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〝機能不全〟を乗り越えよ 令和時代の「人材育成論」 |【特集】人をすり減らす経営はもうやめよう[Part-6]

日本企業の〝保守的経営〟が際立ち、先進国唯一ともいえる異常事態が続く。人材や設備への投資を怠り、価格転嫁せずに安売りを続け、従業員給与も上昇しない。また、ロスジェネ世代は明るい展望も見出せず、高齢化も進む……。「人をすり減らす」経営はもう限界だ。経営者は自身の決断が国民生活ひいては、日本経済の再生にもつながることを自覚し、一歩前に踏み出すときだ。

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文・中原 淳(立教大学経営学部教授)

文・中原 淳( Jun Nakahara)
立教大学経営学部教授
専門は人材開発論・組織開発論。1998年に東京大学教育学部を卒業後、2003年大阪大学博士号(人間科学)取得。東京大学准教授などを経て、18年より現職。立教大学経営学部リーダーシップ研究所副所長などを兼任。主な著書に『職場学習論』、『経営学習論』(共に東京大学出版会)。
バブル崩壊後の制度変化やテクノロジーの発達は、企業の経営環境に大きな影響を与えた。時代の変化を受け入れ、次世代を担う人材を育てることが、日本企業の将来の発展を支える。

 大規模かつ長期間にわたるわが国の低成長期はまさに、日本企業における「人材育成」が機能不全に陥り、経営課題として横たわってきた期間とも重なる。それは必ずしも、個々の企業・組織の怠慢から生じたわけではない。むしろ、「ポストバブル期」と呼ばれる1990年代以降に日本企業を急速に襲った経営環境の変化がもたらした〝歪み〟のようなものだ。裏を返せば、日本企業がその機能不全を乗り越え、次世代の人材育成を再構築することこそが、人的資本の質を高め、「生産性」や「価格転嫁力」の向上をもたらすともいえよう。

 まず、ポストバブル期に生じた経営環境の「変化」を振り返ることで、現在の人材育成の機能不全を考察しよう。

 一つ目は、人事制度上の変化だ。90年代以降、バブルの崩壊によって長期化する不況に対応すべく、「長期雇用」「年功序列型賃金」の段階的な撤廃が行われ始めた。同時に、仕事の業績を給与と連動させる「成果主義制度」が相次いで導入された。

 業務成果を個人に負わせる人事制度のもとでは、労働者は自らの業績達成のために個人の業務に向かわざるをえず、結果として、職場の個人が他のメンバーの発達支援を担うという、日本企業らしさが失われていった。

 さらに、人材が流動化し、中途採用者の組織参入が活性化することで、職場の人材育成システムはさらに複雑化する。中途採用者に対し、入職したその時点から〝即戦力〟というラベルを付与することで、「周囲からの支援やケアをそれほど必要としない人」として扱われることが多かったのだ。

 だが、多くの場合、中途採用者が能力を発揮するためには、新たな職場の風土や慣習、社内システムなどへの馴化が必要なことが多く、そのための業務支援が不可欠だ。このような労働者の働き方の変化が、高度経済成長期における〝ムラ社会〟的な組織の人材育成制度を徐々に機能不全に追いやっていったのである。

 二つ目の変化は、国際化と情報化の加速である。90年代以降のインターネットの発達、さらに、2000年代以降のAIやITといった技術革新によって、世界中の企業の生産性は飛躍的に向上すると同時に、国際的な競争に晒されることとなった。

 その仕組みを生かし、新たなイノベーションや商品を生み出すことができる企業は、前例がない価値に対して値段をつける権利を手にし、先行者利益を得ることができる。GAFAのプラットフォーム事業や新型コロナウイルスのワクチン開発事業は、国際的な需要が見込まれる新たな価値を生み出した。さらに、テクノロジーを活用した企業は業務の自動化・効率化により、生産性を落とさずに余暇を生むことができる。

 デジタルに対応することができた国や企業は、それにより手にした資金的・時間的な余裕を人材育成へと投資することができる。一方、デジタルへの対応が遅れた多くの日本企業は生産性が上がらないまま、激化する国際競争の渦に飲まれ、長時間労働が常態化し、人材育成にかける資金的・時間的な余裕を失っていった。

良い人材を獲得できるのは
「次世代を育てられる企業」

 新型コロナの流行によるテレワークやオンラインの普及によって、業務の脱・組織化、デジタル化はさらに加速した。それらを踏まえ、令和の時代に即した人材育成について考えてみよう。まずは、従来の組織で暗黙知のように行われてきた「察する文化」に依拠した人材育成を、形式知化・体系化することだ。

 上司と部下の関係性でいえば、これまでは営業先へ移動する電車の中や、ミーティング後の雑談で自然と行ってきた業務の進捗確認やフィードバックが人材育成に寄与してきた。しかし、リモートワークが増えれば、そういった「隙間時間」の減少につながるため、その時間を代替する仕組みをいかに形成できるかが重要だ。同様に、中途採用者に対しては、人事・管理職が定期的に面談を行ったり、業務の標準化をすすめマニュアル類を整備する。あるいは、同時期に入社した中途採用者のつながりをつくったり、職場単位でメンター(相談役)を割り当てるなどの支援体制を整備することで、彼らの定着が期待できる。

 このように、業務の個人化が進むほど、管理者にはより高度なマネジメント能力が求められる。例えば、HRビジネスパートナーに代表されるように、事業部署に人事担当者を配置し、人事部と連携しながら管理職支援を行う仕組みを導入することも効果的だ。日本は外資系企業と比べて、管理職支援が極めて手薄である。

 さらに今後の日本企業に求められることはテクノロジーの進化に対応できる人材を受け入れ、育成する仕組みを整えることだ。

 国際的にみれば、まだまだ日本のデジタル教育は遅れているが、小学校では20年度からプログラミング教育が必修化され、コロナ禍では大学の授業もオンラインへと移行し、クラウドやチャットといったデジタルツールを当たり前のように活用している。次世代の若者にとって常識的なデジタル化にすら対応していない企業は、彼らの業務能力を向上させる土壌すら用意できていないことを意味する。

 終身雇用制度が揺らぎ、人材の流動化が進むほど、人を大切にし、人材育成の能力に優れ、より多くのスキルを得ることができると判断される企業だけが、採用競争力を高め、さらに良い人材を獲得することができる、という好循環を得られるのだ。テクノロジーや社会環境の変化はその速さを増すが、それに伴って組織を適応させていくことができる企業や経営者と、思考停止のまま従来のやり方に固執する者とで、今後、大きく明暗が分かれるだろう。経営者にとっても、従業員にとっても大切な企業を守り、発展させるためには変化に順応し、受け入れていくことが欠かせない。

 そのような時代に即した人材育成の仕組みを、企業外や社会の中に実装していくことも必要だ。その一例が、教育と就労を交互に繰り返す「リカレント教育」の普及だ。筆者は立教大学経営学部で人材開発・組織開発の分野における高度専門人材を育成するカリキュラムを開講しているが、生徒は40代~50代で、企業のマネジメント職に就いている者が多い。彼らは普段、週末の授業で学んだ人材開発・組織開発の知識を生かして、平日、事業部の組織課題のデータ分析を行ったり、組織を対象にした調査を行ったり、ワークショップや研修を行っている。学びと実践を交互に繰り返すことで、高い学習効果をあげることができるのだ。

 このように、日本全体として人材を育てていく仕組みを整備し、発展させていくことで、日本企業の国際的な競争力が高まり、われわれの生活もより豊かになるはずだ。

出典:Wedge 2021年10月号

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