現世界グルメ『鶏の唐揚げ』


 唐突ではあるが、ミカンが好きである。ミカンというフルーツは素晴らしい。
 甘いミカンも美味い。酸っぱいミカンも美味い。なんと素晴らしいフルーツである事か。
 ミカンは美味いだけではない。まずナイフレスである。フルーツは数あれど、皮を手で剥いて簡単に食べられる果物はそう多くない。バナナとミカンぐらいのものである。
 大きさも程よく、小腹を満たすにも、喉の渇きを癒すにも、口寂しい時にも、何個か放り込めば、とりあえず空腹を満たす事も可能。
 これほど汎用性に富むフルーツも少ない。
 デザートの材料にも、ジャムにもなる。和え物としてサラダなどに散らしても良い。無論、ジュースもいい。
 そして、安い。庶民の味方である。
 また、それだけのポピュラリティを持ちつつも、季節が限定されるのも良い。ありふれ過ぎないのだ。また、夏場の凍らせミカンもたまらない。ミカンは至高のフルーツの一つだと言えよう。
 だが、駄目なのだ。それでも最も好きなフルーツのトップを飾ることがない。
 正直に言おう。舐められている。他のフルーツに比べ、地位が低い。
 こんなに素晴らしいのに、安さや数の所為か、バナナと同じく、ミカンこそ至高と唱える人物は少ない。残念な話である。これほど世話になっておきながら、ミカンに対して何という仕打ちであろうか。
 その、至高でありながらも評価されぬ影の役者は他にもいる。
 ミカンよりは遥かに高い地位とリスペクトはあるものの、決して至高の料理に挙げられぬもの。
 鶏の唐揚げである。
 ご飯のおかずとしても、ビールのお供としても、弁当のおかずとしても、揚げたても、冷めても、再加熱しても美味い。それが鶏の唐揚げである。
 さて。この鶏の唐揚げを語る上に於いて、どうしても先に決めねばならぬ事がある。
 非常に重大な問題だ。
 鶏の唐揚げは、「もも肉」か「むね肉」かという事である。
 ここで多くの人は「そりゃ腿肉の方が柔らかくて弾力があってジューシィなんだから、腿肉でしょ?」と思う事だろう。
 だが待ってほしい。違う。そうではない。そうではないのだ。
 確かに、腿肉は胸肉に比べて汎用性も高く、わかりやすい旨さがある。その通りだ。否定しない。胸肉で作った唐揚げは無条件で美味くなる。否定しない。
 だが、それでいいのだろうか。果たして、それでいいのだろうか。
 野菜や穀物や果物が、品種改良で一つの方向を目指したり、一部品種が不人気のために作付けを減らされたりしていくのは、由々しき事態ではある。だが、それは抗えぬ現実なのだ。ある程度は受け入れていくしかないだろう。
 しかし、鶏肉は違う。一羽の鶏を〆れば、腿肉も胸肉も生産されるのだ。あの最大手フライドチキン屋だって、色んな部位を使う。食材を余さないことは重要である。そこで冷静に考えて貰いたい。
 唐揚げこそが、鶏の胸肉のポテンシャルを最高に活かせる料理なのではあるまいか。
 よくよく考えて貰いたい。腿肉は、唐揚げにしなくても美味いのだ。むしろ、唐揚げにすることによって腿肉の潜在能力を引き出す事はない。何なら、特性を殺していると言っても過言ではないのだ。
 腿肉の弾力や脂を活かすなら、揚げるよりも焼いた方が美味いのではないか。柔らかさや歯触りを考慮するなら、煮た方が美味いのではないか。
 無論、胸肉には「蒸す」という素晴らしい調理法がある。これは胸肉のポテンシャルを最大限に活かしていると言えよう。
 だが、唐揚げはそれだけに止まらない。至ってシンプルな蒸し鶏と違い、調理する側の能力が問われるのである。そう。胸肉の唐揚げは、最も調理しがいのある胸肉料理なのだ。
 ここで注意して欲しいが、衣が厚い竜田揚げは、唐揚げとは別議にする。胸肉の竜田揚げも美味いが、あくまで衣の薄い唐揚げを取り扱うものとする。パン粉のついたチキンカツはさらに別の料理だとさせてもらう。これは重要な区分だ。味を付けて炊くピラフと、炊いた米に味付けするチャーハンぐらい別の料理なのだ。
 美食家としてはこの辺りの区別は明確にしておかねばならない。繰り返す。唐揚げである。
 まずは下ごしらえだ。胸肉はパサつく。これをどう調理するかが最重要ポイントとなる。
 胸肉を柔らかく仕上げる方法など100も存在するだろう。だが、美味く、そして柔らかくとなると、その方法は半分以下になる。そして、鶏胸肉の唐揚げとして美味しく、柔らかくする方法となると、更にその半分以下になるだろう。
 パイナップルジュースに漬ける、塩麹で揉む、重曹で寝かせる、砂糖と塩をまぶして休ませる、キノコに和えておく。
 色々な方法がある。最も柔らかくなるのが重曹だろう。だが、重曹による肉の柔らかさは唐揚げに向かない。スーパーの惣菜コーナーの唐揚げの味になってしまう。キノコもなかなかの効果が見込めるが、キノコの匂い移りが強く、唐揚げには向かないのである。唐揚げを更にケチャップ煮などにする場合はこれも良い。
 砂糖と塩で休ませるのもいいが、どうにも味がチープになる。チキンハムの味になってしまう。ただし、弁当などの冷えた唐揚げには向く柔らかさと味だ。
 パイナップルなどの蛋白質分解酵素が強い南国フルーツジュースに漬けておくのも面白いが、独特の甘さがつくため、衣に一工夫必要となってくる。一方でオリエンタルでエスニカンな唐揚げには最適だ。
