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軍事研究反対を貫く学術会議 国から「真の」独立果たす時|【特集】歪んだ戦後日本の安保観 改革するなら今しかない[PART07]

防衛費倍増の前にすべきこと

安全保障と言えば、真っ先に「軍事」を思い浮かべる人が多いであろう。
だが本来は「国を守る」という考え方で、想定し得るさまざまな脅威にいかに対峙するかを指す。
日本人が長年抱いてきた「安全保障観」を、今、見つめ直してみよう。

政府の一機関であり、日本の科学者の代表機関が示す「軍事研究反対」の姿勢。これにより、全国の大学で、研究者の「学問の自由」が奪われかねない状況が生まれている。一体、現場では何が起こっているのか──。

文・編集部(野川隆輝)


 「はっきり言って面倒だった。正式な手続きを経て採択されているのに、なぜ抗議されないといけないのか。マスコミを連れて大学に行くとまで言われて……。ここまでされるとは思ってもみなかった」

 防衛装備庁が大学や企業を対象に公募し、資金を助成する「安全保障技術研究推進制度」に応募し採択されたある大学の幹部から今年4月、匿名を条件に小誌編集部に情報提供があった。

 「こうした事実を世の中の人たちに知ってもらいたい。抗議はわれわれの大学だけでなく、他の大学にも来ている」。幹部はこう言ってある団体からの抗議内容を教えてくれたのである。

 その団体とは「軍学共同反対連絡会」。ホームページを見ると、「大学や研究機関における軍事研究(軍学共同)に反対する団体・研究者・市民が参加する連絡会として、2016年9月に設立」されたとある。

 小誌が各種報道から収集した情報によれば、同制度に採択された大学のみならず、中には応募すらしないよう求められた大学もある(下図)。軍学共同反対連絡会の事務局を務める浜田盛久氏は「マスコミにも訪問する旨を情報提供した上で地域の市民や研究者の代表として赴き、団体としての考えを伝えている」という。

市民団体の反対活動が助成金の辞退
につながったとされる報道もある

(出所)各種報道を基にウェッジ作成

 同制度について、防衛装備庁装備政策課の担当者は「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待しており、先進的な民生技術に関する基礎研究を公募するもの。成果の公表は制限しないし、研究内容への介入もしない」と話す。防衛省幹部OBも、「技術の進化が早まる中で先進技術が従来の戦い方を一変させる可能性があり、『防衛』にも応用可能な先進的民生技術を積極的に活用するための基礎研究が重要だ」と、同制度の意義を語る。

権威ある組織の「声明」が
〝金科玉条〟となっている

 軍学共同反対連絡会が抗議で引用しているのが17年3月に日本学術会議(以下、学術会議)が発出した「軍事的安全保障研究に関する声明」(以下、17年声明)だ。

 学術会議と言えば20年、菅義偉首相(当時)が、同会議が推薦した会員候補者の一部を任命しなかった、いわゆる「任命拒否」問題で脚光を浴びた。同会議は首相所轄の一政府機関であり、年間約10億円の予算が計上されている。また、日本学術会議法第2条には「わが国の科学者の内外に対する代表機関」と規定されており、素直に読めば日本にいる約87万人の研究者を代表する〝権威ある〟組織だと言える。

 17年声明では、学術会議が1950年に発した「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明と67年の「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を「継承する」としている。当然、大学に対しても影響力があるのだろう。17年声明が発出されて以降、筑波大学や名古屋大学を含む複数の大学が軍事研究を行わない旨の基本方針を決定している。

 全地球測位システム(GPS)をはじめ多くの科学・技術が軍民両用(デュアルユース)との認識が世に広まる中、その線引きは可能なのだろうか。

 科学思想史が専門の東京大学大学院教育学研究科の隠岐さや香教授は「学術会議という組織が科学者の戦時動員の反省の上に生まれたとすれば、軍事と民事の間に境界線を設定し続けることはむしろ組織の使命」と話す。

 一方で、17年声明の発出当時、学術会議の会長を務めていた大西隆・東京大学名誉教授は、「冷戦の終結後、米国ではデュアルユースが進んだとされる。不戦の誓いを立てた学術会議創設時の思いは不変だが、当時と比較すれば、国防に対する国民の意識は変化しており、多くが自衛のための組織は必要だと考えているというデータもある。17年声明が求めている各大学の判断は、こうした国民意識を踏まえて行われる必要があるだろう」とし、判断は各大学に委ねられているとする。

 内容自体を疑問視する声もある。ある私立大学の男性教授は「声明の主語が『学術会議の会員』なら問題ないが、科学者全体のコンセンサスであるかのように捉えられるのは誤りだ。〝権威ある〟学術会議の声明は、その内容に必ずしも同意していない研究者の異論を受け付けないという無言の〝圧力〟にもなる可能性がある」という。

