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2024

寒中お見舞い申し上げます。

昨年と同じく1月末の記事がnote書き初めとなってしまいました。元日の地震で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。その件で親戚の安否を確認し(無事でした)、また身内の病気や自身の体調不良もあり……色々と慌ただしく過ぎ去った1月でした。

今年の年賀状イラストもX(Twitter)にて公開しました。
今年はマンガ風のイラストです。

2024 年賀状イラスト

また、年始は比較的喉の調子が良かったので、短いラジオを更新しました。

このように、徐々にではありますが、活動を再開しはじめています。

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半年ほど活動をお休みしました。各種サービスもほぼログアウトし、生活の中で極力インターネットから遠ざかる日々を過ごしました。
その間に考えたことを書きます。


わずかな刺激や変化に過敏で、体調が急変して苦しみやすく、救急車を呼ぶかどうかしばしば迷う。休んでいる間、私はそうなってしまう原因を探し回らなければなりませんでした。

探し物は何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も つくえの中も
探したけれど見つからないのに

井上陽水「夢の中へ」

……頭の中にずっと流れていました。

探しても探してもこれといった原因は見つかりませんでした。

生得的に「身体を壊しやすい」「落ち込みやすい」ようです。生まれ持った機能の問題でしょうから、これはもう、どうしようもありません。

生まれながらの虚弱体質。
それは一体なんでしょう。
これ以上は考えたところでわかりません。


病状が悪い時、病院では『今すぐに死にたいような気持ちがありますか?』「ありません(どちらかというと死にたくない!という切迫した気持ちがあった)」『一日中何もしたくないと思う日がありますか?』「それもありません(やる気はあるので)」『そうですか』、そんな会話をしていて、「どこまで具合が悪くなれば病院できちんと診てもらえるんだろう?」などと考えてしまいました。よくないですね。

そんなことで騒ぐな!
そんなことで救急車を呼ぼうとするな!

……診察のたびにそう言われているような気がして、いつも落ち込みました。
自分より体調が悪い人がたくさんいるのは理解しています。それは大変なことだろうというのも理解しています。しかし私も私で、必死でした。

健康になりたい。歌いたい、喋りたい、表現したい。なのに、
「今の状態を維持してゆったり過ごしてください」という医師の言葉に、
“あなたは別に、元の状態に戻らなくたって、いいじゃないですか。”
そのような言外の意味を感じ取ってしまうぐらい疲れていました。
言われていないことを読み取ってしまう時、人は、とても疲れているものです。


医師は、すべて正常値の検査データを見せながら「日常生活で何か大きなストレスを抱えていますか?」と私に聞きました。「特にありません……」と答えながらも私は、考えうるストレス源のすべてと一度距離を取ってみようと思いました。ストレス=嫌なこと、とも限らず、ワクワクすることや楽しいことといった刺激さえも、弱った人間を苦しめる可能性があるそうです。

SNSを一度すべて休止してネットサーフィンをやめ、食事は1日3食バランスよく食べ、しっかり睡眠をとりました。朝は日光浴をして、適度に運動をし、時にはアロマテラピーやストレッチ、呼吸法、マインドフルネス……

……確かに体調は随分と良くなりました。しかし「完全に治った」とは言えません。ストレスを減らしても虚弱に完全に勝てるわけではありませんでした。

万策尽きたその時は、ただ寝転んで苦しみに耐えています。


意外にも、人間が好きである ことが、メンタルに悪影響を及ぼしているらしい。これも休んでいる間に分かったことです。

自分は社交的ではないので人が嫌いなのかもしれないと勝手に解釈していたのですが、どうやら、かなり人間が好きです。ちょっとめんどうな言い方をすると人間の総体が好きです。個人ではなく、人間という存在が好きで、どんな人に対しても「話したい」「この人のことをもっと知りたい」と思います。たくさんの人を見て関われるからという理由で、かつては教員志望でした。嫌な人がいても、この人はなぜこのような行動をするのだろう?と言うことが気になり、最後には人間は面白いなあという感想に着地します。

