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#74 公平性を追求する難しさ

少し前に、あるニュースを聞いてから「公平であること」についてぼんやりと考えています。

学校でも会社でも、「不公平は悪、公平であるべき」という空気があって、その逆を主張するひとはほとんどいないように感じます。

それに異論はありませんが、なんとなく「公平であるべき」というのは現実的でないというか、「誰にとっても公平であることなんてないのでは?」と思うこともときどきあります。


パッと思い出すのが、会社員時代の業績評価。

私は会社員として3社で働きましたが、それぞれ企業規模は異なるものの、半期に一度、設定した目標に対して実績かどうだったかを上司と面談しながらフィードバックを受けるという一連の流れ。その結果で、賞与や給与アップ、プロモーションが決まるというのは3社とも共通していました。

会社員の方なら想像いただけると思いますが、この業績評価は、目標設定そのもののあり方や、評価する上司の資質(得意領域)や相性、明確な評価基準など、とにかく”公平性を確保する”には難しいことだらけです。


なかでも印象的だったのが、コンサルティング会社の人事評価。

コンサルを謳うだけあって、目標設定も評価軸も、めちゃくちゃキッチリしていて細かい指針がありました。
役職ごとに決められたリーダーシップやマネジメント能力、という大きな軸にとどまらず、計画設定、実行力、課題管理、突発事象への対応、クライアントとの関係性、メンバーの育成、バイタリティなどなど、その指針を理解するのに1日かかるんじゃないの、と思うような細かさです。

そして「一つ上のランクで求められることを目標にする」というナゾの慣習もありました。ランクごとに決められた目標があるのに、さらに一つ上のものを設定。

これは、評価が絶対評価ではなく相対評価なので、評価会議で優位に立つための手段です。今のランクで求められることよりもさらに上のランクでできることをやり遂げた、ということでもって、限られた人数にしか与えられないS評価(最高評価)を取るという手段。

社員数が多くなればなるほど、きっと、公平に評価するために必要なこととして考えられた制度なのだと思います。しかし、わたしには内容が細かすぎてかえって運用を難しくしているように見えました。


公平性を追求する難しさは、「何に対して公平/不公平」という判断軸を当てはめるのかによると思います。

でも、少なくとも「ひとがひとを判断する」「ひとがひとの扱いを決める」ということに対しては、どんなに完璧な取り決めを作っても公平性を保つのは難しそう。

だけど、やっかいなことに、人が公平性を声高に求めるきっかけの大半は、「ひとがひとを判断する」局面のような気もする。堂々巡りですね。

自分が公平に扱われなかった事案って、それなりの腹立たしさを感じるものですが、こればっかりは解決策のない問題なのかもしれません。そういうときは、その事案自体を忘れてしまう、記憶から消し去るほうが一番精神的にはいいのかもしれない、となんとなく思っています。



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