 また、国立大学のある教授は「仮に自分の研究が同制度に採択されたことで市民団体が抗議に訪れる事態になり、マスコミにも報じられれば、学内で堂々と研究しづらくなる。対応する職員の負担にもなると思うと応募を躊躇うかもしれない」と本音を漏らす。

 こうした〝圧力〟が影響しているのだろうか。「安全保障技術研究推進制度」が創設された15年に58件あった大学等(高等専門学校、大学共同利用機関を含む)の応募は20年には9件にまで減少。また、既に採択されていた研究への助成を大学側が辞退した例もある。

 前出の国立大学の教授は「学術会議は科学者の研究の自主性・自律性を掲げているが、『軍事忌避』によってわれわれのような立場の研究者の自由を奪っている。日本の安全保障にも基礎研究にも役立つことを考えれば、同制度にも意義はある」と強調する。

 17年声明には別の疑問も浮かぶ。そもそも「軍事目的のための科学研究」とは具体的に何を指すのだろうか。

 学術会議でかつて副会長を務めた唐木英明・東京大学名誉教授は、「『軍事』には『攻撃』も『防衛』も含まれる。人を殺めるための研究は禁止すべきだが、平和を守るための研究と表裏一体だ。防衛装備庁から助成金を受ける研究=軍事研究で、それは悪だとの主張はあまりに一面的すぎる。ケース・バイ・ケースで考え科学者の『倫理観』にも委ねられるべきだが、それは当然時代によって変化し得る」と語る。

 外部の研究者にはどう映るか。安全保障に詳しい慶應義塾大学SFC研究所の部谷直亮上席所員は「ロシア・ウクライナ戦争では、民生技術として開発されたドローンが軍事転用され有効性が証明された。スマホやパソコンなど、今や何が軍事に使われるか分からない時代にもかかわらず、声明の内容は終戦から75年以上たった今も『古い戦争』を想定したまま止まっている」と指摘する。

 学術会議の現役会員も務める国立大学のある教授は「広い意味での安全保障には、狭義の軍事技術ばかりではなく経済的・外交的・文化的取り組みを通じてあらゆる学問が効果を発揮し得る。例えば、天気予測技術は軍事戦略上クリティカルに重要だし、外部からの衝撃に強い建物の設計技術は民生用にも必要な場合がある。こうした研究を軍事か民生かの二元論で区分して何らかの制約を課す甲斐はあまりないのではないか」と話す。

「不幸」な形になってしまった
政治とアカデミーの関係性

 声明ひとつを巡ってもさまざまな意見が飛び交う中で、政府と学術機関との関係性はどうあるべきだろうか。

 日本を取り巻く「安全保障」環境が危機に瀕する現実を直視せざるを得なくなった今、政治や政策決定過程での科学や技術は一層重視されるべきと言える。学術会議が政府の一機関なのは、政府への提言機関として科学的根拠を示しつつ対等に議論することが期待されているからだろう。

 だが、「任命拒否」の一件が示したように、両者に「信頼」がないのは明らかだ。事実、政府が学術会議に学術的な調査審議を依頼する「諮問」の件数は、過去には1年間で10件を超えることもあったが、08年以降は0件が続いている。

政府と日本学術会議の関係性には、無数のひびが入っているように見える (WEDGE)

 信頼関係が希薄な中で、期待される役割を果たせるわけがない。それでも政府機関に居座り続けるのはなぜか。ある大学の教授は「一部の学術会議の会員は、国の組織の一員という立場を利用して『軍事研究反対』を訴えることが目的のようにも見える」と語る。

 先進国の多くは学術機関が政府から独立しつつ財政支援を受けている。その意味でも日本は例外的だ。海外の政府と学術機関が、健全な緊張関係の下、対等な立場で議論できる背景には、政府機関としての〝権威〟ではなく、国民からの〝支持〟があるからではないか。前出の唐木名誉教授は、「今の関係性が続けば日本にとって最も不幸。学術会議も、『科学』という国民に信頼されるべき存在が、『政府』という信頼が薄い組織の一員であることにより国民の関心と信頼を低下させていることに気づくべきだ」と指摘する。

 このまま従来の延長線上で考えていては、両者の溝を埋めることは難しいだろう。学術会議が今後も「軍事研究反対」のスタンスを貫くのであれば、国の機関であるという〝権威〟に固執せず、政府から独立した組織として再出発することも検討すべきだ。

 そうした組織として国民から支持される活動を行い、ひいては政府からも一目置かれる存在となる──。それこそが、わが国の科学者を代表する機関として果たすべき役割であり、国民の期待する「新しい学術会議」像と言えるのではないだろうか。

出典:Wedge 2022年8月号

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