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我が愛しのスパイダーマン 2.サム・ライミ監督編


 皆さん、こんにちは。サムライミ監督は、サムライ映画を撮るべきじゃないですか? 木賃もくちんふくよし(芸名)です。

 さて。映画「スパイダーマン / ノーウェイホーム」を観てきた訳ですが、あまりにも素晴らしく、感想を吐き出さないと倒れそうなので感想を書きたいけどネタバレ感想を書くには早すぎるし、ネタバレを避けたら、

 (´・Д・)」 最高。


 しか言えなくなっちゃうぐらい複雑な構造になってるんですよ。ええ。
 んで、ワタクシにとってこの映画が最高な理由は間違いなく、


 スパイダーマンの
 ファンとして過ごした
 44年間があるからです。


 この44年がなくたって、「ノーウェイホーム」は面白い映画なのである。しかし、惜しい。知れば知るほど面白くなる「ノーウェイホーム」の魅力を、ネタバレなしで伝える方法はないか。

 そこで、ワタクシは考えた。
 ノーウェイホームに至るまでのスパイダーマンを語ってみてはどうか? と。

 今日は、その2日目である。


 初日はこちら。


 それでは、本日はスパイダーマン初の映画とその続編2本について話していこう。
 スパイダーマンの初登場は今からちょうど60年前の1962年である。
 しかし、初映画化はなんと2002年。信じ難いが、40年目にして初の映画作品なのである。


 バットマンが1939年に初登場。→映画化1943年(単体映画としては1966年)
 スーパーマンは1938年初登場。→映画化1948年(単体映画としては1950年)


 この2作が続編シリーズやリブート映画を作ってきた事を考えると、スパイダーマンはなんと40年目にして、ようやく初の映画化と言う遅さなのである。

 えっ? 1977年からニコラス・ハモンド主演の実写映画「スパイダーマン」が3作品もあるだって?

 (´・Д・)」 残念だが、それはTVドラマシリーズの映画用再編集版だ。しかも1作目はTVドラマのパイロット版だ。
 無論、「それでも映画は映画だ!」という主張はあるだろうが、それを認めるなら、

 1978年の
 東映まんがまつり版
 スパイダーマンも
 間違いなく
 劇場公開作品だぞ?


 どや? 24分しかないTV版と変わらぬ空気でも一応劇場公開作だぞ? 劇場用完全オリジナル作品だぞ? 認めるか? 東映版スパイダーマッ! だぞ? 同時上映がハーロックとか、長靴をはいた猫とか、キャンディ♡キャンディでも認めるか? ん?

 おっと、いけない。ちっともサム・ライミ版「スパイダーマン」の話にたどり着かない。
 前振りをすっ飛ばして映画の話に移行しよう。

 映画が公開されたのは2002年。ぶっちゃけて言うと、1997年に、


 マーベル社が倒産したからである。


 マーベル社倒産を知る人は日本には少ないが、マーベル社は1986年頃から経営が悪化、キャラクターの映画化権などを売りまくって誤魔化していたものの、とうとう1997年に倒産したのだ。

 同じマーベルの「X-MEN」が2000年公開。
 同じく「ブレイド」が1998年公開なのはそういった事情がある。

 一般的にアメコミ映画ブームの火付け役はX-MENだとされているが、違う、そうじゃない。鈴木m…ブレイドなのである。

 そして悲しいかな。アメコミ映画ブームの本当のトリガーは、


 マーベル社の倒産
 だったのである。


 ※ 無論、それだけじゃない(特にスパイダーマンの版権はややこしい)けど、本項では簡略化して、そーゆーコトにしておく。


 当時、DCのバットマンは「Mr.フリーズの逆襲」で大コケ。むしろMr.フリーズはバットマン映画、ひいてはアメコミ映画業界そのものを凍りつかせたのである。

 だが、マーベルの「ブレイド」は黒人で、吸血鬼と人間のハーフを主人公に、シリアスでダークな作品を「大人向けエンタテインメント」として映画化。
 これが大人向けアクション・ドラマとしてヒットしたのである。

 続くX-MENは、当時の技術では荒唐無稽で映像化不可能と言える設定を、ギリギリ陳腐にならないレベルで映画化。原作通りの軽妙な掛け合いも受け、当時のスターウォーズのように「子供向け映画が大ヒットを飛ばすなんて!」と予想を覆したのである。