友人に「全員“実験参加者“に見えてるの?」と言われたことがありますが、そんなことはありません。ひとりひとりを被験体ではなくちゃんと人間として見ているからこそ、人と過剰に関わると、情報量が多くて疲弊するのです。

「人を選ぶ」、人間関係を適切に選別し整理するという行動。道徳的によくないとされることもありますが、ある程度必要なスキルでもあると思われます。私は真逆で、その場の全員に興味があって、全員のことに目を向けていました。

人間がこの世に何人いると思っているんだ。
ひとりひとりに注目しようとしたら、そら疲れるよ。

インターネット、特にSNSはその悪いところが出てしまうツールだと思っています。ひとりがたくさんの人に目を向けることができるし、たくさんの人がひとりに目を向けることができる。これは一般的な社交性のキャパシティを超えていますから、個人のメンタルにかなりの負荷をかけます。SNSやインターネットを利用していて疲弊するのは自然なことだと思います。ですから(特に私のような興味関心が幅広いタイプは)、疲れすぎないように、人間ともインターネットとも程よい距離を保っていたいなと考えていました。


療養の時間は自分と向き合う時間でもありました。
自分って一体なんだろう?
ほがらかでおしゃべりで、人の喜びが何より嬉しくて、パフォーマンスで目立つことが大好きな子ども。しかし一方で、病弱で悩みやすく、自分のことをうまく話せず人の輪にも入れずに一人で読書をしているような子ども。そんな子どもがそのまま成長しました。どちらも嘘ではありません。
矛盾しているような2つの要素がどちらも私です。人間を陰だ陽だと分類する人たちがいますが、だとすれば私はどちらの要素もある、あっていい、ということに、ようやく気づきました。

やっぱり人間はおもしろいな。

私の明るい性質は私の好きな部分です。明るいからこそ、ここまで病と共存することができています。今でも、様々な人と話したいし様々なものに触れたい。その明るさが傲慢さに変貌しないように注意深く自分を見守るのみ。

私の暗い性質も嫌いではありません。何をやってもうまくいかない要領の悪い日々、たくさんのコミュニケーションの失敗、それらを全て抱え込んで引きこもる悪い癖。それらはきっと多くの人と分かち合える経験でしょう。ただ一つ気をつけるべきことは、ひとりぼっちになろうとしないこと。それは、単純に、さびしいよ。

両方を抱えていたいです。



創作活動を「無理をしているのではないか?」「ストレスになっているのでは?」と指摘され、そうかもしれないと思い活動を休止していました。しかし今、しばらく休んだ経験から思います。

確かに時にはストレスにもなり得ますが、
それでも創作活動は自身に欠かせないものであると。

作詞作曲は、「派手」と「地味」、両方の要素を満たしているなあと思います。人前に出て目立つことでもあり、1人で黙々と作業することでもあるからです。私がバランスよく進んでいくために、私には創作活動が必要です。

そんなわけでまだ作詞作曲をやっています。自信と不安を同居させながら進んでいます。(おそらく立春に新しい曲が出ます)


自分の弱さを受け入れて、人の言うことは素直に受け取って、ストレスをある程度はコントロールして、コントロールできない時は諦めてよく寝て、人間やインターネットとほどよい距離を保って、自分のさまざまな面をバランスよく抱えて、……

気をつけるべきことは大量にあり、すぐ忘れそうになります。
ですが、その時々でよく考えること、それをこのように書いて忘れないこと。そうしていれば、きっと大丈夫、私は“いなくなる“ことはないでしょうし、少しずつ回復できると信じています。体調をみながら徐々に戻ってきたいと思います。


「あなたに」と書くとき、その「あなた」は他ならぬあなたです。「みなさま」と書くときは他ならぬ「みなさま」。夢みたいな話かもしれませんが私はその力を信じます。みなさまに聴いてもらえるような音楽、読んでもらえるような文章を作っていければいいなと思います。

2024年も、そして今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

市井ヒロノ


(文章を少しは書けるようになってきたね。回復の途中です。)

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