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【清水カップ】私のターニングポイント №27

今日は、初めて遭遇した時に、そのネーミングセンスにやられたぁ、となった、庵忠 茂作(あんちゅう もさく)さんの企画、「【清水カップ】私のターニングポイント」への参加記事です。

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ターニングポイントってどこだった?
と今までを振り返ってまず浮かんだのは、中学校の時の担任、カイトー君から選択肢をもらった時だ。


中学3年生の春、勉強に全くというほど興味がなかった私は、受験勉強というものも特にせず、行けるところでいいかな、くらいの感じに甘く考えていて、友達たちとA高校へ行っても仲良くしようねー、なんて言い合っていた。


夏休み直前のある日、私は担任のカイトー君に、「ちょっとこい」と呼ばれ、「お前、B高校を受けてみないか?」と言われた。


「へっ???」



B高校は私立のカトリック系女子高で、髪型(おかっぱ、おさげ、オンザ眉毛)や、靴、靴下、制服の着方までもが校則で決まっていたり、厳しいしつけや男女交際禁止などにより、同年代からは超ダサいと不評でも、その当時の親御さんからはすこぶる評判の良い、いわゆるお嬢さん学校だった。

自分はお嬢さんには全くもって程遠いし、B高校は "賢い公立高校のすべり止めの私立高校" という認識だったので、私の選択肢にはその気配すらなく、というか、そもそも選択できる成績じゃないし、あまりに突然な先生の提案に、「この時期に何言い出すんだ?」と思いつつ、とりあえず説明だけ聞いて、「考えてみます」と言って帰ってきた。

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カイトー君は、私の中1と中3の時の担任で、2年生の時は年子の妹の担任という、我が家では3年間続けてお世話になっている、縁ある先生だった。
まだ20代の若い体育の先生で、熱くて厳しいけれど、サバサバとして話の分かる兄貴分のような存在だったので、男子生徒からも女子生徒からも人気があり、我が家でも全面的に信頼されている先生だった。

そんな先生なので、親に話しても大賛成だし、部活の友人も、「校則以外はノビノビやれそうだし、案外あんたには合ってるかもよ」、なんていうものだから、そうかもなぁー、と、夏休み前にはカイトー君の進めてくれた高校に行くことに決めた。


今思うと、A高校に行くんだろうな、とは思っていたけど、実はどこかしっくりしていなかった。
でも、どうしたらいいかわからないし、そうするしかないのかな、と漠然と思っていた気がする。
だからB高校を勧められた時、少し希望が見えたというか、行けるのならば行ってみたい。と、どこか嬉しく、迷うことなく決められたのだと思う。
だって、A高校出身と、B高校出身では、この辺りでは全然違っているから。
何にも考えてなくて、努力もしてないのに、私もそういう事は一応気になってたんだな。(ならやれよって話(笑)


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無事にB高校に通うことになり、1年生の時にバスケ部の顧問に出会い、猛烈に憧れ、バドミントン部からバスケ部へ移って、“私も先生のようになりたい!” と、高校時代は、ほぼ部活に明け暮れます。

高3で部活を引退し、部活漬けだった私は、またまた卒業後など考えておらず、さて、どうしようかな? な、ある日、ふと気づきます。


”そっか! 先生と同じ大学に行けばいいんだ“

”先生と同じ大学に行く!”

”先生になるっ”


と、大好きだった先生と同じ大学を目指します。

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↑先生の好きなSNOOPY


その頃のB高校は、少し田舎の学校であるというのと、時代という事もあって、卒業後は進学よりも、”素敵なお嫁さん目指しましょう”、みたいな空気で、卒業後は半分強が就職、残り半分弱が進学。進学組も、短大が人気で、四大はかなりの少数派でした。

就職組は親や親戚の縁故もよくある話で、就職後は20代中頃には結婚、出産、退職・・・の時代、勉強に興味がない自分がまさか大学を、先生を目指すことになるなんて思ってもみなかった。
ホント人生ってわからない。



なんとか推薦枠に滑り込み、先生と同じC女子大学に入学できた・・・


・・・ものの、大学時代は私にとって超暗黒時代となった。シクシク。

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少し脱線するけど・・・

実はこの大学、少し遡って、中学1年生の時に友達と一緒に行きたい、と言っていたC女子大なのでした。

中学1年生の時に仲の良かったD子ちゃんは新体操に夢中になっていて、「C女子大の新体操部顧問に教わりたい!」、とC女子大を目指している事を教えてくれました。

C女子大には体育学部という1日中運動をしていられる学部(想像&妄想&憧れ)があり、「運動好きだし、私も一緒に行きたい。行く!」なんて、言っていたのでありました。
ホントなにも考えていない・・・笑


そんな事はすっかり忘れ、随分と大人になってから、そういえば、D子ちゃんとそんな事を言っていたな、と、知らない間に目標達成できてた事に気づいたのでした。


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あまり思い出したくない超暗黒時代だけど、「いつかこの大学時代があってよかった、ってそう言える日がきっと来るよ」と暗い部室で、コートの片隅で、合宿所で、励まし合った人生の友が出来き、親に喜んでもらえて数少ない親孝行が出来た。

まだ心からそう言える日は来ていないけれど、この大学へ行った事は後悔していない。


ドラマチックな展開なんてものはなく、結局、大好きな先生とも、色々あって疎遠となり、教師の道も、「勉強に興味がない自分が先生になっちゃいけないな」と教育実習後に方向転換して一般企業へ就職し、曲がり道、迷い道くねくね、と今に至ります。


日々、大なり小なりの選択の繰り返しで、その時選んだモノ・コトによって今の自分があると思っているけど、今の私を成している大人へのスタート地点は、あの日カイトー君が、私の持っていない選択肢をくれた時だと思っている。


カイトー君には、感謝しかないです。
有難うございます。











拙い文にお付き合い戴き、有難うございました。





庵忠茂作さん、企画に加えて戴き、
振り返るきっかけを下さり、
有難うございました!







ではでは。

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