見出し画像

三大欲求と言うなら性欲を保障しろと思う理由

最近こんな記事を読みとても興味深いと思った。

日本の避妊は「途上国」以下――ガーナ人女性が激怒した現実【早乙女智子×福田和子対談】

https://www.cyzowoman.com/2019/07/post_241849_1.html

この記事では日本の避妊・中絶の環境が、いかに世界基準から遅れているかを、保険適用されていない中絶・低用量ピルなどから考える記事である。特に印象に残った部分を引用し、性欲が保障されるべきと考えるに至ったかを書いていく。

女性が主体でない現状

先ほどの記事で一番好きな文章はこれである。

性産業従事者の女性は「男性を楽しませる」ためにセックスをしますが、家庭内の女性は「子どもを産むため」のセックスであり、女性が「楽しむ」という概念がなかったと思うんです。(本文より)

この文章は、何故女性主体の避妊方法ではなく、いまだに失敗率の高いコンドームが日本では主流となっているかについて、その歴史から福田さんが感じたことである。これによると、そもそも女性が主体になること自体がなく忌避されてきたのである。

一方で世界基準ではどんな性別であっても性を享受する権利があるとされている。性に関する権利として、性と生殖の権利、SRHR( Sexual Reproductive Health Rights )というものがある。これは、すべての人に対して安心して性生活を送り、子供を持つ間隔を自分で決められる権利があるという言うものである。

しかし上記の文章からわかるように、日本では女性に対して、この権利の概念は現在も浸透しきっていない。それどころか、女性が性の権利を持つことを長らく拒否していた歴史がある。

自らは奔放なのに、女性がそうなると困るという男性

画像1

1999年に低用量ピルが日本で承認された。実はそこに至るまで44年という長い年月がかかっている。低用量ピルの日本での承認が遅れた理由として、“女性が性に対して奔放であっては困る”という意見があった。女性が低用量ピルを用いて性に奔放になることによって、男性の優位性が失われ性感染症が蔓延するという意見である。

実際には、ピルが導入されてもすぐに男女の立場が逆転するほどではない。そもそも性感染症は男女両方にリスクがあり、低用量ピルを承認したからと言って、必ずしもコンドームを使用しなくなる訳でもない。それに、低用量ピルはIUDなどと異なり飲み忘れによるリスクもあり、さらに月約3000円と高い。それに上記のような偏見も根深い。

一方でに男性はどうだろう。まずコンドームは一箱1000円ほどと安価である。そして男性には性を謳歌するための商品がたくさんある。現在の日本には女性が男性客に接待をする、シスヘテロ男性向け風俗が多く存在する。そしてそこで女性を消費することが社会的に許されている。男性こそ性に奔放である。

低用量ピルが承認され、女性が性に主体的になってもなお、女性の性に対する偏見は根強い。このような社会の中で女性は、偏見と金銭的負担から性の権利を享受しているとは到底言い難い。その一方で男性は簡単に、安易にその性を謳歌できる。つまり、男性は性を謳歌してよいが、女性はしてはいけないというダブルスタンダードである。

以上の話から、女性は最近まで性の主体ではなく、その状態が現在も続いているということがわかる。実は、性の主体という話では、障害者も長い間主体としてみなされてこなかった。

性の権利から障害者を排除

社会の中では障害者の性の権利も剥奪されてきた。その状態は現在でも続いている。

一般的に障害者の性はタブーとされてきており、性の権利の主体としてみなされていない。具体的には、まず現在の障害者総合支援法には障害のある人による子育て支援に関する制度がない。

また、障害者は施設入所や入院での生活が基本とされてきた。集団生活の中では当然の様に性の権利は保障されていない。さらに、障害者の性の権利は、旧優生保護法に基づく不妊手術により国家にも剥奪されてきた。

現在では障害者の地域での自立生活や、一部の社会福祉法人による障害者子育て支援などが行われおり、改善の見込みがあると言える。一方で、施設で暮らす障害者も多いため、その道のりは長いと思われる。

余談ではあるが、この問題は社会福祉の中でもまだまだメイントピックにはなっていないように社会福祉学生の私は感じている。なぜなら授業で習った記憶が少ないからである。つまり支援者もこの問題に疎い可能性が高いのだ。

性の権利は保障されるべき人権

このように社会においては、性の権利はすべての人に開かれた権利ではなく、健常男性のみに開かれた権利であり、女性や障害者はこの権利から排除されてきた。そして現在それを改善しようとしている。

性に関する欲求は、一般に、食欲・睡眠欲・性欲と言う、人間の三大欲求から理解される。その中の性欲とは、これはユネスコによる国際セクシュアリティガイダンスに基づく考えた方であるが、生殖に関する欲求だけでなく、家族や友人、恋人などあらゆる人間関係を築こうとする欲求であると考えられる。

さらに、性欲は他の欲求同様に制御できるものである。私たちは自らの食べる量の調整や適切な場での睡眠ができる。それと同様に性欲も制御できるものである。(因みにできない場合は、性依存症など治療の対象になる。)

しかし、現在のこの“性欲”の使われ方は、男性の性欲は本能であり制御不能という一種の都合の良い訳として使われ、結果一部が性暴力となっている。しかも自らの権利を知らなければ、仮に被害に遭っても、それに抗議することも、おかしいと思うこともできない。

だから私は、他の食・睡眠とともに、すべての人の性欲・性の権利SRHRが保障されるべきだと思う。

自らの心地よい相手と心地よいやり方で、人間関係や性を享受する権利があるということ。これをすべての人が実感できるような社会を、性教育や制度など様々なものを通じて実現していく必要があると強く思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?