見出し画像

第三回:あなたのウェルビーイングを決めるのは誰か

こんにちは、ウェル・ラボラトリーズの金子迪大です。
 
初回から続く「あなたにとって善いこと」とは何か?シリーズ第三弾です。第二回ではウェルビーイング観とウェルビーイング度の違いについて説明しながら、ウェルビーイング度について考える前にウェルビーイング観について考えましょうという話をしました。
第三回となる今回は、あなたにとっての善いことを決めるのは誰なのか?という話をしたいと思います。
 
これまで、第一回、第二回では、あなたにとって何が善いかを考えてみてくださいという話をしてきました。これはあなたにとっての善いことをあなた自身に決めてくださいと言っていることと同じです。では、あなたにとっての善いことはあなた自身が決めるべきものなのでしょうか。

現代社会ではあなたのウェルビーイングはあなたが決めることが多い

「あなたは幸せですか?幸せの程度を0~10で評定してください」とか、「あなたは人生に満足していますか?1~7で評定してください」といった質問は心理学を中心に多くのウェルビーイングに関する学問で使用されています。また、産業界でもしばしば使用されています。もしかすると、あなたもこのような質問に回答したことがあるかもしれません。その時、ためらいなく回答できましたか?最初は「ん?幸せ?えーっと、何となく幸せかなぁ、とりあえず7にしよう」とか、「人生に満足、、、してはいるな。6にしよう」とか、戸惑いながらも何とか評価できたのではないでしょうか。
 
このような質問をウェルビーイング観とウェルビーイング度という視点から考えてみましょう。ここでは、幸せであることや人生に満足していることがウェルビーイングであるというウェルビーイング観が採用されています。また、これらの評定値が高いことがウェルビーイングの高さを表すというウェルビーイング度の前提があります。両方とも比較的受け入れやすい前提ではないでしょうか。

歴史の変遷とウェルビーイング決定者

しかし、歴史的に見るとこれは不思議なことです。たとえば宗教や哲学的思想などではどのように生きるべきかが説かれていました。その教えにしたがって生きることが善いことであり、それに反する生き方は悪い生き方です。その価値基準は自分自身が決めたものではなく、ガウタマ・シッダールタやイエス・キリスト、孔子や老子、あるいはそれぞれの教団や学派の初期指導者たちが作り上げたものです。ここに挙げた4人は全員二千年以上昔に生まれた人々です。最近でこそ宗教に対する信仰や儒家思想を身に着ける規範は廃れてきましたが、ほんの数百年前はこれらの宗教、思想に背くことなどありえませんでした。その当時に生きていたら、あなたのウェルビーイング観はあなた自身が決めることは出来なかったでしょう。さらに、儒学などは社会規範の中での善い生き方を説いていました。その中で、「自分はこんなにも社会規範を守っている」と主張したとしても周囲の人たちが否定したら虚しいだけです。つまり、ウェルビーイング度を決定する権利さえも自分が完全に保持しているものではありませんでした。
 
違う観点からも見てみましょう。古代ギリシャの哲学者であるプラトンの著作や孔子の『論語』を読んでいると、しばしば当時の人間観が分かって面白いです。その中では、女性や子どもに対する評価が非常に低く、自立した人間とさえ見られていないように見受けられます。場合によっては善い生き方が出来ないとさえ見なされています。あるいは、大航海時代以降に西洋の国々が世界各地を植民地とした際は、現地住民を未開の野蛮人と見なし善い生き方を押し付けました。先住民の親から子どもを引き離し白人家庭で西洋流の価値観を元に育てさせるような政策も行われました。
 
このように見てみると、必ずしも自分のウェルビーイングは自分で決めるというのは当然のことではありませんでした。しかしその後、自由主義の台頭により人権という概念が整備され受け入れられてきたこともあり、ひとりひとりの自己決定を尊重するように文化が変わってきました。この影響で自分のウェルビーイングを自分で決めることが正統化されていきました。

現代でもウェルビーイングを決められる人たちがいる?

ちなみに、人権という概念が受け入れられた現代日本でもいまだにウェルビーイングの自己決定が許されていない境界領域が存在しているように思われます。それが子どもです。子どもは十分な理性を持っていないから教え導く存在である、というのは古今の思想にしばしばみられますが、まさに理性が未発達であるという理由から自己決定をさせずに善い生き方を大人が与える傾向があります。
 
最近は徐々に子どもに対する尊重や人権意識も高まってきているので、もしかするとそのうち子どものウェルビーイングは子ども本人が決めるということが当たり前になるかもしれません。その時、理性的な自己決定によるウェルビーイングという見方が、理性を多少減じていてもその人個人を尊重するがゆえにウェルビーイングを自己決定することが当然である、という解釈になるのかもしれません。

