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旅の回顧録☆初めての海外旅行、終わりの始まり。

1995年、私が初めて行った外国はスペインなのですが、そのときに利用したイベリア航空は、ロシアモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港を経由する便でした。

クリスマスを終え、スペインで新年を祝おうと、私は当時の元ボーイフレンドと、彼の親友が語学留学をしているマラガを目標にしていたのです。

しかし、その旅は2人切りではありませんでした。私の高校の後輩2人の女の子たちも一緒でした。

もともと、その元ボーイフレンドと引き合わせてくれたのが、その後輩たちでしたから、むしろ私が割り込んだようなものです。合計4人の仲間で、彼らの友人1人が待つマラガへのハチャメチャな旅が始まったのです。

正直、私はイヤでした。ボーイフレンドと2人切りがよかったというわけではなくて、私以外の全員がすでに何度も海外旅行を経験していて、どこで何をすればいいかわかっている彼らに、指図されるのがイヤだったのです。

今なら、何てことないんです。自分より若い人から何かを教わることに〈ありがたさ〉しかありません。当時はプライドが高かったのですね。

そのとき、国際線の飛行機の中での飲み物は、アルコールも無料だと知りました。食事のときにワインを何本も頼む彼らに呆れていましたが、私もいつの間にかその空気に飲まれて、バカッター並みに飲んでしまったと思います。思い出すと、すごく恥ずかしい。。

モスクワでのトランジットは5時間以上あったと思います。私たちはカフェで休憩することにしましたが、そこは生ぬるいコーヒーと冷たくしなびたフライドポテトしか置いておらず、私は何となく、ソ連時代の国の歴史や背景が浮かんできて、どんより重くなってしまったのでした。

ところが、私の元ボーイフレンドと後輩2人の女の子は、私の頭の中とはまったくかけ離れたことを考えていたのでしょう、ついにはしゃぎだしたのです。
「探索しようぜ」
3人は空港内を散策しに行ってしまいました。

今は全然違っているのでしょうが、シェレメーチエヴォ国際空港の夜中のトランジットでは、空港内はどこもとても暗かったのです。私は初めての海外旅行で、ずいぶん神経質になっていたと思うし、実は父から受けた暴力による心の傷が長らく癒えておらず、他人の一挙手一投足に反応してしまう、適応障害気味(私自身もそのことに気づいていませんでした)であったのです。

今時間を巻き戻せたら、私も一緒に楽しめたのですが、私は1人でふて腐れて、冷え切ったコーヒーを舐め、スマホもない時代、やる気のないカフェの店員同士のおしゃべりをぼんやりと聞いていただけです。

ゲラゲラと笑いながら戻ってきた3人に、愛想笑いしかできず、特に彼らが何をみてきて、どう感じたか、私はきもしなかったんです。

もったいないですよね、異文化を楽しめないなんて。書いていて、私はどんだけブスだっただろうと感じました。

結局、帰国して私がフラれてしまいましたが、ここでとても学びました。これは、私の人生の上でも、ワースト3に入ると言える〈恋愛失敗談〉です。

顔の造作ではなく、「笑顔はあなたを最高に美しくしてくれる美容液なのですよ」、今ではいつも自分に言い聞かせていることです笑。

わらかどにはふくきたる。

忘れないようにしましょう。

本編スペインでの印象深い旅のお話は、また近いうちに。

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