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死にたいと思えることは辛いかも知れないけど、幸せなのかもしれない

私は単純に死ぬのが怖い。
子供のころから、ずっと死ぬことが怖かった。
大人になった今も死ぬことは怖いことだと考えている。

伊坂幸太郎の小説に、死神の精度、というものがある。
死神目線で、死を取り扱う、感じなのだが、作中でも死ぬことへの恐怖を描いていたりもする。ただ、これを読むと少し死への恐怖が緩和される気もするので、死にたくない、死への恐怖を日常いつも感じている、という人は読んでみることをお勧めする。

で、そんなことではなくて

人は皆、基本的には死にたくはないし、生きていたい。死ぬのは怖い、と感じていると思う。
でも、人は必ず死ぬ。
そして、死んだあとにどうなるのかは分からない。というよりも、むしろ死んだら無になる。要するに生まれる前と同じ状態になり、ずっと永遠に目が覚めることがない。

そう考えたら、やっぱり怖いと思う。

子供ながらに死への恐怖に取りつかれ、がむしゃらに自転車を漕いだことを思い出した。全力で自転車を漕いで疲れた時に、少し、死への恐怖が和らいだ。疲弊して、逆に心が落ち着いたのだろう。今すぐには死なない、ということから死への恐怖を脱したものと思われる。

そして、数年たち、大人になり、今でも死ぬことが怖いわけだが、たまにふと、人生に疲れて、死んでも良いんじゃないか?と思ってしまうことがある。それは、疲れて、どうしようもなくて、はー、人生お先真っ暗だぜ、と思える時である。

人はだれしもが、そんな感じで落ち込むときがあるはずだ。

そんな時、死んでも良いかも?なんて思ってしまうことがある、そして最近のはやりみたいな感じで芸能人はよく自殺していたりするのだと思う。

そんな自殺してしまった芸能人を、皆が、可哀そうがる。

確かに、可哀そうだと思う。もっと、まだまだやれることもあるだろうし、人生は楽しいことも多い。

でも、人はいずれ死ぬ。

だとしたら、死んでも良いかも?と錯覚している時に死ねることは、それはそれで幸せなことなんじゃないか?と思わなくもない。

人は冷静に考えたら、死ぬことは絶対に怖い、と思う。だって、無だよ?今まで自分が生きた思い出もなにもかも、幸せだったことだって、無にかえっちゃうんだよ?それが怖くない人なんているのかな?

ってくらい、怖いことなんだと思う。

でも、そんな恐怖に打ち勝って、死んでも良いかも?って思えている時に死ねるってことは、ある意味、死への恐怖を感じずに死ねているわけだから、ある意味で、本人的には一番良いタイミングで死んでいるのかも、という気すらする。

ただ、私はやっぱり死にたくはないし、不老不死の薬とか発明されないかな、と切に思っている。

私の愛娘と一緒に不老不死の薬とか開発できたら、本当に最高だと思う。

以上、1121文字

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