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★「“親ガチャ”にハズレた」と感じている人に、今こそ諭吉の“学問のすすめ”。そして、永山則夫のこと。

「“親ガチャ”論争」なるものを知りました。

個人的な意見なのですが、誰がみてもめぐまれなかった運というのは一定数の子どもにはあるけど、本人の努力でカバーできるものなら親のせいとはひとくくりにできないのではと考えるので、この言葉が乱用されることに少し違和感があります。

自分でそのガチャ、くつがえしてみてはどうでしょう。

私は“親ガチャ”にハズレたと感じている人には、福澤諭吉の〈学問のすすめ〉を読んでみてはどうかなあと思っています。

今の日本に必要なことで、今読んでも色褪せて感じないのです。

諭吉はご存じ、現在の1万円札の人というだけでなく、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と説いた人という認識がほとんどかもしれないのですが、それだけの賢人ではありません。

しかし、彼が創設した慶應義塾大学に入学するには、難しいテストを受けた上に、合格しても高い授業料を支払わなければなりませんから、

「じゃ、入学志望者、何で試験してふるいにかけんの?」
「授業料たけえし」
「ぜんぜん平等じゃねえし」
「ちょっと上からじゃね?」

そんなことが聞こえてきそうです。

が、それは、諭吉のいう本質を捉えていないかもです。

私自身も親ガチャにハズレた毒親育ちです。そして高卒です。

何も、慶應義塾大学に入学しなければ、政治のことも、法律のことも、化学、地学、哲学、語学...、それらが学べないということはないと考えています。

現に、諭吉は慶應義塾大学で学ぶ門下生に語学を教え、彼らにあらゆる言語を翻訳させ、私たちの誰しもが外国から来た学問(蘭学)を、自国の日本語で学ぶことができるようになりました。

興味深いのが、今年7月にお亡くなりになったノーベル物理学賞を受賞した益川敏英ますかわとしひで先生は、授賞式で英語が話せず世界が驚いたことですが、これこそが諭吉や諭吉の仲間たちの翻訳のおかげなのです。

それらを私たちは学校の図書館以外でも、書店や自治体図書館や国会図書館で閲覧することができます。誰でも望みさえすれば、学問は閉ざされたものではなく、誰でも学べるということこそが諭吉の精神なのです。

入学試験というのは本来フェアなやり方です。でも、万全の環境下で受験勉強ができる人なら運がいい。合格できなかった人の家庭状況を考慮していません。それが、私たちはいつ頃からか、合格者と不合格者を「人の価値に優劣をつけるもの」と勝手に勘違いするようになってきました。

何より、諭吉自身が、門閥もんばつ制度で身分の差を受けて才能を伸ばせなかった父のかたきをとる形で猛勉強し、出世したのです。だから、諭吉が「人の価値に優劣をつけている」この実情を知ったら、きっとなげかわしく思うでしょう。

〈学問のすすめ〉を正しく知ると、容易にわかることです。

諭吉の〈学問のすすめ〉の唯一の欠点はタイトルがキャッチーではないところです。だから、読まれないんだろうなーと思います。明治時代の大ヒットセラーだったにも関わらず。

そして、永山則夫についてです。

そう、青少年の犯罪でよく言われる「永山基準」の永山則夫です。

永山も親ガチャにハズレ、ろくに学校に通わず学ぶことを放棄し、(当時の扱いでの)未成年の19歳で連続殺人を犯しました。最終的に死刑判決を受けて執行されたのです。享年48歳です。

ご存じなければ、詳しくはWikiってみてください。

永山は死刑執行を待つ間、減った腹を満たすようにたくさんの本を読み、学んだそうです。そして、後悔もしたようです。手記〈無知の涙〉は、私が上京した21歳に神田の古書店でみつけて読み、今も手元に取ってあります。

永山は獄中で小説家になり、文学賞まで受賞し、その本の印税で「日本と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしい」と遺言し、実際に〈永山子ども基金〉が創設されました。

つまり、極端な話ですが、人は刑務所でさえ学べるということです。

残念なことに、先述したように、入学試験は「人の価値に優劣をつけるもの」と勝手に勘違いするようになってきた人もいるので、高い教養を身に着けていても、最終学歴や学校名ではねのけられてしまう人は大勢います。

でも、少数でもわかってくれる人は世界にはいますし、それがどの人か気づけるようにもなってきます。

永山の時間が巻き戻せたなら・・・。そんなことを思います。

だから、“親ガチャ”論争はひとまず放っておいて、この秋は自分のために本を読んでみませんか。もうすぐ1万円札の諭吉ともお別れですし、〈学問のすすめ〉オススメですよ

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