★曼荼羅、そしてネパールで見た六道輪廻図。
前回書いた『なぜ、勉強しないといけないの?』なのだけれど、少し補足したいと思いました。
生きることや生き方に悩んでいた10代。
勉強すること(学ぶこと、読書すること)で混沌(カオス)としていた頭の中が体系化され、だんだんと秩序(コスモス=宇宙)ができてくることで落ち着いてくるというようなことを言いました。
この〈宇宙〉は、曼荼羅を描くことに似ていると感じました。勉強することで、頭の中に曼荼羅を描くのです。
曼荼羅は道端のマンホールの模様をみても感じるし、家にあるサーキュレーターをみていても感じます。私たちの周囲は曼荼羅に囲まれているようにみえます。
秩序のある曼荼羅を眺めている(瞑想すること)だけで、私は気持ちが落ち着いてきます。
そうやって静かに瞑想していると、やがて私たちを取り巻く世界が、一つひとつの秩序(小宇宙)の連続で大きな秩序(大宇宙)を描いているのだと感じてきます。これが曼荼羅です。
ちょっと調べればわかりますが、曼荼羅に関して、真言宗や心理学者ユングの話、数学のフラクタル図形のことなども出てきますが、ここではそこには触れません。
とにかく、頭の中に曼荼羅を描くことで心の静寂を獲得することは、人間がより良く生きられるためには必要なことに思えます。
少し話は逸れますが、何度かお話しているとおり、私は社会で働くうちに次々にやってくる難問に対応できなくて、29歳頃から適応障害となり心療内科でカウンセリングを受けて、32歳を迎える頃には1人でインドまで旅ができるまで回復しました。
インドから渡ったネパールで、私が「答えを得たぞ」と感じたのが、仏教寺で出会った六道輪廻図です。
引用:Wikipedia
ネパールのお坊さんはこの図を私に「Mandala」と言ったので、この図も曼荼羅の1つと捉えていいと思いました。
六道輪廻図での丸い六道の車輪を抱いているのが、〈無常〉を表す無常大鬼というそうですが、読んで字の如く、この大鬼は無常、つまり〈死〉を表しているそうで、ここには〈老い〉も含まれると考えます(六道については、ご興味のある方はぜひご自身で調べてみてください)。
この無常は私が以前述べた「神はただそこにいるだけ。何もしない」というお話に重なると思いました。
〈概念〉というのは様々な表現がなされますが、深いところでは重なることも多いのですよね。
その1つが勉強することで、いろいろなことが得られると思っています。
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