 そして、この波に乗るようにして現れたのが「スパイダーマン」だ。その監督はホラー映画界の寵児であり、ヒーロー映画界の彗星、サム・ライミだったのである。

 サム・ライミは「死霊のはらわた」で脚光を浴びたホラー映画監督。
 同時に「キャプテン・スーパーマーケット」や「ダークマン」でヒーロー映画を撮る才能も充分だった。
 そして、自身もスパイダーマンの大ファンであると言う。

 主演はキャリアも演技も抜群なトビー・マグワイア。
 冴えない科学オタクの少年ピーター・パーカーを演じるには最高の適役だ。
 ヒロインのメリー・ジェーン(MJ)も子役時代から「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」「ジュマンジ」で才能を発揮したキルスティン・ダンスト。
 そして宿敵グリーンゴブリンを演じるのは、マスクをしてない方が怖いよアンタ、

 ウィレム・デフォー


 という素晴らしい配役。
 ストーリーは科学好きの高校生ピーター・パーカーが放射能蜘蛛に噛まれ、蜘蛛のスーパーパワーを手に入れ、その力に酔い、叔父の死を経てヒーローとしての責任を全うする「スパイダーマン誕生編」だ。


 そして、ピーターの親友ハリーの父、巨大企業オズコープ社の社長ノーマン・オズボーンが、奇しくもスーパーパワーに目覚めて悪に染まり、グリーンゴブリンとなってスパイダーマンと敵対する「最初の敵編」でもある。

 このサムライミ版「スパイダーマン1」は面白い。非常に良く出来た作品である。だが、正直に言って、前半のテンポが悪い。
 蜘蛛の力を手に入れるまでのパートが長過ぎるのである。丁寧なドラマ作りと言えばそう解釈も出来るが、如何せん「蜘蛛の力を得る」「増上慢になる」「叔父を死なせてしまう」「ヒーローとして人助けをする」「MJとの関係」「親友ハリーとの関係」「グリーンゴブリンの葛藤」と描かねばならない事柄が多過ぎて、どうしてもバランスが良いとは言えない。

 だが、そんな事を忘れさせる程にアクションが素晴らしい。
 なぜスパイダーマンがこれまで映画化されなかったかって? 簡単さ。

 ウェブ・スイングを
 表現できなかったからだ。


 ビルとビルの谷間を、蜘蛛の糸を使って、ターザンのように飛ぶ。
 コレをチープにならず、大迫力でスリリングに表現できる時代になったからだ。

 CG技術の発展である。そして、サム・ライミの才能である。
 それまでのスパイダーマンは、多くビルの上層階から上層階へと渡り歩いていた。

 しかし、サム・ライミはコレをビルの下層階、つまりは人や車が行き交う道のすぐ頭上で行ったのである。
 単なる移動、単なる人助けがこんなにも面白い。これがサム・ライミ版の魅力のひとつだ。

 監督が原作コミックスのファンと言うだけあって、映画オリジナルの設定は少ない。
 スパイダーマンと言えばウェブシューター(蜘蛛の糸を出す装置)だが、本作では使用されず、体内で生成した糸を手首から飛ばす。
 しかし、この設定も一部コミックスシリーズからの流用で、オリジナルではない。

 もっとも大きな変更点は、ワイズクラック(wisecrack)がない事だろう。
 ワイズクラックとは、いわゆる「軽口」「冗談」「軽妙な皮肉」などである。
 スパイダーマンと言えば人助けの最中であろうが、戦闘中だろうが、瀕死の重傷だろうが、この「減らず口」を欠かさないのが特徴。
 しかし、監督はスパイダーマンに課された責務をシリアスに映像化する事を選んだのか、口の減らないスパイダーマンとしては、あり得ないぐらいに口が減ってしまったのである。

 だが、これはこれで功を奏した。
 大きな力に翻弄され、叔父を死なせてしまい、ピーター・パーカーとしての青春を捨てても、スパイダーマンとしての大いなる責任を全うするシリアスな姿が描かれたのだから。

 その素晴らしい出来栄えに、続編の製作が決定した。監督は続投。
 その名も「スパイダーマン2」 ヴィラン(悪役)は原作での仇敵ドクター・オクトパスだ。

 「映画の続編はコケる」と言うのが一般的な見解だが、このスパイダーマンは別である。
 何しろ、ドラマの展開に必要な人間関係の説明は、1作目で全て終わっているのだから。
 したがって、今回は余計な説明に尺を割く必要がない。つまり、新しい物語の展開に専念できると言う事だ。
 そして、この映画は前作以上の傑作となった。
 前作との時間は2年しか開いていないが、CG技術の発展で2年は大きい。映像面でも1作目を凌ぐ迫力である。
 説明が控えられ、物語に専念できた分、ストーリーも重厚となった。

