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「戦略なきリストラ」は最大の愚策 危機における経営の要諦|【特集】諦めない経営が企業をもっと強くする[Part4]

日本独自の技術・組織・人を守れ

かつては日本企業から世界初の新しいサービスや商品が次々と生み出されたが、今や見る影もない。その背景には、「選択と集中」という合理化策のもと、強みであった多くの事業や技術を「諦め」てきたとの事実が挙げられる。
バブル崩壊以降の30年、国内には根拠なき悲観論が蔓延し、多くの日本人が自信を喪失している。
だが、諦めるのはまだ早い。いま一度、自らの強みを再確認して、チャレンジすべきだ。

デジタルカメラが登場した1990年代以降、銀塩写真フィルムメーカーは危機に立たされた。その後の明暗を分けた、米コダックと富士フイルムの違いとは?

文・池上眞平(Shinpei Ikenoue)
富士フイルム元常務執行役員
1970年京都大学卒業後、富士フイルム入社。主に研究開発部門および知財部門を担当した。また、海外の企業との共同開発および海外の企業との特許係争の経験も持つ。


 「コダックを追い抜く世界一のフィルムを開発したい」──。そんな思いで研究開発者として富士フイルムに入社したという池上眞平氏(元常務執行役員)。顧客が何とか許容する画質と価格のデジタルカメラが登場した1990年代半ばが、銀塩写真フィルムメーカーにとって「受難の時代」の始まりだったという。結果としてコダックは2012年に破綻、富士フイルムは銀塩写真フィルム事業に代わる新たな活路を見出した。両社の明暗を分けたものは何だったのか?

米ニューヨーク州ロチェスターにあるコダック本社 (BLOOMBERG/GETTYIMAGES)

 コダックの異変に気づいたのは、1990年代後半頃のことだ。『Changing Focus:Kodak and the Battle to Save a Great American Company』という本を読んで衝撃を受けた。富士フイルムが米国市場でシェアを伸ばす一方で、苦戦を強いられたコダックは、93年に通信機器大手のモトローラからジョージ・フィッシャー氏を最高経営責任者(CEO)に迎えた。「選択と集中」と「コスト削減」の名のもと、2万人近いリストラが行われ、事業売却を進めた。フィッシャー氏は会社のスリム化には成功したが、新しい事業を生み出すことなく、これを後継者のダニエル・カープ氏に託した。

 私が特に注目したのは、一連の改革によって会社から家族的な雰囲気が失われてしまったということだった。それまでコダックといえば社員を家族のように扱い「親子3代コダックに勤めた」ということを誇りに持つ人たちも多かった。それでも、リストラを行った。「コダックのような企業でも、追い込まれると人を大事にしない」ということを思い知らされた。

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