意識、行動、生理・神経:テクノロジーの発達によるウェルビーイングの決定者

もうひとつ考えて欲しいのが、ウェルビーイングの測定は人々に対してウェルビーイングであるかを直接尋ねるべきものなのか、その人の行動を観察して調べるべきものなのか、あるいはその人の生理反応や神経活動を検討して明らかにするべきものなのか、ということです。この問題は面白いのですが複雑なためここで説明しつくすことは出来ませんが、いくつか話をしたいと思います。
 
まず、直接尋ねる方法は現在しばしば用いられている方法です。「あなたは幸せですか?」というような質問がこれに該当します。このような方法では人々の意識を測定しています。我々は日々物事を意識的に考えています。今文章を読んでいるのも意識に基づいていますし、誰かと話をするのも意識的な行為です。あるいは自分の頭の中で「今日の夕飯は何を食べようか」とか、「お客さんとのミーティングが終わったら資料整理をしなくてはならない」とかを思考することも意識です。我々は幼い頃から意識的な世界をどんどん拡張させています。その中で自分のウェルビーイングを考えることもあるでしょう。考えれば考えるほどウェルビーイングについての意識世界も広がっていきます。ウェルビーイングについて直接尋ねることでウェルビーイングを測定するというのは、この意識世界に働きかけるのです。
 
一方、心理学者は行動も大好きです。しばしば誤解されがちなのですが、心理学者は心という内的な意識状態を研究するよりも行動を研究することが多いです。たとえば笑顔の頻度や姿勢、うなずきの頻度などからウェルビーイングを測定することが考えられるでしょう。また、同様に心理学者は生理的あるいは神経的な情報を測定することも大好きです。心拍数や皮膚電位、表情筋、脳波、瞳孔反応、更には脳神経系の活動などです。これらを用いてウェルビーイングを測定することもあるでしょう。AIやセンサリング技術の発達で、今後ウェルビーイングの測定領域にも意識だけではなく行動や生理・神経情報を用いた方法が増えていくでしょう。
 
そこで考えて欲しいのですが、行動や生理・神経を測定するのは誰でしょうか。様々な行動、生理・神経活動がある中で、何をウェルビーイングと見なすのかを決定するのは誰でしょうか。おそらくあなたでは無いですよね。この場合、ウェルビーイング観や充足度、そして最終的なウェルビーイング度を決定するのは通常研究者や技術者、測定者です。つまり、ウェルビーイング観もウェルビーイング度も他者に委ねることになるのです。
 
行動や生理・神経情報を用いるとウェルビーイングが自動で測定できる、というと何か素晴らしいものを明らかにしているような気がしてしまいます。しかし、それは本当にウェルビーイングなのでしょうか。おそらく、あなたが考えているようなウェルビーイングとは全く違うものでしょう。
 
別に意識的なウェルビーイングに特権的地位を与える必要もありませんが、行動や生理・神経情報を用いるのであれば何のウェルビーイングを測定しているのか、それは本当にあなたのウェルビーイングなのかを問い直すことは必要でしょう。もちろん、あなたという存在を表情筋や心拍で語れたりするというのであれば別の問題かもしれませんが、現代社会でそのような雑な語り方をしたら怒られるでしょう。さらに言えば、この合意を取ることが意識的プロセスに依存することが多いのも、意識的世界から切り離して人間存在を語ることの難しさと言えるでしょう。
 
私はこれまで意識を測定する質問や、非意識的な行動を測定する実験、さらに自動的に反応すると考えられている視線の動きや脳神経系を測定する実験など多様な研究を実施してきました。だからこそ思うのは、テクノロジーは数十年~数百年後には人々のウェルビーイングを適切に測定できるようになるだろうということです。基礎研究者が日々たゆまぬ努力をしているからです。しかし、同時に、また何より重要なこととして、多少発達した程度の現段階のテクノロジーでウェルビーイングを理解できるようになるというのは幻想で、今はそれ以前に考えるべきことをしっかり考えましょうね、とも思います。これからも様々な新しいテクノロジーを用いた「科学的」を謡うウェルビーイング測定法が出てくると思いますが、いい加減なものも多いですので、ひとつひとつ丁寧に検証することが必要です。

まとめ

今回は「あなたのウェルビーイングを決めるのは誰か」というテーマで解説をしてきました。一見当たり前のように自分のウェルビーイングを決めるのは自分であると思うかもしれませんが、歴史的に見ればそれは近年のことに過ぎません。さらに、意識、行動、生理・神経という様々な指標でウェルビーイングを測定することが出来るとしても、ウェルビーイングを自己決定できるのは意識だけです。現代はもしかすると特殊な時代で、数百年前とも数百年後とも異なるかもしれません。それでも、時代によって変わるウェルビーイングの在り方の中で、少なくとも現代を生きているのであれば、現代流に考えて「あなたのウェルビーイングを決めるのはあなた自身である」ということはそこまで大きく間違っていないでしょう。
 
 
あなたがウェルビーイングな人生を送れることを心から願っています。


ウェルビーイングの研修・コンサル依頼は弊社まで!
ウェル・ラボラトリーズHP:https://well-laboratories.com/


↓の♡マーク(スキ)押してくれたら励みになります!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?