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心地よくいることすらも保有しない軽さ

きょうも朝から気分がわるかった。

なぜだか理由はわかる。PMSだ。
自然に湧いてくる不快感に、じぶんの事情を重ね合わせてみずから「問題」をつくりだすのがわたしのお決まりの月1ルーティーンだ。

わかっているのにその思考を止められないのもまた厄介。笑

考えることで沼にハマること9割
考えることで新しい気づきが生まれること1割。

きょう散歩をしていたときに、その1割の気づきと出会った。

なんでいつも不快感が湧いたときに思考を止められないのかを考えていた。

それは、「ずっと心地よい状態でいたい」という欲望によるものだった。
というより、「ずっと心地よい状態でいないといけない」と思い込んでいたという表現の方が正しいかもしれない。

なんかふと、

心地よくない状態の何がわるいんだろう?

って思ってしまったのだ。

負の感情を抱くことの何が悪いんだろう?

って。

自分の中で、心地いい状態=良いこと
心地よくない状態=排除すべきもの

という当たり前とでも言わんばかりの決めつけをしていたのだ。

よく負の感情も受け入れようって私自身も口にしてたことあったんだけど、わたしの魂胆は、

負の感情を受け入れたら幸せになれるから、ずっと心地よくいられるからネガティブも受け入れなければ!

という負の感情を受け入れた先に心地よさを手に入れられるよ!というゴールを目指していた。

だから必死のパッチでネガティブが湧いたときにはあらゆる知識をこねくりまわしてネガティブを受け入れる方法を探していた。

これ、普通に物理的欲求となんらかわりないエゴの構造やーーん。ってふと思ったんよね。

わたしは、ずっと人に落ち込んでいる自分、幸せを感じていない自分とか、そんな部分をみせるのがずっと苦手だった。
自分のダークな部分、かわいそうな部分をあけっぴろげて人にみせることができる人のことが全然理解できなかった。

でもその謎が今日解けた。

それはじぶんが、

落ち込んでいるのは良くない、劣等感を感じているのはよくない、心地よさを感じていないのは良くない 

という無意識の刷り込みがあったからなんだということ気づいた。

じぶんの惨めさを素直に人に伝えられる人は、不幸な人なんかではなく、実は負の感情になんのジャッジもせずに、自分に嘘をつかずにいられるすごい人たちなんじゃないかと。

そして、なぜだかわからないが、きょう心から

心地よさ感じてなくても、別にいいってか、なんの問題もないやん。

悶々と日々を過ごすことも、なんの問題もないやん。

って思ったのだった。

それが腑に落ちてから、自分のまわりにまとわりついていたうっすらとした、でも重い膜みたいなものがなくなって、また一つ軽くなった。自由をかんじた。

負を受け入れるって、こういうことなんか。

今まで表面上でしか意味を理解してなかったなぁ。ってしみじみ思ったのだった。

心地よさを保有しようとしない。

これこそが本当に自由に生きることができる極意なんじゃないかーーって湧いてきたのであった。

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