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障害者だから買ってもらうのでなく「これが欲しい」と選ばれるサービスを生み出したい-100万人に1人の難病 落水洋介さん

この記事は「北九州のすごい人たちを紹介したい」と2018年に運営していたメディアの記事をg.o.a.tからnoteに移行したもので、インタビュー当時2018年時点での情報です。


落水洋介さんの紹介

  • 株式会社つなぐ 広報

  • 合同会社PLS 代表

落水洋介さんは結婚してお子さんを2人授かった後、2013年に30代で「100万人に1人」といわれる難病であるPLS(原発性側索硬化症)を発症しました。
PLSは少しずつ身体・手足・口が動かなくなってしまい、あと数年後には寝たきりの状態になってしまう重い病気です。
難病が進行し、歩くことができない現在は「仲間たちが応援してくれて、発信していくと支援の輪が広がって得た」という電動車椅子WHILLにて自身で移動されています。

仕事として株式会社の広報や合同会社の代表を務めるほか、Webメディアの連載や講演活動で自身の病気について発信を行っていらっしゃる方です。

プライベートでは2人のお子さんと奥さんの、4人家族。

100万人に1人と言われる難病になった原因はあるのでしょうか

PLSは「原因不明の病気」と言われていますが、ブラック企業で働いていた時から発症するまで過度のストレスはずっとありました。
ストレスで脳梗塞になる人もいれば、胃潰瘍位で済む人もいる。
僕はそれがうつ病でもなく「神経」に来てしまったんだと思います。
ブラック企業で働いていた時、その企業でナンバーワン営業という存在だった親しい先輩が独立する時に、僕もその企業をやめてついていきました。
僕のことを一番心配してくれていましたし、何より尊敬していましたから。
そんな先輩がその後にうつ病・アルコール依存症を発症して、借金を重ねるようになってしまったんです。
僕も営業を頑張りましたが、給料は振り込まれませんし、出張して死ぬ気で会社に売上を持って会社に帰っても、会社が借りた借金を返せとやってきた借金取りに取られました。
そうこうしているうちに先輩は病院送りになってしまった。
自分の家族に対しては本当のことが言えなかったので、僕自身が借金して家にお金を振り込んだりしていました。
2年間ぐらいその状態が続いて、体がおかしいと気がつきました。
病気の発症です。
大丈夫だろう、大丈夫だろうと思っていたらそれが。
今思えば頑張り過ぎてしまいましたね。

ブラック企業ではどんな状態だったのでしょうか。

休みは日曜日と月曜日でしたが、日曜日はお客様の都合で頻繁に呼び出されました。
化粧メーカーの営業で僕は美容室専任だったから、「薬剤が切れそう」だと美容室から度々連絡が入ったんです。

当時勤めていたブラック企業の上司は強烈で、毎朝1時間お説教です。
そのせいか脳が麻痺してたように思います、冷静な判断能力がなかった。
電話がかかってきて、受話器から「お前謝れ」「土下座しろ」とか怒鳴られるんですね。
それで電話の受話器を持ちつつ土下座してたら「お前、床に頭つけとんか」と更に言ってくる。
でもすごく勉強になった会社です、社員の教育はしっかりしてましたし。
「七つの習慣」のことも、そこで知りました。

自分にとっては「伝え方」の勉強にもなりました。
仕事で美容師さんに講習をするのですが、時間は夜です。
美容師さんが疲れ果ててというところで講習しないといけないわけだから、それは必死で。
なので話が面白い人の講習とか話術、間の取り方なんかを、もう一言一句もらさずノートにまとめて勉強してました。
帰宅して12時1時から、飲みながらです。
上司が強烈過ぎて、頑張らないと生きていけなったから、そこまでやりました。

でも、それが今活きていますね。
全部繋がっている。
あれがなかったら、今の自分はいません。
あの経験が無ければ、今のように人前で話すことは無理だったと思います。
初めてキャリア教育研究会で講演をすることになったのは、研究会の会長が「最後に話して。あなたの母校だし。」と2日前に持ちかけてきたからです。
「母校とは言っても、昔のことだし。僕のことを知らない人たちに突然話をするなんて冗談だろー!?」と驚きました。

ブラック企業で身につけた「伝え方」の技術とは?

