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当事者からみるLGBTQの話 ①当事者の意識

まぁ、世間一般的には取り扱いにくい話題ですな。
ここでは、当事者=ゲイとして書いていきます。

ほっといてほしい

表に出て発信している人たちって、本人たちにその気があってもなくても、いわゆる「ゲイの代表」「ゲイの代弁者」として、あの人たちの発言がゲイの総意と捉えられがちなのかなと。

ゲイはみんな「認めてほしい」と想いを抱いていると思われるかもしれないが、実のところ「認めてもらえたらいいなー」くらいの人が多いのも事実。
そして「今のままでいい。そっとしておいてほしい」という人もいるはずだ。
俺は、「認めてもらえたらいいなー」「ほっといてほしい」という都合のいいタイプ。

もうずいぶん前の話になるけど、東京プライドパレードと同じ日程で新宿二丁目祭り(レインボー祭り)があって、俺は二丁目祭りの方に遊びに行っていた。
その頃、LGBTがメディアで取り上げられることが多くなり始めた時期で、その日も仲通り(二丁目のメインストリート)にテレビカメラが入ってきた。それがすごくイヤだったのを覚えている。ドアもノックされずに黙って部屋に入られたような気持ち。

パレードや二丁目祭りの様子は翌朝のテレビのニュースで流れていたのだが、「ゲイの世界は決してアングラじゃないんですよー」と世間に認知してもらえる(かもしれない)ことは嬉しい反面、秘密基地を暴かれてしまったような焦燥感に似た気持ちを抱いた。
クラブのゲイパーティーにもカメラが入ってきたことがあって、自分を解放できるはずの場所にすら、自分を隠さなければならない存在が割り込んでくるのだ。

その頃は、「啓蒙活動はゲイリブの人たちだけで勝手にやってくれ、巻き込まないでくれ」くらいに考えていた。
閉鎖的ではあるけれど、ゲイである自分の居場所はきちんとあって、生きづらさを感じることはほとんどなかった。
逆にゲイの世界に光が当たるようになってからの方が面倒に感じる場面が増えた。

光が当たるようになると、思わぬところで話題にあがる。
親戚身内が集まった席、職場の休憩中…
もうね、どんな顔して話を聞いて話を流すか。
どんな顔してたらいいの。

こういう時は、本当に「(LGBTQの方々が)騒ぐのはいいけど、こっそりやって?」と思う。

とまぁ、否定的な書き方から入ってしまったが、文句ばっかり言いながらもしっかりと恩恵はうけているのだ。
俺って、ほんとに身勝手なゲイ。

当事者の意識

「ほっといてほしい」とは書いてきたが、ゲイに当たる風は確実にあたたかくなってきている。

制度でいえば、同性パートナーシップから始まり、保険金の受け取り、各種サービスの「家族」の枠決めなど、以前とは比べものにならないくらいに受け入れらている。
また、世間の認知度や理解も深まり、カップルでどこかに行っても「友人です」といわずに「カップルです」「パートナーです」と申告しても「え!?」とはならない。

そう、だんだんと暮らしやすくなってきている。
「生きやすさ」と「暮らしやすさ」は同じようで別物ではあるけれど、恩恵を受けていることには変わりない。

「ほっといてください、ゲイリブの方々」と、ゲイリブ呼ばわりしてしまった人たちの熱心な活動や発信があるからこそ、俺らはだんだんと暮らしやすくなっているのだ。
これからも自分では表立った活動をする気はないけれど、恩恵にあやかるのであればせめて感謝を忘れてはいけないのかな。

くれくれゲイ

「同性婚を認めてください」「ゲイをもっと知ってください」と、一方的な発信をするゲイもいる。
実際にいるんだわ、こういう人って。
認めてください!知ってください!っていう割に、SNSのプロフィール欄に「女性お断り」と書いちゃう人。

「ゲイのことを気持ち悪いと思う」ストレートの人たちに一生懸命「ゲイはそんなものではない」と説くんだけど、「女性お断り」な人が何を言っても説得力がない。

「気持ち悪い」っていう気持ち。
もうさ、これって仕方のないことだよね。思ってしまうことは。

で、ゲイの当事者に考えてみて欲しいんだけど、「女性とのセックス」「レズビアンのセックス」を気持ち悪いと思ったことはないですか?俺も女性とディープキスとか絶対ムリだもん。

そこですよ。
その辺を理解して受け入れて、気持ち悪くなんて思わないっていう境地に立ってから、「ゲイは気持ち悪くなんかない!」って言って欲しい。

いつまでも「くれくれゲイ」ではいけないんですよ、我々も。
自分たちも理解して受け入れていかなくちゃ。(きれいにまとまった)

ダラダラ長くなってしまったが、いちゲイからみたLGBTQのおはなしでした。

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