「世界平和」とは? - 人類に問う SEKAI NO OWARI / 世界平和
昨日投稿したアンケートにて、「好きな音楽や映画について」の記事が「気になる」との回答を頂きましたので、今回も私が好きな1曲をご紹介したいと思います。
前回、ご紹介した King Gnu "Teenager Forever" が元気の出る明るい曲調でしたので、今回はその反対に位置する曲を選びます。すなわち、怒りや悲しみを感じる曲です。
SEKAI NO OWARI - 世界平和
言わずと知れた大ヒットグループ SEKAI NO OWARI、 通称”セカオワ”ですが、
世の中に疑問を投げかけるような曲をたくさん作っています。
その中の一曲が「世界平和」です。
再生してみると、タイトルと前奏のギャップに驚かされます。
全くもって平和な音ではない。
そう、この曲には「世界平和」に対する皮肉のようなものが込められているのです。
ここからは歌詞の一部を抜粋しながら、その内容を私なりに読み解いていきたいと思います。
「セカイ平和」という戦争……
平和なんて化け物……
一見矛盾したように感じられる言葉の組み合わせが印象的です。
一般に「セカイ平和」と思われているものは本当に素晴らしいものなのか?
歌詞で、「セカイ平和」と括弧付きの表記をしていることや、セカイがあえてカタカナ表記になっていることにも意味がありそうです。
セカイとは?平和とは?
そのような疑問を投げかけられているように感じます。
そういうことですね。
人類が手を繋いで仲良くしているような光景は「セカイ平和」のようにも見えますが、その裏で自然環境が破壊されているのであれば、それは本当に「セカイ平和」と言えるのか?「セカイ」は人類だけのものなのか?
人類だって、平和から阻害される可能性があります。
国同士が仲良くして戦争をしない状態を「世界平和」と表現したとしても、その裏に貧富の格差や差別・抑圧があるとするならば、それは本当に「セカイ平和」と言えるのか?
人としての尊厳や人権を守られない人がいるとすれば、その人は「人」に含まれているのだろうか?
社会的排除という言葉があります。
人種、性別、国籍などの属性によって、社会の仕組みから締め出されてしまう人の存在を問題視した言葉です。
排除される人がいる世界の「平和」は、本当の平和なのか?
「世界平和」という言葉を使うときには、その「世界」がどの程度の範囲を指しているのかを考える必要があります。
実態は、国や地域レベルの平和かもしれないし、あるいは家族・親族レベルの平和かもしれない。花や人は含まれているだろうか?
「世界」を狭い範囲で捉えると、一般の市民は猟奇的になります。
自分たちの「セカイ」を守るために誰かを攻撃し、
線引きされた「セカイ」の平和をもって「世界平和」と表現します。
「セカイ」と「世界」の表記の使い分けからも、世界の範囲は人為的に定められたものなのだという皮肉を感じます。
曲の終盤では2つのメッセージが並列されています。
一般に「世界平和」としてイメージされているものは、「世界(人類の)平和」という化け物なのかもしれない。
そして、曲の最後。
この曲は、カラオケで1人で歌い切ることができません。
なぜなら、最後の歌詞は2つあるから。
1フレーズで2種類の歌詞が同時に表示されるので、
どちらかを選んで歌わなくてはいけません。
(歌うというよりは、唱えるという感じです)
前者は自然界から、後者は人類からのメッセージでしょうか。
ちなみに、イヤホンでこの曲を聴くと、左右の耳から両者の訴えが聴こえてきて、神様の立場を擬似体験することができます。
さて、どちらを選びますか?
私たち世界人類は滅ぼされないためにも、
「世界」や「平和」について考え続ける必要があると思います。
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