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私の魂の成長の話 ⑥

私は子供の頃から感受性が強くて繊細な子だった。❨最近だとHSPとかいったりするみたいだね。❩

物心ついた時には人の顔色は伺っていたと思う。

そんな私が何故、境界線のテーマをもって母を選んだのか?

それは私がセラピスト。という生き方をすると決めて地球に降りてきたからだと感じている。

セラピストとして生きるには、【境界線】というのは外せない学びのひとつなのだ。

セラピストだけでなく、医師や看護師•保育士•美容師なんかの人に直線触れる機会が多い人もやはり境界線は大切なポイントだったりする。

人間は物理的な部分だけでなく、エネルギー体(目で見えない触れない部分)も必ず持っているので、目で見えない境界線を持たないまま人と関わり続けると自分を守れない。

それで、体を壊したり精神的に辛くなって辞めていった人達を沢山知ってる。
(今思えば、あんなに境界線が曖昧なままでよく15.6年も人の身体に触れてたな。私。いや〜、よく頑張ったわ😅)


境界線がないと何か起こるか?
それは依存。

よく、最近のお医者さんが電子カルテばかり見て患者さんの顔をたいして診ない。
あの先生、冷たくてなんか感じ悪いわ〜。なんて話聞いたことない?
あれは、依存をうまない為に無意識的にお医者さんが自分を守ってるのよ。(全てがそうではないけど。)

もし、肉体の成長と共に精神的な自立が育っていたら、この依存。を体験しないまま大人になる事になったでしょう。

良きセラピストはクライアントに対して依存はうませない。

依存の状態から自立する為に境界線をつくる。を意識する必要が私には必要だった。

とはいえ、30年以上共依存状態で生きてきた私達母娘に境界線を作るのはホントに大変だったし、今も尚、そこに取り組み中であるともいえる。

残念な事に、私達家族は本音で話す。
という事をしてこなかったので、いざ向き合おうとすると(自分の想いを伝えようとすると)大きな恐れに飲み込まれてしまう。

まるで、ブラックホールに吸い込まれる様な感覚がうまれて見動き出来なくなるのだ。

で、結局何も言えない。そんな事の繰り返しだった。

なんでこんなに苦しまなくちゃならないの?
いっそ、逃げたままでもいいんじゃないか?
そんな風に思った事もある。

でも、とうとう逃げたままでは居られない。

これ以上は逃げられない。
という状況が思いもかけない形で、私達にやってきた。