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ありがたいなぁ…愛おしいなぁという味わい

https://youtu.be/qs070DHDdsM?si=du6v-EbzQJO3Recz


感謝…という「感覚」を知らない。


というのは、、、感謝すべき瞬間に「ラッキー♪」ぐらいの感覚しか知らない(味わえない)というのはある意味、致命的なかんじがします。感謝という感覚・感性を人生をとおして受け取れていたなら、、、それだけで人生を豊かに生きていけるようにおもいます。

ツイッター(x)でも、このような「致命的」という強めのコトバで表現してみましたが、でもやっぱり、、、これは大袈裟な表現ではないようにおもいます。

なんで、突然こんなことをいいはじめたかというと、、、

感謝って、、、誰にでも「できる」ものだとおもっていました。

感謝という想いなんて誰でも「知っている」ものだと、、、
でも、「そうでもない」のかもしれない、、、

感謝という「かんじ感覚」を味わったことがない


ありがとう(感謝)というコトバはもちろん知っていて、
そのコトバを「言った・使った」こともあるけれど、、、
ありがたいなあ、、、、というその感覚を
「 味わったことがない 」という人もいるのかもしれない。

感謝というコトバや「ありがとう」という習慣は知っているけれど、
そのカラダ感覚を知らない…ということです。

感謝っていうのは
ラッキー(なんか得した!!!)
っていう感覚ではない。


感謝ってアタマ・理屈じゃないですよね
いまここカラダから湧き上がってくるもの。

でも、その感謝が湧き起こる瞬間に
ラッキー(なんか得した!!!)という感覚しか
味わえない・味わったことがない人もいる

この感謝という味わいは、、、

「 愛(愛する・愛される) 」

でもあって、、、ありがたいなあ…という味わいを知らないということは、この愛のかんじ感覚も知らない(それがここから溢れ出す感覚を味わったことがない)ということでもあります。


この感謝という感覚は、
感謝というコトバや
それが習慣として普及する以前から
「あった」感覚です。

ありがたいなあ、、、という味わい
愛おしいなあ、、、、という味わい

そのような世界や人とのつながり(実感)

その(感覚)を知らないというのは、
「この人生の豊かなその味わい」を知らないといってもいいからです。


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp

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