 やはり、この中で最も唐揚げに適していると言えるのは、塩麹である。
 塩麹の利点は、柔らかさと下味だ。基礎となる味が塩麹によってつけられるため、肉の中まで安定した味となり、旨味を引き出す。
 個人的に、完成した唐揚げには、特に何もつけないでいいぐらいのしっかりした味が付いている方が良いので、塩麹は最適の下味となる。
 そこで、どんな塩麹を使うか、何時間寝かせるか、他に何を混ぜるべきか、この辺りは自分で研究し、最適解を見つけてもらいたい。ある程度のレシピを記す事は簡単だが、求める唐揚げの美味さに辿り着くには、やはり繰り返して試して行くしかないのだから。
 確かに、唐揚げを胸肉に決めつけてしまった点は傲慢かも知れない。だが、胸肉の唐揚げは、きすの天ぷらのようなものである。
 残念なことではあるが、「きすの最高の調理法は天ぷらだが、最高の天ダネはきすではない」と言われるように、「胸肉の最高の調理法は唐揚げだが、最高の唐揚げは胸肉ではない」のかも知れない。
 特に、一口で食べられない大きさの唐揚げとなると、圧倒的に腿肉に軍配が上がる。噛み切るだけの柔らかさが必要となるからだ。
 だが、一口サイズ限界までの大きさの唐揚げならば、調理次第で胸肉は腿肉に勝るのである。
 おっと。言い忘れたが、気を付けてもらいたいのは、切り方だ。
 胸肉は、切り方一つで大きく歯ごたえが変わる。胸肉は歪な放射状に筋繊維が走っているため、この流れに沿わない切り方をすると、ガシガシとした歯触りになってしまう。
 胸肉の筋繊維の方向を理解した上で切り取ることによって、加熱時に肉が丸く柔らかく仕上がる。これに気を配りつつも、加熱ムラが生じないように大きさを均一にするのは非常に困難だろう。だが、こういった細かい点に気を配ってこその料理なのではあるまいか。
 そして、揚げる時は、やはり二度揚げである。
 低い温度で火を通す一度目と、衣のみをカラッと揚げる二度目。
 この工程を得てこそ、胸肉の唐揚げは、腿肉を上回るのである。
 いや、言うな。そんな七面倒くさい事をしなくても、腿肉の唐揚げを食えばいい、なんて言うな。わかっている。そんな事はわかっている。だが、鶏胸肉は腿肉の下位互換などではないのだ。特性を理解し、活かしてやる調理法さえ確立すれば、胸肉は輝けるのだ。
 完成した唐揚げは、基本的にそのまま食べるのがいい。
 無論、ビールのアテとしては塩コショウをつけながら食べるのもいいだろう。少し大きめの唐揚げならポン酢やおろしポン酢などもいい。個人的には勘弁して欲しいが、マヨネーズをつける人もいる事だろう。
 だが、基本はそれらの調味料なしで、既に完成された味になっている事が肝要ではあるまいか。あくまでも調味料は保険のようなものである。
 いや、レモンを最初にかける人間を批判しているつもりはない。個人の好みなら自由にすればいいのだから。
 もっとも、唐揚げにはレモンなど不要、と考えているのは事実だ。
 前述の塩コショウも否定派である。
 理由は、パリッと揚げた唐揚げに、塩コショウもレモンも馴染まないからである。
 天ぷらに塩を当てる場合なども同様だが、均一に満遍なく、味が行き渡らない。綺麗に揚げた衣は、塩を弾くからである。逆に、唐揚げの塩コショウなどは味が一箇所に固まる。レモン汁も油でコーティングされて馴染まない。
 おろしポン酢を推奨するのは、ポン酢を吸ったおろしを載せることにより、味が全体に広がるからに他ならない。
 ビールのつまみとして塩コショウが集中しているのは悪くないが、唐揚げとしては今ひとつなのである。
 レモンも、実のところ果肉を搾るのではなく、果皮を折り曲げて押し潰すようにすると、爽やかな香りと仄かな酸と苦味だけが広がるのでお試しいただきたい。
 そして、レモンの果肉は、唐揚げを食い終わった後に、口直しとして齧るのが最適であると考える。なお、塩コショウも付け合わせのキャベツにまぶす食べ方を推奨する。
 ただ、何と言うか。うむ。そう。困った。困った事に、これを書き記している最中に脳裏をよぎるのは、残念ながら、居酒屋の巨大な腿肉の唐揚げである。
 これほど胸肉の必要性を説いたにもかかわらず、舌が、歯が、脳が思い出すのは腿肉。残念な話だ。それでも私は、胸肉に最適なのが唐揚げであると唱え続けたい。
 いや、蒸し鶏が胸肉の最高調理法ではあるのだが。
 と言う話をしていると、知人の料理人が、こう言った。
 「胸肉はチキンカツが一番じゃないか」
 よせ。やめてくれ。最初に別物だと言っておいただろう。胸肉の良さを唐揚げというポピュラーな料理で知らしめたいのだ。確かにチキンカツは素晴らしいが、それを交えると話が長くなる。
 だいたい、それを言うなら個人的な好みでは「ひねポン」が最高でだな、、、
 え? なに? ひねポンを知らない? 異世界の話はやめろ? なに? なんだと? ひねポンって全国区の料理じゃなかったのか、、、?

 ※ 近畿地方の西端、播州のローカル料理です。



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 なお、この先には「ひねポン」ってナニ? という説明が書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。