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2022年7月の記事一覧

お皿の上の《状態》を変えたいとき、、、悟りという絶対的な救いがあってほしいから「悟りがある」と信じたい。けれど、悟りとはなんなのか?ということに気づくと、悟りっていう「別のなにか」があるわけじゃない…となるから、それは言わんでもいいことなんだな…ってこれ、言っている( •ө• )

瞑想していて、世界からの音が聞こえたりする、思考という音も聞こえたりする。

……その二つのなにが違うのだろう?

その二つが「ひとつのかんかく・気づき」というパレットの中で、ぐちゃぐちゃに混ざっているかんじを味わってみると

そのマーブル模様は、どこからどこまでがそれとこれ??

わたしは、ひたすら、どこまでも「うちがわ」だけで生きているのだけど、わたしが寝ている時、意識を失っているとき、または死んでしまったときに「あなたは消えたりせず、ずっといたよ」とあなたがいうなら、それは「わたしが認識できない外側」で、それはあなたにとっての「うちがわ」 #一人一宇宙

ツッコむ隙間がない=ひとつ。

二元性には正誤があるけど、ひとつにはそれがない。正しいという完璧、間違いという完璧、不完全という完璧。

だから、ひとつではツッコミようがない。

“自分”だとおもっているもの

そこには「気づき」も含まれていると思うのだけど、その「気づき」で重なり合っている、共にあるものに気づいてみる。

この気づきは“じぶん”よりも先立っていて、自分=自我が生じる前からあって、自分がいても、いなくても、あり続けてる。