【保存版】インナーチャイルド的あれこれ
インナーチャイルド的なことが
つらつら浮かんできたのでまとめてみます。
たとえば、
パートナーシップ 人間関係
親子関係 感情トラブル 暴力 虐待
セクハラモラハラなどハラスメント
あらゆる依存 中毒 執着によるトラブル
承認欲求 孤独感 介護や健康のトラブル
犯罪行為 など 社会問題
などなど
あらゆる問題やトラブルのねっこ
にある インナーチャイルド的
わかってもらえない⇄わかってもらいたい
愛されているという実感のなか⇄愛されたい
があったりするようにみえる。
大人というのは
泣いている子供(癇癪) を内側で抱っこしながら、
「 大人らしく振るまう 」ことを
社会から要求されている
まさに
育児の大変さがそのまま内で起きてる現象
社会という場で、
その子供の部分と子供の部分がぶつかったり
サポートしあったりしながら、
頑張って、大人としてふるまっている
というのが
社会=大人の世界の実情
なのだとおもう。
たとえば
怒り という癇癪
っていうのは 体質気質みたいなものもあるかもしれないけど、インナーチャイルド的要求 「わかってもらいたい」という強い欲求 からきていることが多いようにおもう。
なので、暴力的なこと、犯罪にも関係している。
愛されている という実感信頼 それがあるところに
身体的 精神的な暴力 は 起きようがない。
わかってもらいたい、
愛されたいっていう「本音」
それを我慢してきたり、
満たされなかったことによるフラストレーション
自分も愛されたいのに
親になって子供を
「ちゃんと愛さなくちゃならない」という課題
見た目はしっかり大人
そんな おじいちゃんの癇癪だって、
癇癪を起こして泣いている子供とおなじ
「愛されたい」というエネルギーだ。
介護問題や認知症などにも、このあたりの感情的フラストレーションはからんでいる気がしていて、道徳の授業の時間をそのままこのあたりのメンタルケアにあてたら、結構世の中いいかんじになる気がするのだけども、、、
解決しようとすることで、
どんどん、そのストーリーにリアリティを与えている。
真に受けているストーリーに巻き込まれない
テクニック #マインドフルネス #観察
「わかってもらいたい」=愛されたい
そんな想いが、さまざまなストーリー(悩み、葛藤、問題など)が 解決されることを拒んでいるケースもあって、そういう場合は #傾聴 共感的なアプローチ が必要だったりもする。
わかってもらいたかったんだあ
愛されてたかったんだあ
っていう認知
ただ、そうなんだ と認めてしまうだけ。
それだけで 気が済んじゃったりして、
想像していたよりも、
そんなに複雑なことじゃなかったりもするのだけど、
そんなに簡単に片付けないで!!という想い
が 問題を長期化させていたりもする。
まさに「わかってもらいたい」という気持ちから派生している想い 抵抗感が、問題解決を「延期」させていたりする。
そして、その分だけ、それだけ強く
「わかってもらいたい」って想いがあるってこと。
そのような視点による気づき
そして、
自分で自分をわかってあげる
自分で自分を愛するしかないんだなあ
ってことが
腑に落ちたり、心底諦めがついてくると
インナーチャイルド的なものは
終わっていくようにおもう。
その「諦め=受容」がおきるまでは 誰かやなにかに「わかってもらいたい 愛されたい」っていう欲求を満たしてもらおうと頑張るかもしれないけれど、
いつか、どこかで、終わっていくとおもう。
あらあら、インナーチャイルドがなにやら、やらかしているなあーぐらいな感じで見守っているその視点は
孫のそれを見守る
じいちゃんばあちゃんという「観察者」
そして、決定的なのは、
自分で自分を愛する…とかっていうけど、
そもそも、
その自分って?なんのことだろ?
ってことに気づいてしまうこと。
#非二元 #ノンデュアリティ 的気づき
結果的にそれは
インナーチャイルド以外もふくむ
ストーリーごとの解体だから。
“自分”というストーリーが続いている限りは、
インナーチャイルド以外をも含む
あーだこーだ は 完了 終わっていかない。
何故かといえば、
それが “自分”という活動そのもの だから。
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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