 特に、襲われるスパイダーマンを市民が守ろうとするシーンは個人的名場面である。

 そして、3作目の製作が決定する。
 だが、この3作目が問題となった。先に申し上げておくが、この「スパイダーマン3」は充分に面白い作品だった。三部作の完結編としても悪くない出来だ。
 ただ、1が90点、2を98点とするなら、3は82点という所だろう。

 比較対象が悪過ぎるだけなのだ。


 原因のひとつは、詰め込み過ぎである。
 スポンサー側は、当時人気絶頂だった宿敵「ヴェノム」を登場させるように依頼した。
 しかし、サム・ライミは新参ヴィラン(登場から10年ほど)であったヴェノムを好いておらず、ヴェノムの参戦には否定的だったのである。
 そこでストーリーは、父・ノーマンをスパイダーマンに殺されたハリーが新たなゴブリンとして仇に。
 逆に、叔父を殺した犯人であるフリントが、仇としてサンドマンに。
 前2作の決着としては、仇を取る側と、仇を撮られる側の2人で充分だったのに、無関係のヴェノムが割り込んで来てしまったのである。
 結果、物語は散漫になり、消化不良感は否めない。
 シンビオート(ヴェノムの素。地球外寄生生物)がスパイダーマンのスーツに取り憑き、ブラックスパイダーマンとなり、ピーターが破壊衝動に囚われる脚本は素晴らしかったが、ピーターを逆恨みするエディがシンビオートに取り憑かれ、ヴェノムとなり乱入してくる展開は流石に詰め込み過ぎだったと言えるだろう。

 そこはサム・ライミ監督のホラー映画要素を取り入れ、教会で捨てられたスーツをエディが拾い上げ、彼の悲鳴で暗転して「4」に続く終わり方という、お約束の展開で良かったのではないか。
 そうすれば、ハリーやフリントのドラマに焦点を当てられただろうに、と悔やまれてならない。

 なお、スパイダーマン3は「最も残念な続編映画」という不名誉なレッテルを貼られるが、敢えてもう一度言っておく。スパイダーマン3は、前2作が素晴らし過ぎたが為に、最も残念に思えてしまう映画なのである。
 映画自体は充分に面白かった。特に前半は。

 あと、ラストシーンでMJがピーターのことを初めて「タイガー」と呼ぶシーンは感動モノである。

 ※ 「タイガー」は気弱で軟弱なピーターを揶揄してか、MJが付けたあだ名。MJ以外は呼ばない。
 ※ とても深いシーンなのに、このシーンの吹替にも日本語字幕にもタイガーの文字がなくてガッカリした。


 なお、この3で制作側の関係に亀裂が入ったのか、スポークスマンからは続編製作が4,5,6の3作が発表されるも、計画は頓挫する。
 ブラックキャットやバルチャー、そしてようやく本腰を入れてのリザードの登場とまで言われていたのに、だ。
 3で不本意な脚本を書かされたにも関わらず、4の脚本を再三再四に渡ってリテイクを出された為、サム・ライミが降りたと言われている。
 真偽の程は定かではないが、その動向を見る限り、製作陣やスポンサー側で揉めた事は間違いないだろう。
 興行収入、観客動員数では好成績を収めつつも、続編が中止になったのは、明らかに大人の事情が理由なのである。

 コレが、サム・ライミ版スパイダーマン・トリロジー(3部作)である。

 本日の記事で最も重要なのは、面白かったにも関わらず、大人の事情で続編がポシャった、と言う点。
 これは非常に大きなポイントで、テストには出ないが、明日以降の記事にも大きく関係してくるので、しっかり覚えておくように。

 と言うわけで、明日は三夜目「あのハンサムなアンドリュー・ガーフィールドが科学オタク役だって? 前作からわずか10年でリブート!?」

 映画「アメイジング・スパイダーマン」編


 をお送りします。


 ※ この記事はすべて無料ですが、サム・ライミ版スパイダーマンを観てみよう、観直してみよう、見直す手間が省けた、って人は投げ銭(¥200)してくれると有難いです。
 なお、この先には基本的に触れないスパイダーマンのアニメ作品についての言及が少々あります。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。