性の上に立つことではない。

性別による不合理な差別をなくすことである。それはどんなジェンダー・セクシュアリティであっても自らの望む選択肢があることである。

女性は現在男性にあるのと同じ社会参加の権利を持ち、男性は一家の大黒柱のような過度な期待から解放されること。

これが私が望むものである。

そのために、女性が劣っているとか、やる気がないみたいな発言を許してはいけないのだ。

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