旅の回顧録☆きみはぼくの運命の人!
2000年5月のインド、カルカッタ(コルカタ)でのお話です。
寺院巡りは日本であっても好きです。カルカッタにはムスリムが多いのですが、ヒンドゥー教の女神〈カーリー〉が祀られたカーリー寺院があります。
その場所には浅草寺の仲見世のようにたくさんの店がひしめいていて、楽しくて一人でウィンドウショッピングをしていました。
中でも私の目を惹いたのは、キレイな柄のインド綿の布帛でした。
そのときでした、背後から「エクスキューズミー」と声をかけられたのです。振り向くと、パリッとした襟の白いシャツを着た、清潔感のある青年が立っていました。
「あなたは日本人ですね。僕はカルカッタ大学の学生です。チャイでも飲みながら、僕の勉強のために日本のことを教えてくれませんか?」と言うのです。
え?32歳よ、私・・・。少し警戒したけれど、チャイはどこで飲むのか訊いてみました。
「そこのレストランですよ。お食事がまだならば、一緒にランチもどうですか?」
む、怪しい・・・。どこからみても私がお金を持ってるようにはみえないはずだけど、何が目的だろう??
そう考えたことを悟られたのかな。
「悪い者ではありません。僕たちは宗教上、困っている人や旅人に施しを与えることで徳を積むのです。僕の大学の先生も呼んでいいですか?私たちは日本に関心があるので、紹介したいのです」
む、どうしよう・・・。
私はインドの人やイタリア人、スペイン人の方たちの英語が聞き取りやすいので、お互い話が通じ合いました笑。
「もし、差し支えなければ、僕の大学の先生を呼んでもいいですか?」
青年はどんどん私に畳みかけました。
レストランは人が多いし、ま、いっか。「OK、お食事しましょうか」
彼は喜び、私をそのレストランへ案内してくれました。他にも客は大勢いて賑わっていたので、心配はしませんでした。
食事(ターリー)が終わる頃、大学の先生とやらが来て、私たちはチャイをオーダーしました。町中では1ルピーくらいで飲めるチャイが売っているけど、カップ&ソーサーで出てきました。
彼らはそのチャイをカップからソーサーへ注ぎ、こうやって冷まして飲むと教えてくれました。ちょっとびっくり。
いろいろと日本のことを訊かれた憶えがあります。食事とチャイの代金は、先生が払ってくれました。
でも、そのあとの事件が衝撃的過ぎて、そこで何を会話したか詳しくは憶えていません。
「どうやら、インド綿の布地が欲しいようだね。あなたが熱心に眺めていたと、彼から聴きましたよ」と先生は言いました。
「はあ、まあ・・・」
私はお金を使う気はなかったのですが、いい店に連れて行ってあげると言うのです。いやいやいや・・・。
でもね、歩いてすぐそこと言うので、私はついて行ってしまったのですよ。
そうしたら、次から次へとキレイなインド綿の布帛を出してくる。これでサリーを作るのでしょうね。私は調子に乗って「かわいい、キレイ」を連呼してしまいました。
そしたらですよ、その先生「では、どれを買うのかい?」ときたのです。
「いえいえ、私はお金がないので買いません」
そう言うと、「おまえは私に恥をかかせた!私が店を紹介したのに何で買わないんだ!」と怒られたんです。
やれやれ、とんでもないことに巻き込まれたぞ。そう思ったときです。
「日本の方ですか?」と、奥から日本語の話せるインド人の店員が出て来たんです。
「ええ、そうです。日本語が話せるのですね」
「はい、大阪の日本語学校で学びました」と言うではありませんか。
彼は、何やらその先生とベンガル語かヒンディー語で会話を交わしました。そして、私に、お金がないなら何か代わりのものを寄こせと言っていると言うのですよ。
『マジ、何もないし』と、バックパックの中にある日本から持ってきたMade in Japanの、まっさらのさらしのシーツを取り出すと、何だそれはと先生は言ったのです。
南京虫防止のために目の詰まったシーツを自分で用意して持って行った方がいいと〈地球の歩き方〉に書いていたから持ってきていたのだけど、このときまで使う必要がありませんでした。
そしたらね、そんな美しい白い布をみたことがないから、こっちに寄こせと言うんです。
日本語の話せる店員さんは、もうこれは渡した方がいいと言うので、悔しいけど渡しました。
そしたら、先生たち御一行、退散しましたよ。
でも、よくよく考えたら、この日本語の話せるインド人のおにいさんも怪しいと思いませんか?
まあ、助かったので、私はお礼を言って退散しようとしたら、
「これは運命だ!」と今度はそのおにいさんに引き留められました。
「今のようなピンチで君は僕に救われた。これは運命というしかない。君と僕は結ばれる運命なんだ!」
インドで約1時間前に出会った人から求婚されるなど、夢にも思いませんでした。
私は今度こそ命の危機を感じて、頭をフル回転しました。また1時間以上押し問答があったように憶えています。
チャンス到来、他のお客さんがやって来て、彼が接客しなくてはならなくなりました。そこで、私はすかさず逃げました。重たいバックパックを担いで、とにかくどんどん走りました。
ゼイゼイ、ハ―ハーと息を切らして逃げて、もうカルカッタを出ようと考え、お猿さんのいるバラナシへ移動したわけです。
今思えば、その人は私と偽装結婚して、日本での永住権が欲しかったのだと想像します。
何とか皆さんにこのお話が披露できたということは、生き延びたということです。笑い話にできて幸いですが、これは絶対にマネしてはいけないお話です。知らない人と知らない場所に行ってはいけません。もちろん、インドの方はこんな人ばかりではありません。
皆さんはくれぐれも気をつけてくださいね。では、また。
※本業の都合上、私のnoteは、今後は日・月・土曜日の投稿となります。
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