全然ですよ。
練習して実践して「思ったこと伝わらないな、じゃあこう変えてみよう」その繰り返ししかない。
同じ言葉を使っても、同じ間で話しても、人によって空気によって反応が違いますから。
だからお笑い芸人とか落語家はすごいですよね。
しかも口だけでなくお客さんから「服脱げ」と言われたら脱ぐこともできる。
すごいと思います。
それに同じネタなのにウケるんです。
お客がそのネタを飽きずに待ってるぐらい。
講演だったら同じ内容を出すと、普通は飽きられるじゃないですか。
あとはミュージシャンがずるいですよね。
講演で内容が同じなら「同じか」とがっかりされても、音楽なら「もう一回もう一回」となる。
だから落語家はすごい。
ある意味あれが音楽です。
こっちだって必死に話してるし考えてるのに、太刀打ちできない。
音楽はやはり世界中にある、不変のものなんだと感じます。

一緒にイベントをしたり、僕の曲を作ってくれた現役医師の音楽ユニット「insheart」さんたちには飲みながら「マジ音楽ムカつく〜」なんて絡んでしまったり笑
彼らは本職の医師の仕事終わりに練習するそうです、夜勤明けでも。
ちょっとおかしいですよね?でも本当に普通のいい人たち。
歌と曲を書いて、プロモも全部自分たちで作っている。

力を入れている活動や、今後したい活動について教えていただけますか

僕は親とか妻には介護されたくないし、頼りたくないので、頼らなくて済む未来を作るために活動しているという気持ちはありますね。
障害者ができる仕事をいっぱい作っていきながら、その障害者が生活できるようなシェアハウスがある。
僕がそこで生活し、ボランティアとして僕と一緒に活動してくれる人や、寝たきりになった僕をプロとして支える人を養成する場所をイメージしています。
そこの障害者の仕事は障害者の仕事という見せ方を一切せずに、わざわざ「来たい」から、わざわざ「食べたい」から、わざわざそのサービスを「受けたい」からお客さんが来てくれる場所、大きな町みたいなものを作りたい
僕が病気になって最初に躓いたのは「どうにかして家族を養って生きていかなきゃいけない」のに障害者の仕事がなかったこと。
あったとしても超単純作業。
頑張っても月20000円。あっても100000円。
家族を養えない、では作っていくしかない。
僕はゼロから1を作る才能はないけれど、あるものを集めていくことはできるんじゃないかと考えています。
若松で事業として成功している方のノウハウを使わせてもらって事業をし、自分の発信力を上げつつ、障害があっても稼げるものを増やしていきたい。
僕が病気で実際に動けなくても、仲間には色々な分野のプロがいますから。
僕が「何かかしたいね」と言ったら「一緒にやろうよ」と言ってくれる環境を作る。

家族との関わりに変化はありましたか

複雑ですね。
仕事のことも家庭のことも。
苦痛という時期はありました。
でも、今はよい原動力になっています。
子供に不自由な思いは絶対させたくない。
妻にも親にも介護とか、見てもらいたくない。
妻も37でまだ若い。
自分の人生も大事にしてほしい。
色々な思いがあります。

今は子供と妻が妻の実家で、僕は僕の実家と離れて暮らしています。
親には反抗期再びです。
なんていうのかな、親が心配そうな目で見てくるわけです。
申し訳ないと思うし、「わー見るなよ」とも。
そして怒りに変わってくる。
心配されればされるほど「ありがとう」じゃなくて「もういい、放っておいて」となる。
自分が年をとって反抗期になって冷静に考えてわかったことは、反抗するってことは甘えなんだなということ。
だって外では絶対にしません。
何言われても流せるし、笑えるのに、親にはできない。
何をいってもどんな態度をとっても親は俺を嫌うことないと深層心理で思ってる。
だから言ってしまう。
それが反抗期状態。
でも本当に困ってる時に来てくれない時は「来てよ〜!」。
ただのわがままです笑

おわりに

ブラック企業で心身をすり減らしたことが難病の原因ではなかったかと落水さんは話してくれました。

「みんな幸せそうに見えて、色々なものを抱えているのが分かるようになりました。障害のある人とかその家族に聞いてほしいではなく、みんなに聞いてほしい。みんな生きづらさを感じている。」

落水さんの経験が、沢山の方に伝わればと思います。

インタビュアー:高橋建二
インタビュアー・撮影・編集:かやはらあやこ


▲インタビュー中に話してくれた落水さんが作りたかった場所があと少しでグランドオープン!

落水洋介さんの講演依頼・お問い合わせは

株式会社PLS公式サイト

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